第9師団 (日本軍) 第9師団 (日本軍)の概要

第9師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 23:51 UTC 版)

第9師団
旧第九師団兵器倉庫
(現石川県立歴史博物館
創設 1898年(明治31年)10月1日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務/特性 歩兵
人員 約25,000名
所在地 金沢-満洲-アムール州-華中-沖縄-台湾
編成地 金沢
通称号/略称
補充担任 第9師管金沢師管金沢師管区
最終上級単位 第10方面軍
最終位置 台湾
主な戦歴 日露-シベリア-満洲事変-支那事変-太平洋戦争
テンプレートを表示

日清戦争の後、軍備増強の必要性から1898年明治31年)に新設された6個師団の一つで、北陸富山石川福井各県の兵士で構成され、衛戍地金沢として編成された師団である。第18師団久留米市)と、陸軍内部でその精鋭さでは双璧といわれた。1898年11月8日、師団司令部と師団監督部が開庁した[1]。同年11月29日、監督部は旧金沢城内の新築庁舎に移転[2]

1940年昭和15年)8月から師団の衛戍地は満洲となり、代替の常設師団として第52師団が編成された。またこの時、歩兵第36連隊第28師団に転出させて三単位編制に改編された。

大陸戦線

1904年(明治37年)に日露戦争が勃発すると、師団長大島久直中将の下で出征し、乃木希典大将率いる第3軍隷下で旅順攻囲戦に参加する。旅順では師団所属の歩兵連隊長全員が負傷する激しい戦闘となった。続いて参加した奉天会戦でも、山砲兵第9連隊長まで戦死するという大打撃を受けている。日露戦争後、約2年間朝鮮半島に駐留した。1913年(大正2年)11月13日から17日、名古屋市周辺で行われた陸軍特別大演習に西軍として参加[3]1914年4月14日、師団司令部留守部を設置し事務を開始[4]1916年4月30日、師団司令部が金沢衛戍地に帰着した[5]1918年6月12日、兵器部が司令部構内で事務を開始[6]

1921年大正10年)シベリア出兵に参加する。

1932年(昭和7年)1月に起こった第一次上海事変にも動員された。 1934年(昭和9年)9月には、大聖寺町で発生した大火の消火活動に工兵隊が参加した[7]。 その後1935年(昭和10年)から約2年間の満洲駐剳任務に就き、1937年(昭和12年)2月に帰国する。

支那事変

1937年(昭和12年)7月からの支那事変では、上海派遣軍司令官松井石根大将の要請により、第13師団および第101師団とともに第二次上海事変の増援軍として上海戦線に赴いた。上海戦の後南京攻略戦に投入、1938年(昭和13年)2月14日には中支那派遣軍戦闘序列に編入され徐州会戦を、8月22日には第11軍戦闘序列に編入され武漢作戦を戦い、翌1939年(昭和14年)6月復員する。

太平洋戦争

太平洋戦争開戦後は、師団は第3軍の指揮下衛戍地である満洲に在り、治安維持活動を主務としていた。1944年(昭和19年)7月に絶対国防圏の要石とされたサイパン玉砕するなど戦局が緊迫化したことを受け、長勇参謀長の要望により、沖縄担当の第32軍戦闘序列に編入され、精鋭師団として防衛の中核を期待されていた。実際、第32軍は八原博通大佐(高級参謀)立案の元、第9師団を中心に沖縄防衛計画を固め、米軍撃滅の自信を深めていた。当初司令部は首里の官立沖縄師範学校に置かれたが、後に南部の大里村へ移された。これは当師団を軍の総予備として位置付けるものとしての措置でもあった。同年11月4日、第32軍の一兵団を比島へ転用のため、大本営第10方面軍・第32軍が台北で会議を開いたが、台北会議は要領の得ないまま散会となった。しかし、同年11月17日、台湾へ転出命令が下され、12月末に台湾に移転したものの、連合国軍は台湾を通り越して直接沖縄本島に上陸したため、戦うことなく同地で終戦を迎えた。後に当時大本営作戦課長であった服部卓四郎元大佐が第9師団抽出を「魔がさしたとしか思えない。一世一代の不覚であった。」と述懐している。 第9師団は武勲高い歴戦の師団であるが太平洋戦争時、一度も交戦することが無かった。


  1. ^ 『官報』第4609号、明治31年11月9日
  2. ^ 『官報』第4628号、明治31年12月2日
  3. ^ 陸軍名古屋特別大演習”. 名古屋市博物館 (2018年). 2024年4月6日閲覧。
  4. ^ 『官報』第493号、大正3年3月24日。
  5. ^ 『官報』第1125号、大正5年5月4日。
  6. ^ 『官報』第1776号、大正7年7月4日。
  7. ^ 大聖寺町の大火、三百四十戸を全半焼『大阪毎日新聞』昭和9年9月10日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p1 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  8. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』39頁。
  9. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』68頁。
  10. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』76頁。
  11. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』79-80頁。
  12. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』92頁。
  13. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』103頁。
  14. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』114頁。
  15. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』120頁。
  16. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』133頁。
  17. ^ 『官報』第2264号、大正9年2月23日。
  18. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』130頁。
  19. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』161頁。
  20. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』180頁。
  21. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』200頁。
  22. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』211頁。
  23. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』230頁。
  24. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』228頁。
  25. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』243頁。
  26. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』277頁。
  27. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』352頁。
  28. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』377頁。
  29. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』393頁。
  30. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』435頁。
  31. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』464頁。
  32. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』457頁。
  33. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』445頁。


「第9師団 (日本軍)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第9師団 (日本軍)」の関連用語

第9師団 (日本軍)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第9師団 (日本軍)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第9師団 (日本軍) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS