矢田事件 矢田事件の概要

矢田事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/10 21:37 UTC 版)

刑事裁判の経過
月日 事柄
1969年 4月9日-4月10日 事件発生。
4月19日 被害者の教員たちが解同矢田支部長らを刑事告訴。
5月6日-5月11日 4回にわたり、告訴人の自宅付近に解同の署名入りで
嫌がらせのステッカーが貼られる。
1975年 6月3日 大阪地裁で無罪判決。
1981年 3月10日 大阪高裁で懲役3月(執行猶予1年)の有罪判決。
1982年 3月2日 最高裁が上告棄却。有罪判決が確定。
民事裁判の経過
月日 事柄
1969年 4月9日-4月10日 事件発生。
1973年 7月17日 被害者の教員たちが大阪市を民事提訴。
1979年 10月30日 大阪地裁で大阪市に1140万円の損害賠償命令。
1980年 12月16日 大阪高裁で控訴棄却。
1986年 10月16日 最高裁が上告棄却。大阪市の敗訴が確定。
最高裁判所判例
事件名 監禁
事件番号 昭和56(あ)558
昭和57年03月02日
判例集 集刑第225号697頁
裁判要旨
最高裁判所第三小法廷
裁判長 伊藤正己
陪席裁判官 環昌一 横井大三 寺田治郎
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
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共産党員である中学教師に対し、部落解放同盟(解放同盟)が糾弾を行い、法廷闘争に発展。いわゆる「糾弾権」の存否が法廷で争われた。

本件の背景には共産党と解放同盟の対立があった[1]。本事件を契機に、1960年代半ばから燻り続けていた解放同盟と共産党との対立関係は決定的なものとなった。八鹿高校事件など、解放同盟による反対勢力への一連の襲撃事件の嚆矢であり、戦後部落解放運動史上きわめて著名な事件である。

別名、矢田教育事件。解放同盟は矢田教育差別事件と呼ぶ。


  1. ^ この挨拶状について、大阪市立矢田小学校に勤務する部落解放同盟シンパの教師は、子供会の学習会における国語のプリントの中で

    「同和教育にとりくむ教師と(ママ)午後4時に帰ることができない。教師の労働条件が悪くなる。越境入学に反対すると、有名校に越境した子どもが、部落の子どもたちの通学する学校へもどされ、有名校では先生があまるから、有名校の先生は転勤させられ、部落の子の通学している、しんどい学校へ行かんならん」

    と「要約」し、「悪意にみちた改作がなされている」と非難を受けた[6]
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  1. ^ a b c d e f 師岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻 柘植書房、1985年
  2. ^ 師岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻、p.300。なお諸岡は同書のまえがきで「私は抗争、論争の渦中に一方の陣営にあって、第三者的立場に居合わせることはなくなる。つよい直接的な愛憎なしにこの時期の資料を手にすることができないし、どこにも記されていない思い出が、二重、三重に重なってくる」とも述べている。
  3. ^ 三谷秀治『火の鎖』p.412(草土文化, 1985)
  4. ^ a b 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.191。
  5. ^ a b 成澤榮壽編『表現の自由と部落問題』(部落問題研究所、1993年)所収 野々山志郎「『長崎市長への七三〇〇通の手紙』事件と今後の課題」
  6. ^ 杉尾敏明「部落解放と民主教育―現代同和教育論」(青木書店, 1985.3)p.158
  7. ^ 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.192。
  8. ^ 日本共産党大阪府委員会委員長・松島治重による。『前衛』1969年10月号
  9. ^ 中西義雄『部落解放への新しい流れ』p.103
  10. ^ 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.200
  11. ^ a b 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.204
  12. ^ 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.190。
  13. ^ 1969年4月19日には上田も逮捕監禁罪・強要未遂罪で刑事告訴されたものの、不起訴となっている。師岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻p.302による。
  14. ^ a b 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.186。
  15. ^ 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.187。
  16. ^ a b 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.188。
  17. ^ この玉石教諭自身が部落出身であった。『部落』1970年、第22巻、第1~7号、p.144。
  18. ^ 解同大阪府連副委員長西岡智の発言。部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.189。
  19. ^ 解同大阪府連矢田支部長戸田政義の発言。部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.190。
  20. ^ 解同大阪府連矢田書記長泉海節一の発言。部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.189。
  21. ^ 大阪地裁1975年6月3日判決、判例時報782号23頁。
  22. ^ a b c d 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.189。
  23. ^ 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.201
  24. ^ 『大阪社会労働運動史』第5巻、p.674(大阪社会運動協会, 1994)
  25. ^ 『赤旗』1969年4月24日「四暴力分子を告訴、深夜まで監禁、強要」
  26. ^ 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.127(部落問題研究所、1988年)
  27. ^ a b 野々山志郎「議論を封じる行為は人間否定」
  28. ^ a b c d e 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.128(部落問題研究所、1988年)
  29. ^ ただし、被害教師の一人は部落民であることを自ら明らかにしている。成澤榮壽編『表現の自由と部落問題』(部落問題研究所、1993年)ならびに諸岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻、p.290による。
  30. ^ 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.198
  31. ^ 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.199
  32. ^ a b 部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.202
  33. ^ 兵庫人権問題研究所編「今、あらためて八鹿髙校事件の真実を世に問う : 一般社団法人兵庫人権問題研究所開所40周年記念 : 「八鹿高校事件」40周年」(兵庫人権問題研究所, 2014)pp.341-342
  34. ^ a b 成澤榮壽『表現の自由と部落問題』(部落問題研究所、1993年)所収「『長崎市長への七三〇〇通の手紙』事件と今後の課題」(野々山志郎)


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