遠藤周作 遠藤周作の概要

遠藤周作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 23:19 UTC 版)

遠藤 周作
(えんどう しゅうさく)
誕生 1923年3月27日
日本 東京府北豊島郡西巣鴨町
(現 東京都豊島区北大塚
死没 (1996-09-29) 1996年9月29日(73歳没)
日本 東京都新宿区信濃町 慶應義塾大学病院[1]
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本
教育 学士文学
最終学歴 慶應義塾大学仏文科
活動期間 1953年 - 1996年
ジャンル 小説
随筆
文芸評論
戯曲
主題 キリスト教
文学活動 第三の新人
代表作
主な受賞歴
子供 遠藤龍之介(長男)
親族
ウィキポータル 文学
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12歳の時カトリック教会で受洗。評論から小説に転じ、「第三の新人」に数えられた。その後『海と毒薬』でキリスト教作家としての地位を確立。日本の精神風土とキリスト教の相克をテーマに、神の観念や罪の意識、人種問題を扱って高い評価を受けた。ユーモア小説や「狐狸庵」シリーズなどの軽妙なエッセイでも人気があった。


注釈

  1. ^ 遠藤周作は上智大学時代のことに触れられることを極度に嫌がった。浪人時代の回想エッセイなどを数多く発表しているが、上智時代の事には全く触れていない。自作年譜にも載せていない徹底ぶりである。この時期の評論は加藤宗哉が詳しい。
  2. ^ この試験の際に採用されたのが鈴木清順である。
  3. ^ 「海と毒薬」に対する一部からの反発は強く、発表後、遠藤家に「死ね」と書かれた血書や、「日本の恥部を抉ってどうするつもりだ」という脅迫状、果てには日本刀が送り付けられた。
  4. ^ 1953年死去、当時はまだ土葬だった。
  5. ^ 医師森納によれば「医師の諸身分について、江戸時代には封建制上の身分によって大別すれば、藩医・町医師・在医師の区別があった。藩医は、によって召し抱えられた医師である。それに準ずる身分として鳥取藩の場合、東西両分知家と着座家に召し抱えられた医師、即ち陪臣医があった。藩医・陪臣医は俗に“御典医”と呼ばれ、武士身分の処遇をうけた。町医師は、鳥取城下・米子倉吉等の町で町奉行支配を受けた町民医師である。藩医には御医師、無足医師の区別があった。御医師は城詰を命ぜられた医師である。藩臣の礼席上の地位では、御近習の次席に置かれたので、御近習医師とも呼ばれた。次に、士分格医師の初級の者が無足医師である。町医師から抜擢されて藩に召し抱えられ士分取り立てとなった際、まず無足医師とされ、五人扶持を与えられるのが普通であった[19]
  6. ^ 医師森納によれば「御近習医師の筆頭が御匕役で、内科の医師のうち特に業務の勝れた者が選ばれた。御匕役は大体2人か3人で、藩主の日常の健康管理、投薬、膳部の毒味などに当たった[21]

