国鉄オハ31系客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 04:43 UTC 版)
戦後の改造
戦災廃車
全国で使用された本系列は、太平洋戦争末期の米軍による空襲により、多数が被災し廃車された。また、戦後の混乱期にも事故により一部が廃車されている。これらは、一部がオハ70形客車として復旧されている。
- オハ31形(戦災45両)
- オハ31 4 → オハ70 18 → スニ75 18 → オエ70 41 → 廃車
- オハ31 7 → オニ70 1 → 廃車
- オハ31 11 → オハ70 12 → スニ75 12 → 廃車
- オハ31 12 → オハ70 13 → スニ75 13 → オエ70 50 → 廃車
- オハ31 14
- オハ31 64 → オユニ70 5 → オエ70 62 → 廃車
- オハ31 114 → オハ70 78 → スニ75 57 → 廃車
- オハ31 154
- オハ31 156
- オハ31 159
- オハ31 161
- オハ31 175
- オハ31 177
- オハ31 180
- オハ31 194
- オハ31 195
- オハ31 220 → オハ71 114 → スニ75 79 → オエ70 44 → 廃車
- オハ31 222
- オハ31 226
- オハ31 239
- オハ31 263 → オハ70 23 → スニ75 23 → オエ70 22 → 廃車
- オハ31 265 → オハ70 3 → スニ75 3 → 廃車
- オハ31 286 → オハ70 48 → スニ75 38 → 廃車
- オハ31 312 → オハ70 9 → スニ75 9 → 廃車
- オハ31 322
- オハ31 328 → オハ70 49 → スニ75 39 → スニ75 2039 → 廃車
- オハ31 334
- オハ31 345 → オハ70 7 → スニ75 7 → 廃車
- オハ31 350 → オハ70 57 → スニ75 47 → 廃車
- オハ31 356
- オハ31 391 → オハ70 25 → スニ75 25 → オエ70 31 → 廃車
- オハ31 396
- オハ31 397 → オユニ70 3 → 廃車
- オハ31 398 → オハ70 79 → スニ75 58 → スニ75 2058 → 廃車
- オハ31 400 → オハ70 43 → スニ75 111 → スニ75 151 → 廃車
- オハ31 405 → オハ70 77 → スニ75 56 → 廃車
- オハ31 410
- オハ31 431
- オハ31 453 → オハ70 1 → スニ75 1 → オエ70 29 → 廃車
- オハ31 460
- オハ31 471 → オハ70 2 → スニ75 2 → 廃車
- オハ31 479 → オハ71 51 → スニ75 41 → 廃車
- オハ31 481
- オハ31 495
- オハ31 501 → オハ70 39 → スニ75 31 → 廃車
- オハ41形(戦災4両)
- オハ41 11(オハ31 52) → オハ70 100 → スニ75 76 → 廃車
- オハ41 22(オハ31 91)
- オハ41 33(オハ31 244)
- オハ41 45(オハ31 256) → オハ70 11 → スニ75 11 → オエ70 18 → 廃車
- オハフ30形(戦災6両+事故2両)
- オハフ30 14 → オハ70 16 → スニ75 16 → オエ70 54 → 廃車
- オハフ30 28
- オハフ30 34(事故)
- オハフ30 57 → オニ70 2 → オエ70 30 → 廃車
- オハフ30 84(事故)
- オハフ30 103
- オハフ30 111
- オハフ30 123
- オハフ40形(戦災1両)
- オハフ40 10(オハフ30 92)
