タラカン島の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 14:27 UTC 版)
5月1日、東岸のタラカン島にオーストラリア第9師団の第26旅団を基幹とする11800人が上陸した。日本軍では独立歩兵第455大隊と海軍第2警備隊の計2200人が守備しており、6月中旬まで激しい抵抗を続けた。終戦まで連合軍は掃討戦を行い、日本軍は1500人が戦死し、250人が捕虜となった。連合軍もオーストラリア兵225人が戦死し、700人近くが負傷した。また、アメリカ海軍の機動掃海艇1隻が沿岸砲台に撃沈され、砲台または機雷により駆逐艦など5隻が損傷した。
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