出典

  1. ^ a b c 史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月22日閲覧。
  2. ^ 湯梨浜町企画情報課(編)「遠藤周作氏のルーツ」『広報ゆりはま』2007年1月号、鳥取県東伯郡湯梨浜町、2007年、2019年3月15日閲覧 
  3. ^ 加藤 2006, p. 不明.
  4. ^ 桑原真夫『フランソワーズ・パストル』論創社 2022年
  5. ^ a b 戸板康二『思い出す顔』(講談社)P.54[要文献特定詳細情報]
  6. ^ a b 第28回文学講座(H27.2.2)”遠藤周作文学館(長崎市)
  7. ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)50頁
  8. ^ a b c d e 遠藤 2000, p. 不明.
  9. ^ さくらももこ『さるのこしかけ』(集英社、1992年)25-30頁。
  10. ^ 兼子 1995, pp. 27–28.
  11. ^ 遠藤周作文学全集 vol. 12所収,「合わない洋服」(1967)
  12. ^ a b 長谷川(間瀬) 2008, p. 79-100.
  13. ^ 兼子 1995, p. 28.
  14. ^ カトリック新聞 1979年4月8日付
  15. ^ ご存じですか 41 キリスト者の信条 踏絵について デルコル神父・フェデリコバルバロ神父著 世のひかり社, 4-6頁[要文献特定詳細情報]
  16. ^ ご存じですか 41 キリスト者の信条 踏絵について デルコル神父・フェデリコバルバロ神父著 世のひかり社, 25-26頁
  17. ^ 「有吉氏らが委員に 新中教審の18氏決る」『朝日新聞』昭和47年(1972年)5月30日夕刊、3版、3面
  18. ^ 『朝日新聞』1979年3月6日(東京本社発行)朝刊、22頁。
  19. ^ 森 1993, pp. 15–16.
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 森 1985, p. 98.
  21. ^ 森 1993, p. 17.
  22. ^ a b c d e f g h i j 森 1985, p. 99.
  23. ^ 『遠藤周作のすべて』朝文社、1991年4月20日 1991、328頁。 
  24. ^ "故遠藤周作氏の妻、遠藤順子さん死去 文学館建設に尽力". 長崎新聞. 2021年3月12日. 2023年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月30日閲覧
  25. ^ 「高卒社長が誕生の可能性も!?」フジテレビ“次期社長レース”の行方、日刊サイゾー、2012年6月11日
  26. ^ フジテレビ社長に遠藤周作氏長男 「騒動」時に広報部長 2019年5月13日20時17分 - 『朝日新聞
  27. ^ フジ新社長の遠藤龍之介氏「高卒社長誕生」デマ語る [2019年5月14日5時1分] - 『日刊スポーツ
  28. ^ 「フジは「面白さ」を追求 遠藤龍之介社長に聞く」『読売新聞東京』、2019年9月9日、夕刊。
  29. ^ 過去の教科書 - 教育出版”. www.kyoiku-shuppan.co.jp. 2024年1月13日閲覧。
  30. ^ 過去の教科書 昭和52年度版”. 教育出版. 2022年11月30日閲覧。
  31. ^ 国立国会図書館. “所蔵調査 教科書に載った遠藤周作著「白い風船」について”. レファレンス協同データベース. 2022年11月30日閲覧。
  32. ^ 全日本CM協議会 編『CM25年史』講談社、1978年1月15日、245 - 246頁。NDLJP:12025175/127 
  33. ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第128号、マドラ出版、1990年5月1日、106 - 107頁、NDLJP:1853094/55 
  34. ^ "遠藤周作 封印された原稿". NHK. 2021年10月9日. 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月15日閲覧
  35. ^ "遠藤周作没後25年 遺作『深い河』をたどる 「前編 日本人のキリスト教を求めて」". NHK. 2021年10月31日. 2021年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月28日閲覧
  36. ^ "遠藤周作没後25年 遺作『深い河』をたどる 「後編 宗教の壁を越える"玉ねぎ"」". NHK. 2021年11月7日. 2021年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月5日閲覧
  37. ^ 遠藤周作の未発表作見つかる(2010年4月25日(日)掲載) - Yahoo!ニュース”. Yahoo Japan Corporation.. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月15日閲覧。
  38. ^ 遠藤周作さん未発表小説発見 長崎の文学館 完成状態では初”. 西日本新聞ニュース. 2020年10月1日閲覧。
  39. ^ 川崎友理子 (2020). “遠藤周作未発表小説「影に対して」について”. 三田文学 夏季号: 50. 
  40. ^ 遠藤周作 『影に対して―母をめぐる物語―』 | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 2020年11月14日閲覧。
  41. ^ 作品情報 - 黄金の国”. 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター. 2019年3月15日閲覧。






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