「ワン・ワン・ライス」のその後
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「ワン・ワン・ライス」の記事における「「ワン・ワン・ライス」のその後」の解説
新進党の解党後は、小沢は自由党、市川は新党平和を経て再度結党された公明党、米沢は新進党公認として立候補した第41回衆議院議員総選挙で落選していたが、解党後民主党に入党し(2002年10月に繰り上げ当選で国政に復帰)、それぞれ袂を分かつ形となった。 小沢は2003年の民由合併により民主党に合流。再び米沢と同じ政党に属することになった。市川については公明党に所属したまま、同年11月の衆議院解散をもって政界から引退、米沢は2005年の第44回衆議院議員総選挙で落選し政界から引退した。市川は新進党解党後は小沢との関係は冷めていたが、自身の引退後は再び親交を持つようになっており、民主党政権下の2010年1月に市川が公明党常任顧問に就任し党務に復帰すると、公明党の小沢との連携模索ではないかとの憶測を呼んだ。 その後米沢は2016年6月に、市川は2017年12月に死去した。 小沢は市川・米沢の政界引退後も政治活動を続け、2012年には社会保障・税一体改革関連法案に反対し民主党を離党。日本未来の党や生活の党を経て、2019年に国民民主党に合流した。この際、国民民主党代表の玉木雄一郎が小沢との交渉に対応したことから、国民民主党幹部の中には小沢と玉木の関係をかつての小沢と市川の「一・一ライン」になぞらえ、「新『一・一ライン』」と表現する者もいた。
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