「ワン・ワン・ライス」とは? わかりやすく解説

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「ワン・ワン・ライス」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 09:43 UTC 版)

市川雄一」の記事における「「ワン・ワン・ライス」」の解説

1990年平成2年2月18日第39回衆議院議員総選挙において公明党議席数を減らすと、それまで社会党との共闘志向修正する親交のある自民党幹事長小沢との関係を強めた(「一・一ライン」)。さらに民社党書記長米沢隆交えた親密な関係は、後々まで「ワン・ワン・ライス」と呼ばれた1993年平成5年6月宮澤内閣不信任決議案成立すると、公明党は、自民党を離党した羽田派結成した新生党連携する同年7月18日第40回衆議院議員総選挙において、自民党議席数が過半数割れとなり、政権交代実現した同年8月発足した細川内閣において、公明党からは公明党委員長石田幸四郎ら4人が入閣し市川公明党書記長として党執行部運営最高責任者となった1994年平成6年12月公明新党経て新進党結成参加し新進党政務会長就任する1995年平成7年7月23日第17回参議院議員通常選挙での新進党躍進に力を振るうが、このことが自民党による「新進党創価学会」との批判呼び起こすことになった長年続いてきた小沢との蜜月関係次第亀裂生じるようになり、1995年平成7年12月行われた新進党党首選では、小沢対抗して立候補した羽田孜支援するが、小沢羽田破り党首就任市川新進党党首就任する1996年平成8年10月20日第41回衆議院議員総選挙において新進党議席数を減らす。 1997年平成9年10月新進党党首小沢公明代表藤井富雄との会談で、当初年内予定されていた公明新進党へ合流見送り白紙となる。新進党は、元首相細川護熙離党するなど党内分裂状態に陥り、同年12月解党された。1998年平成10年)、元新進党公明新党出身議員新党平和を結成し市川新党平和副代表就任する1998年平成10年11月公明党再結成され、公明党副代表就任する1999年平成11年10月自公連立による小渕内閣発足公明党常任顧問就任した1998年元公明党委員長竹入義勝朝日新聞55年体制回顧録連載した際は、同紙上反論を行うなど、竹入を批判する中心となった

※この「「ワン・ワン・ライス」」の解説は、「市川雄一」の解説の一部です。
「「ワン・ワン・ライス」」を含む「市川雄一」の記事については、「市川雄一」の概要を参照ください。

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