沼島 概要

沼島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 16:44 UTC 版)

概要

勾玉形の島で、北西側の真ん中に漁業中心の集落と沼島漁港があり、対岸の南あわじ市灘土生の土生(はぶ)港[注 1]とは、沼島汽船の定期船「しまかぜ」「しまちどり」で結ばれている[4]

江戸時代末期に漁業や海運業で最も栄え、1955年昭和30年)頃までは人口2,500人ほどを擁していたが、その後は人口流出が著しい[5]

中央構造線の南側に位置するため、淡路島とは異なり全島が三波川変成帯結晶片岩によって構成され、南岸の海食崖には緑・白・黒など様々な縞模様が現れている。また珍しい同心円状の褶曲(さやがたしゅうきょく)も見られる[注 2]。 崖下に磯が発達していることから磯釣りの名所でもある。

諭鶴羽山から見る沼島
上空を通過する旅客機から見た沼島

歴史

ぬしまむら
沼島村
廃止日 1955年4月29日
廃止理由 新設合併
南淡町、福良町沼島村南淡町
現在の自治体 南あわじ市
廃止時点のデータ
日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
三原郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,562
国勢調査1950年
隣接自治体 南淡町(航路を介して)
沼島村役場
所在地 兵庫県三原郡沼島村(大字なし)
座標 北緯34度10分8.3秒 東経134度49分13.4秒 / 北緯34.168972度 東経134.820389度 / 34.168972; 134.820389 (沼島村)
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伝統的な家並みを残す地区。

沿革

国産み神話

淡路島は、『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では淡路洲と書かれていて、伊弉諾尊(いざなきのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の産んだものとされる。

この『記紀』によると伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が天上の「天浮橋(あめのうきはし)」に立って、「天沼矛(あめのぬぼこ)」をもって青海原をかき回し、そのを引き上げたところ、矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。これがオノゴロ島で、二神はその島に降りて夫婦の契りを結んで国産みを行った。初めに造られたのが淡路島で、その後次々に島を生んで日本国を造られたとされる。おのころ島の所在地については諸説ある。そもそも架空の島であると言う説、淡路島北端の淡路市にある絵島、南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社のある丘、あるいは淡路島全体であるという説もある。しかし沼島には古来おのころ島の伝えがあり、天沼矛に見立てた奇岩、おのころ山に鎮座して二神を祭る「おのころ神社」が存在するため、沼島とする説もある[7]

経済

沼島漁港の漁業と、島外から訪れる観光客が島の経済を支えている。

沼島漁港は兵庫県管理の第2種漁港で、主にアジイカタチウオなどが水揚げされている。2008年平成20年)の水揚げ量は557t、登録漁船数は128隻[8]

  • 沼島海底送水管・送電線 - 対岸の灘地区との間に2条の送水管と関西電力の送電線が敷設されている[9]

山神組

明治時代の末から大正時代にかけて、下関を中心に活動した日本有数の水産会社であった山神組は、沼島出身の山野音吉・鶴松親子と、大阪・ざこばの鮮魚商であった神平商店が共同出資し作った会社で、1918年大正7年)には「日本水産株式会社」(現・ニッスイ)へ発展した。山野の「山」と神平商店の「神」の1文字ずつをとって「山神組」と名付けられた。山神組は、九州から朝鮮あたりの海で水揚げされた鮮魚類を、東京や京阪神をはじめ、中国上海にまで卸していた。現在も沼島八幡宮の玉垣の正面にその名が刻まれている[10]

原田定市とはらだ丸

1946年原田定市が始めた木造貨客船「原田丸」は後の沼島汽船の原型となる。

1886年明治19年)、北阿万村生まれの原田定市は北阿万の役場に勤務していたが、沼島の村長の依頼で沼島に単身赴任し、昼は沼島の役場に勤め、夜は発電所の修理をしていた。当初は3年間の予定だったが、世話好きだった定市はその後46年間に渡り数々の事業に取り組み、82歳で亡くなるまで沼島の発展に貢献した。簡易水道の設置、海底ケーブルの開設、プロパンガスの導入などで、島民から感謝され成功を収めた。中でも、もっとも大きな事業は沼島-洲本航路の開設であった。当時、島民が洲本への往来が不便であったことを、解決しようと59歳の時に開設を決意した[10]