- オロ31形(戦災19両)
- オロ31 19 → オユニ70 2 → 廃車
- オロ31 20 → オハ70 62 → スニ75 52 → 廃車
- オロ31 21
- オロ31 22
- オロ31 26
- オロ31 28
- オロ31 35
- オロ31 36 → オニ70 5 → オエ70 21 → 廃車
- オロ31 38 → オニ70 6 → オエ70 8 → 廃車
- オロ31 40
- オロ31 42
- オロ31 73 → オハ70 15 → スニ75 15 → 廃車
- オロ31 77 → オハ70 85 → スニ75 62 → 廃車
- オロ31 78
- オロ31 85
- オロ31 96
- オロ31 103 → オハ70 40→ スニ75 32→ スニ75 2032→ 廃車
- オロ31 135
- オロ31 142 → オユニ70 1 → 廃車
- オロハ30形(戦災3両+事故1両)
- オロハ30 1(事故)
- オロハ30 5
- オロハ30 18 → オハ70 10 → スニ75 10 → オエ70 45 → 廃車
- オロハ30 36 → オニ70 3 → オエ70 1 → 廃車
- マハ37形(戦災1両)
- マハ37 4(マイネ37 4)
- マハ47形(戦災18両+事故1両)
- マハ47 6(マロネ37 6) → マニ77 1 → マニ78 1 → スエ78 1 → 廃車
- マハ47 8(マロネ37 8) → オハ77 13 → オハ78 13 → マユニ78 4 → 廃車
- マハ47 12(マロネ37 12) → オハ77 30 → オハ78 30 → マユニ78 29 → 廃車
- マハ47 13(マロネ37 13) → オハ77 12 → オハ78 12 → マユニ78 3 → スエ78 12 → 廃車
- マハ47 15(マロネ37 15) → オハ77 4 → オハ78 4 → マユニ78 17 → 廃車
- マハ47 21(マロネ37 21)
- マハ47 38(マロネ37 38)
- マハ47 114(マロネフ37 2) → オハ77 23 → オハ78 23 → マユニ78 9 → スエ78 6 → 廃車
- マハ47 115(マロネフ37 3) → オハ77 27 → オハ78 27 → マユニ78 28 → 廃車
- マハ47 125(マロネフ37 13・事故) → マニ77 6 → マニ78 5 → スエ78 10 → 廃車
- マハ47 126(マロネフ37 14) → オハ77 28 → オハ78 28 → マユニ78 11 → スエ78 13 → 廃車
- マハ47 128(マロネフ37 16) → オハ77 1 → オハ78 1 → マユニ78 1 → スエ78 4 → 廃車
- マハ47 131(マロネフ37 19)
- マハ47 166(スシ37 6)
- マハ47 174(スシ37 14)
- マハ47 175(スシ37 15) → マニ77 2 → マニ78 2 → 廃車
- マハ47 176(スシ37 16) → オハ77 14 → オハ78 14 → マユニ78 5 → 廃車
- マハ47 193(スシ37 33) → オハ77 26 → オハ78 26 → マユニ78 10 → スエ78 7 → 廃車
- マハ47 198(スシ37 38)
- マロネフ37形(事故1両)
- マロネフ37 9(事故)
- オハニ30形(戦災8両)
- オハニ30 11 → オハ70 61 → スニ75 51 → 廃車
- オハニ30 21
- オハニ30 22
- オハニ30 23
- オハニ30 26
- オハニ30 30 → オハ70 86 → スニ75 63 → スニ75 2063 → 廃車
- オハニ30 36
- オハニ30 47 → オハ70 38 → スニ75 30 → 廃車
- スニ30形(戦災9両?+事故7両?)
- スニ30 3(事故)
- スニ30 5(事故)
- スニ30 15(事故) → オニ70 7 → オエ70 24 → 廃車
- スニ30 18 → 松尾鉱業鉄道オハフ9
- スニ30 23 → オハ70 74 → スニ75 53 → オエ70 32 → 廃車
- スニ30 34 → オハ70 75 → スニ75 54 → 廃車
- スニ30 42 → オハ70 17 → スニ75 17 → オエ70 42 → 廃車
- スニ30 43(事故) → オハ70 84 → スニ73 6 → オエ70 43 → 廃車
- スニ30 54(事故)
- スニ30 59(事故) → オハ70 59 → スニ75 49 → オエ70 51 → 廃車
- スニ30 69 → オハ70 24 → スニ75 24 → オエ70 39 → 廃車
- スニ30 78 → オハ70 4 → スニ75 4 → 廃車
- スニ30 89(事故)
- スニ30 92
- スニ30 98
- スユ30形(戦災2両+事故1両)
- スユ30 2(事故)
- スユ30 15
- スユ30 18 → オハ70 76 → スニ75 55 → オエ70 34 → 廃車
- カニ37形(戦災2両)
- カニ37 1 → オハ77 9 → オハ78 9 → マユニ78 13 → スエ78 8 → 廃車
- カニ37 5 → オハ77 2 → オハ78 2 → マユニ78 2 → スエ78 11 → 廃車
進駐軍用改造車
- オイ30形⇒オイネ33形
- :1946年2月にオロ31 2を改造した車両。軍番号1718、軍名称WORCESTER。1947年(昭和22年)3月にオイネ33 1に改造。1950年(昭和25年)3月に特別職用車オヤ28/オヤ50 11に改造された。
- スイネ39形
- マハネ37形
- オシ32形
- 1950年にスニ30 36を改造した車両。1956年(昭和31年)に元形式、番号に復元された。
二等車(旧三等車)
- オハ31形
- 511・512
- オロ31 48・102を改造した車両。1962年に511が、1966年に512がそれぞれ廃車された。
- 511・512
- オハ30形(2代)
- オハ31 310・351・361 - 364を1961年に通勤車化改造した車両。ロングシートでつり革を設けていた。1969年(昭和44年)までに廃車された。
- オハフ31形(2代)
- オハ30形(2代)と対をなす緩急車で、種車は71・72。オハフ30形を1961年に通勤車化改造した車両。1969年までに廃車された。
- マハ29形
- 70 - 74
- マハネ29 1・5・7・11・13を改造した車両。1967年までに廃車された。
- 他の70番台はスハ32系に属する。
- 他に100番台および150番台が存在したがスハ32系に属する。
- 70 - 74
二等車(旧三等車)(格下げ車)
- オハ26形
- オロハ30 3・4・6 - 9・11・12・14・20 - 23・26 - 32・34・35・37・38・43 - 47の一等室を格下げ改造し、二等車とした車両。1966年12月に43が廃車され形式消滅した。
- オハ27形
- 1961年10月のダイヤ改正で、設備が陳腐化して一等車として使用に問題のある17m鋼製車であるオロ30形とオロ31形を格下げした車両。内部の設備はそのままで改称が実施されたのみであった。
- 0番台
- オロ31 1・2・5・8 - 13・17・18・24・25・27・29・31・33・34・44・46・47・51・52・55 - 60・62 - 64・66・67・69・70・74・75・86 - 94・97 - 100・108・110・112・113・115 - 117・119・125・127・130 - 132・134・138・143を格下げした車両。52がオヤ30 4に改造され、3両が江若鉄道に払い下げとなった。1965年に形式消滅した。
- 150番台
- オロ30 1を格下げした車両。1両のみの存在であった。1963年に廃車となった。
- スハ38形
- 0番台
- スロハ38形(0番台)を格下げした車両。8が欠番だった。1971年(昭和46年)に区分消滅した。
- 他の0番台はスハ32系に属する。
- 30番台
- スロハ38 33・35・39・41を格下げした車両。1966年までに廃車された。
- 他の30番台はスハ32系に属する。
- 他に100番台が存在したがスハ32系に属する。
