"Samizdat" について
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「アンドリュー・タネンバウムとリーヌス・トーヴァルズの議論」の記事における「"Samizdat" について」の解説
2004年3月23日、Alexis de Tocqueville Institution というシンクタンクの所長である Kenneth Brown が、タネンバウムにインタビューした。このインタビューは、Kenneth Brown が著した Samizdat: And Other Issues Regarding the 'Source' of Open Source Code という書籍の出版に先立って行われたものであった。その書籍には、LinuxはもともとはMINIXから不正にコピーして開発されたという趣旨の記述があった。タネンバウムは、これに対して公に強い反論をして、トーヴァルズを擁護した。その際に次のように述べた。 私は、いくつかの誤解を解くことと、また2つの誤りを正すことにより、この問題を終わらせたいと思っています。まず、私はリーナスに対してまったく腹を立ててはいません。本当です。リーナスもまた、私に対して腹を立てていません。私は、リーナスにより失墜させられたと感じている「手痛い敗北を喫した人間」などでは、ありません。MINIXは私にとって、個人的な楽しみであり趣味のようなものであるに過ぎません。私は教授です。私は、学生に教え、研究をし、書籍を書き、カンファレンスに出席し、またその他に教授として行うことを行っています。私は、自分の仕事が好きですし、自分が受け持つ学生たちが好きですし、自分が属する大学が好きです。 [...] 私がMINIXを書いたのは、自分が受け持つ学生たちにオペレーティングシステムを扱うという実践を通じた経験をしてほしかったからです。AT&Tが、John Lions により著された書籍を使って教育することを禁じた後、私はUNIXに似たシステムを書くことを決めました。学生たちが扱えるようにするためです。 [...] 私は、GNU/HURDや Berkeley UNIX に取って代わるものを開発しようとしていたわけではありません。事実、私はこの旨をこれまで十分に繰り返し述べてきました。私はただ、自分の学生たちや他の学生たちに、現代的な技術を使ってUNIXに似たシステムをどのようにして書くことができるかを、示したかっただけです。他の多くの人々は、自由に使える製品水準のUNIXを声高に何度も強く望み、MINIXをそのようなシステムに書き換えたいと思いました。私は、しばらくの間こうした渦の中に引きずり込まれていました。しかしLinuxが出現すると、私は教授としての活動に戻ることができてほっとしました。 [...] リーナスは、すばらしい活動を行っているようです。そして私は、将来に彼が大きな成功を収めることを期待しています。 MINIXを書くことは私にとって楽しみではあるのですが、私は、自分がこれまで行ってきたことの中でMINIXが最も重要なこととは、実際は評価していません。MINIXを書くことは、私にとって何にも勝る気晴らしです。私がこれまで行ってきたことの中で最も重要なことは、非常に良い学生を数多く育ててきたことです。とりわけPh.D.を取得した学生たちです。Ph.D.を取得した学生たちの一覧が私のホームページにありますので、見てください。彼らはいくつも大きな業績を残しています。私は、自分が彼らの母親であるような思いで、彼らを誇りに思っています。リーナスは、私の学生たちの中に含めることができるので、私は彼のことも誇りに思っています。教授というものは、自分が受け持った学生たちが大きな名誉を手にするとき、それをすばらしいことだと思うものなのです。
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