1946年昭和21年)、重量21トン、定員30人の木造貨客船「原田丸」を就航させ、のちに「第二はらだ丸」も運航したが老朽化が激しく、新たに重量37トン・定員100人の鉄鋼船の「第三はらだ丸」の運航を始める。建造費は現在の貨幣価値で4,000万円〜8,000万円であった。定市は灘、沼島の人々にとってこの航路の必要性を痛感し、赤字覚悟で私財を投入し「はらだ丸」の経営を続けた。島民は『「第二はらだ丸」と比べると、「第三はらだ丸」は遊覧船のようだ』と言い、涙を流してこの航路を喜んだと伝えられる。これが現在の沼島汽船である。乗船料は200-300円、その後、400円から-600円くらいだった[10]

ハモ

関西で食材として人気があるハモの名産地でもあり、京都へも出荷されるほか、島内でハモ料理が味わえる[11]

観光

島内にコンビニは無い。 観光案内を兼ねている「吉甚」(よしじん) のほか、個人商店や食事が出来る店が数軒、旅館・民宿(宿)が3軒ある。

  • 沼島おのころクルーズ
  • レンタサイクル
  • 沼島海水浴場(シャワー・トイレあり)

  1. ^ 正式名称は灘漁港[3]
  2. ^ 1994年発見。世界でもこことフランスの2か所でしか見られない。日本の地質百選に選定されている[6]
  1. ^ 兵庫(瀬戸内海)の島嶼”. 第五管区海上保安本部 海洋情報部 (1990年). 2010年11月25日閲覧。 “沿岸域情報ハンドブック(平成2年3月刊行)”
  2. ^ 南あわじ市の人口と世帯数” (EXCEL). 地区・行政区別人口世帯数(令和5年度). 南あわじ市役所 市民課 (2023年6月2日). 2023年6月2日閲覧。
  3. ^ 兵庫県の港(瀬戸内海)”. 第五管区海上保安本部 海洋情報部. 2010年11月25日閲覧。 “灘漁港 第二種漁港 南あわじ市管理”
  4. ^ 沼島汽船・時刻表(2018年4月6日閲覧)
  5. ^ 沼島ってどんなところ”. 沼島漁業協同組合 (2004年). 2011年1月12日閲覧。
  6. ^ 南あわじ市 沼島観光スポット”. 南あわじ市. 2010年11月28日閲覧。
  7. ^ おのころ島神社”. 南あわじ市役所. 2010年11月28日閲覧。
  8. ^ 兵庫県/主な漁港の紹介(沼島漁港)”. 兵庫県農政環境部農林水産局漁港課 (2010年7月15日). 2010年11月28日閲覧。
  9. ^ 南あわじ市地域の主な水道施設”. 淡路広域水道企業団 (2005年). 2010年12月17日閲覧。 (PDF, 610KiB)
  10. ^ a b c 平成24年度 ディスカバー・NUSHIMA・ヒストリー”. 2021年6月4日閲覧。
  11. ^ 【おでかけスポット】兵庫・沼島 国生み神話ゆかりの地/迫力満点の景観 島グルメも堪能『日本経済新聞』夕刊2018年4月6日(くらしナビ面)
  12. ^ 南あわじ市 沼島めぐりガイド”. 南あわじ市. 2010年12月2日閲覧。
  13. ^ 沼島中学校について - 沼島中学校”. キッズ・ウェブ・ジャパン. 外務省. 2014年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月11日閲覧。
  14. ^ 航路標識技術の変遷一覧表”. 燈光会. 2015年2月28日閲覧。






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