- 0番台
一・二等合造車(旧二・三等合造車)
- スロハ38形
- 0番台
- マロネ37形(旧マロネ37300形)であったマハ47 5・9・16 - 18・20・22 - 25・27・29・30・35・39・40を改造した車両。8が廃車され、残りはスハ38形に格下げされた。
- 他の0番台はスハ32系に属する。
- 30番台
- マロネフ37形(旧マロネフ37500形)であったマハ47 113・116 - 118・120・122 - 124・127・129・130を改造した車両。4両がスハ38形に格下げされ、残りは廃車された。
- 他の30番台はスハ32系に属する。
- 他に100番台が存在したがスハ32系に属する。
- 0番台
郵便・荷物車(改造車)
- スニ30形
- 109
- 進駐軍に接収されていたスユ30 28を改造した車両。スエ30 29に改造された。
- 109
- スユニ30形
- 21・22
- 1951年(昭和26年)から1952年にかけてスユ30 4・24を改造した車両。21はスエ30 45に改造され、残った22も1966年に廃車された。
- 21・22
- カニ29形
- カニ38形
- :国鉄10系客車#荷物車のカニ38形の項目参照。
職用車
- オヤ50形(初代)
- 1950年3月にオイネ33 1を改造した特別職用車。11のみ存在した。特別職用車番号オヤ28。仙鉄局用。展望室・寝室・調理室があった。特別職用車中では唯一の17m車。1952年6月にオロ31 2に復元された。
- スヤ39形(初代)
- 1950年6月にスイネ39 1を改造した特別職用車。1のみ存在した。特別職用車番号スヤ4。本庁用。車内設備は図面上スイネ39 1と同等のため、実質的な改造はなかったと見られる。1953年外国人貸切用などに用いた特殊営業用スイ48 1、1953年スイ99 1への改番を経て1960年3月廃車[8]。
- スヤ39形(2代目)
- 0番台 (2 - 5)
- オヤ27形
- 1960年から1961年にかけてオハ31 23・24を改造した工事車。室内は大きく改造され宿泊用設備などが整えられていた。北海道地区で使用され、1976年(昭和51年)までに廃車となった。
- オヤ30形
- 1960年から1963年にかけて高砂などの国鉄工場で改造した職員輸送車。1983年(昭和58年)までに廃車された。
- 0番台
- 1
- オロハ30 15を改造した車両。
- 2・3
- オハ31 31・73を改造した車両。
- 4
- オハ27 52を改造した車両。オロ31形の時代に工場の失火により被災した車両を復旧したものといわれ、丸屋根になっていた。
- 1
- 5 0番台
- オハフ30 23・24・30・38・87・88を改造した車両。1968年(昭和43年)に廃車された。
保健車
- マヤ38形(初代)
試験車
- コヤ90形
- 1961年に国鉄大船工場でオロ31 104を改造した新幹線車両輸送限界測定用の試験車。
- 東海道新幹線の開業を控え、在来線を使用して車両メーカー各社から車両基地まで新幹線車両を輸送する際に、輸送経路上の各線の地上施設の建築限界が、在来線の車両限界より最大長、最大幅共に大きい新幹線規格の車体の輸送に支障がないか、事前に調査するために用意された車両である。
- 外観は車体が撤去されているため種車の面影はほとんどない。台枠は中央部分で延長され、台車心皿間の長さは新幹線車両に合わせてあった。
- 矢羽根は車両中央部および両端に設置され、その動きは添乗員が直接目視して確認した。また両端の矢羽根は連結器より外側に設置されているため、実際の使用に際しては前後に長物車を控車として連結する必要があった。
- ブレーキ管の引き通しはあったが、ブレーキ装置の搭載は省略されていた。車体塗色は黄1号。東日本旅客鉄道(JR東日本)が継承したが、1990年(平成2年)に廃車となった。
配給車
- オル30形
- スニ30形・スユ30形を種車として改造された配給車である。
- 郵便取扱設備や仕切壁などを撤去した車室の中央には配給物資を載せるための棚が設けられ、資材局から各区所に支給される配給物資などを載せて運用された。
- 配送先区所により貨物列車に併結されて移動することがあるため、車体側面には貨車と同様の票差しが取り付けられているのが特徴である。
- また、長期間の乗務に対応するために旧車掌室を拡大して設けられた添乗員室には、寝台や執務用机、調理用の流し、石炭ストーブが設置されていた。
