非自民・非共産連立与党
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「ワン・ワン・ライス」の記事における「非自民・非共産連立与党」の解説
1993年、自民党最大派閥の竹下派の内部対立から始まった権力闘争の結果、小沢・羽田孜らは竹下派から離脱して羽田派を結成し「政治改革」を唱えて自民党を離党、新生党を結成した。新生党は社会・公明・民社と連立政権樹立で合意し、細川護煕率いる日本新党・武村正義が代表の新党さきがけを取り込んで非自民・非共産連立政権の細川内閣が発足した。 与党となった各党党首はすべて閣内に入ったため、党の意思決定は幹事長クラスの会議『与党代表者会議』で行われる事になり、小沢(新生党代表幹事)、市川、米沢が与党第一党の社会党を抑えて主導権を握った。 1994年4月、細川首相が辞任を表明すると羽田孜が後任の首相となったが、社会党は閣外協力に転じた。さらに民社党の大内の提案で、社会党・さきがけに断り無く、残りの与党各党で院内会派「改新」を結成した。与党第1会派となり、国会内でも社会党に対して主導権を握ろうとしたものだが、社会党は反発して与党を離脱し、さきがけも閣外協力に転じたため、羽田内閣は少数与党に転落した。野党となっていた自民党が羽田内閣不信任決議案を提出すると、可決が必至の情勢となり、羽田内閣は内閣総辞職した。自民党は社会党の村山富市を首相にする条件で自民・社会・さきがけの3党連立政権にこぎ着け、与党復帰を果たした。会派「改新」は対抗勢力として新進党を結成したものの、野党暮らしが続くと自民党に移籍する議員が続出し、党内の内紛も絶えず、1997年12月に解散した。
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