- 車内の設備の違いにより、下記の番台に区分される。
- 0番台
- 1957年から1961年にかけて幡生・長野の各国鉄工場で改造されたグループで、スニ30 45・99、スユ30 3・6 - 8・11・13・22・29の計10両に施工された。
- 施工時に便所が撤去されていたのが特徴である。
- 一部の車両は荷物室の側扉が1,800 mm幅の両開き式に改造されていた。
- 改造後は各地の資材局に配置され、1985年(昭和60年)までに廃車となり形式消滅となった。
- 100番台
- 1958年から1960年にかけて旭川・長野の各国鉄工場で改造されたグループで、スユ30 1・12・16・17・20に施工された。
- 施工時に便所が撤去されずに存置されていたのが特徴である。
- 1,500 mm幅の側扉を1,000 mm幅に改造したものとそのままとしたものが存在した。
- 改造後は各地の資材局に配置され、1971年までに廃車となり区分消滅した。
- オル31形
- 1957年から1966年にかけて旭川、幡生、松任、盛岡、長野、大船、大宮、多度津、土崎の各国鉄工場で改造された。
- 種車が座席車であることから施工時に資材搬出入用の側扉が設けられ、座席などを撤去した車室の中央には配給物資を載せるための棚が設けられ、資材局から各区所に支給される配給物資などを載せて運用された。
- 配送先区所により貨物列車に併結されて移動することがあるため、車体側面には貨車と同様の票差しが取り付けられていたのが特徴である。
- また長期間の乗務に対応するために添乗員室が設けられ、寝台や執務用机、調理用の流し、石炭ストーブなどが設置されていた。
- 車内の設備の違いにより、下記の番台に区分される。
- 0番台
- 改造施工時に便所が撤去されたグループである。
- 番号と種車の対照は下記のとおりである。
- 1 - 25・28 - 45・47・49 - 51
- 種車がオハ31 1・5・20・38・67 - 71・77・79・98・109・110・127・131・145・149・151・152・155・186・190・192・208・209・228・232・238・270・273・285・288・308・331・332・353・388・389・412・461・470・474・475・484のグループである。
- 46
- オロ31 54を種車にして改造した車両である。
- 48・52・53
- 種車がオハフ30 41・85・95のグループである。
- 改造後は各地の資材局に配置され、1972年までに廃車となり区分消滅した。
- 200番台
- 改造施工時に便所が存置されたグループである。
- 番号と種車の対照は下記のとおりである。
- 201 - 220
- 種車がオハ31 6・9・10・17・39・65・158・185・206・309・319・339・347・357・372・387・426・430・465・491のグループである。
- 221 - 223
- 種車がオハフ30 1・3・12のグループである。
救援車
- スエ30形
- 1
- 1953年の車両称号規程の改正でオヤ9920形(オヤ9920)を改称した車両。
- 旧形式の「オヤ9920」は本来雑形の木製3軸ボギー車に与えられる番号であるが、これは書類上の種車を示すものであり、実際には現車の状態が悪かったために非公式に振替が行われており、実際の種車とは一致しない。
- 1947年に国鉄長野工場でスニ9750形(スニ9755)[注釈 9]を改造して救援車とすることとなったが、実際の改造にあたっては前年に事故廃車となったオハ34 45(元スハネ30100形→スハネ31形)の車体の状態が良かったことから、こちらが種車とされた。
- 車歴上のルーツはともかく、実際にはスハネ30100形として製造された車両であるため、長形台枠を備え、丸屋根でリベットの少ない車体でTR23台車を装着するなど、スハ32系丸屋根車としての特徴を明確に備えていた。
- 1953年の称号改正で雑形客車としての旧形式から改称される際に、本来のスハ32系としての形式ではなく一世代古いオハ31系としての形式が与えられた理由は不明である。
- 1968年10月に廃車された。
- 2以降
- 2・3・5 - 7
- 1960年から1961年にかけてスユ30 5・14・21・26・27を改造した車両。1987年(昭和62年)2月に2が廃車され区分消滅した。
- 4・14・15・20 - 25・46・59・60
- 1960年から1967年にかけてスユニ30 1 - 4・7・11・12・17・18・20を改造した車両。46はスユニ30 21を再改造した。1987年2月に15が廃車され区分消滅した。
- 8 - 13・16 - 19・26 - 39・42 - 45・47・48・50・51・55・57・58
- 2・3・5 - 7
- 1
- 40・41・49・52 - 54
- 1962年から1964年にかけてオハニ30 5・15・19・29・48・49を改造した車両。1986年(昭和61年)3月に41が廃車され区分消滅。
- 56
- 1964年にオハ31 198を改造した車両。1975年12月に廃車。
- 62
- 40・41・49・52 - 54
- スエ38形
- 大宮、旭川、新小岩の各国鉄工場で改造。
- 外観は種車とほぼ同じだが、妻面に窓を増設、あるいは貫通扉を鉄板で塞いで非貫通形とした車両もあった。
- 1 - 4
- 1962年から1963年にかけてカニ29 11 - 13・16を改造した車両。1980年(昭和55年)12月に3が廃車され区分消滅した。
- 5 - 7
- 1963年から1964年にかけてカニ29形(20番台)を再改造した車両。1982年3月に7が廃車され区分消滅した。
- 8
- 国鉄10系客車#救援車のスエ38形の項目参照。
注釈
- ^ 朝倉は具体名を挙げていないが、日本の半鋼製車両第1号は1923年(大正12年)の川崎造船で製造された神戸市電200形、全鋼製車第1号は1925年(大正14年)の阪神急行電鉄500形[1]。
- ^ 事故の衝突にはさまざまな形態があるが、特にひどいのが、木造車でも鋼製である台枠が「衝突で飛び上がった際に隣の車両に突き刺さる場合」で、木造車同士の場合、木の柱がこれに耐えられずに折れて木造部がお互い入り込むが、鋼製車の場合、妻面全体で激突するので車体同士が入り込む危険がないため。
- ^ その後工場の準備が整い、柱は薄板の折り曲げ、屋根も鋼製になったが内部の化粧張は木造のままだった。
- ^ P弁後継となるこのブレーキ弁は、鉄道省から日本エヤーブレーキ・三菱造船所の2社に対し、競作による開発指示が出されていたものである。日本エヤーブレーキによる試作品は同年8月に完成し、その後同年度中に鉄道省側での実用試験を完了して制式化された。A動作弁は機能的には当時のWABCO社製電車・客車用ブレーキ弁の最高級品であったU自在弁の簡略化版に当たり、U弁ほどの長大編成対応や高速応答性能は得られないが、その代償として機構が大幅に簡素化されるため、保守時に使用する旋盤さえ満足に普及していなかった当時の日本の国情に良く適合する、というメリットがあった。
- ^ 『決定版昭和史 第6巻』(毎日新聞社、1984年)で車番が判読できる。
- ^ スシ37形食堂(写真2-21)にある片持灯の裏側に位置する部品[4]。
- ^ このうち、スニ30 96は改番前の1941年9月16日の山陽線網干駅列車衝突事故により廃車されており、旧番号のスニ30661からスニ30 96への改番は書類上の処理のみ[要出典]。
- ^ スヤ39 2の車内写真では、テーブルや椅子は省略され、配膳口とストーブのみ設置されている[9][10][11]。
- ^ 帝国鉄道庁オハ225(1908年に帝国鉄道庁新橋工場で製造された、当時最新鋭の木造3軸ボギー式三等座席車)をルーツとする木造雑形荷物車。
出典
- ^ (福原2007)p.74-77「2-1 鋼製車体と電動発電機の誕生」
- ^ a b (朝倉1980-1)p.106
- ^ (朝倉1980-1)pp.106 - 107
- ^ 『スハ32800形の一族』上巻、p.170
- ^ 鉄道ピクトリアル1970年9月号、pp.20 - 21
- ^ 鉄道ピクトリアル1970年9月号、p.22
- ^ 『運輸公報』1948年10月16日『「スイネ39 1」及びスイテ47 1号車の取り扱いについて』。
- ^ a b 『特別職用車』p.19、『国鉄客車1950』p.76。
- ^ 『オハ31形の一族』下巻、p.163(写真9-13 - 17
- ^ 『最近10年の国鉄車両』pp.438 - 439
- ^ 『日本の客車』p.253(写真564 - 566)
- ^ 古沢明・近藤明徳「日立製作所水戸工場の通勤車」『鉄道ファン』No.76
固有名詞の分類
- 国鉄オハ31系客車のページへのリンク