住友別子鉱山鉄道1形蒸気機関車とは? わかりやすく解説

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住友別子鉱山鉄道1形蒸気機関車

(国鉄ケ96形蒸気機関車 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/28 02:53 UTC 版)

住友別子鉱山鉄道1形蒸気機関車
1号機(別子銅山記念館に保存)
基本情報
形式 飽和式ウェルタンク
種車 伊豫鉄道甲6型蒸気機関車(初代)
十勝上川運材軌道17号機
佐世保軽便鉄道3号機
鉄道省ケ96形
主要諸元
軸配置 0-4-0(B)
軌間 762 mm
全長 4,850 mm(当初)
5,093 mm(連結器交換後)
全幅 1,905 mm
全高 2,681 mm(パイプ形に交換後)
2,997 mm(ダイヤモンド形装着時)
空車重量 7.70 - 7.92 t
運転整備重量 9.57 - 10.39 t
動輪上重量 9.57 - 10.39 t
軸距 1,100 mm
動輪径 680 mm
軸重 4.99 - 5.26 t(第1動輪)、4.58 - 5.13 t(第2動輪)
シリンダ数 2気筒
シリンダ
(直径×行程)
225 mm × 300 mm
弁装置 外側式スチーブンソン式
ボイラー圧力 12.0 kg/
ボイラー水容量 0.72 ㎥
小煙管数 44 mm × 2,114 mm × 58本
火格子面積 0.34 ㎡
全伝熱面積 18.65 ㎡
煙管蒸発伝熱面積 16.94 ㎡
火室蒸発伝熱面積 1.71 ㎡
燃料搭載量 0.345 、0.25 t
水タンク容量 0.78 ㎥(1 - 4号機)
1.00 ㎥(5 - 10号機)[注釈 1]
制動装置 手ブレーキ反圧ブレーキ
動輪周出力 50 PS
シリンダ引張力 2,280 kg(0.85P)
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1形は、かつて住友別子鉱山鉄道で使用されたタンク式蒸気機関車である。1号機は別子1号機関車とも。

本稿では譲渡車である伊豫鉄道甲6形蒸気機関車(初代)十勝上川運材軌道17号機佐世保軽便鉄道3号機鉄道省ケ96形などについても解説する。

概要

1892年(明治25年)に、別子銅山の鉱石輸送用鉄道で使用するため、1台16,000円で、ドイツクラウス社にて製造された。1901年(明治34年)までに、10両が輸入された。メーカーでは、系列番号[注釈 2]27と称されるもので、同系機は全世界に717両あり、すべてゼントリング工場製であるが、日本に来着した系列番号27は、この10両のみであった。その状況は、次のとおりである。

  • 1892年:1 - 4(系列番号 27ii、製造番号 2679 - 2682)
  • 1894年:5, 6(系列番号 27ss、製造番号 3073, 3074)
  • 1896年:7(系列番号 27yy、製造番号 3399)
  • 1898年:8, 9(系列番号 27zg、製造番号 3923, 3924)
  • 1901年:10(系列番号 27zq、製造番号 4394)

上部鉄道の機関車や貨車は分解して運ばれ、山で組み立てられた[1]

9年間にわたって増備されたため、ロットによってサイドタンクや運転室後部の形状に差がある。また、背面には楕円形の窓が3個設けられていた。機関士はドイツから招かれたという。

製造時の1 - 4号機のサイドタンクは水槽ではなく、左側は炭庫、右側は道具箱および反圧ブレーキ用冷却水を収容していた。5号機以降は、製造時から前方に水槽を設けており、2 - 4号機には改造により設けられた。1号機はサイドタンクの増設はされなかった[注釈 3]。製造時の煙突は、10号機を除き火の粉飛散防止用のダイヤモンド形であったが、後年、パイプ形に改められている。クラウス社の記録では、運転整備重量や空車重量にも差があった。

運用

上部鉄道では、当初輸入されていた4両のうち2両が常時運用され、連日見物人で賑わったという。10 の上り勾配を120 tの貨物を牽引し、当初としては速い16キロの速度で走れる性能があったものの、鉱石、粗、食料など約4 tが積まれた貨車3 - 4両を牽引していた[1]

譲渡

伊予鉄道甲6形蒸気機関車(初代)

10両のうち、5 - 7号機(6号機は1号機が改番されたもの)については、1912年(明治45年)6月に廃車され、伊予鉄道に譲渡された[2]。同社では甲6形(初代)15 - 17号機となったが、従来機より大型で、不具合も多発したため、1917年(大正6年)[2]12月には早くもスクラップとして売却された。当時は第一次世界大戦後で鉄材の価格が高騰していたという。ただし、3両とも解体されず、再起した。

十勝上川運材軌道17号機

元の15号機は樺太工業恵須取工場に入り石炭運搬に使用されたが、同社が1933年(昭和8年)5月に富士製紙と共に王子製紙に合併したので、その樺太落合工場(元の富士製紙工場)に移り、更に1939年(昭和14年)頃に同社十勝上川運材軌道に移動し、17号機となった。この線が農林省に譲渡された後休車となり、1950年(昭和25年)に王子製紙苫小牧工場専用鉄道に引取られ、間もなく廃車された。

元の16,17号機(15号機については不明)は大阪の楠木製作所に持ち込まれ、再製され、名義上、1919年(大正8年)楠木製作所製となっている。

佐世保軽便鉄道3号機・鉄道省ケ96形

元の16号機は佐世保軽便鉄道(後の佐世保鉄道)の開業用となり同社の3号機となっている。さらに、同社が1936年(昭和11年)に国有化されたのにともない、鉄道省籍に編入され、ケ96形ケ96)に改番されて、1944年(昭和19年)の改軌工事終了まで使用された。その後1948年(昭和23年)5月に廃車された。

そのほか

元の17号機は台湾の明治製糖蒜頭工場に入り、後、烏樹林工場に移った。番号は24であった[3]。その後の動静は不明である。

4,9号機については、1939年(昭和14年)に福岡県飯塚市の住友系列の忠隈炭鉱に売却されたが、残りの1 - 3, 8, 10号機は最後まで残り、保存された1号機(4号機が改番されたもの)を除いて1959年(昭和34年)に解体された。

保存

1号機が、愛媛県新居浜市別子銅山記念館静態保存されており、1963年(昭和38年)には準鉄道記念物に指定されている。

脚注

注釈

  1. ^ 原形を示す。2 - 4号機は後に増設されている
  2. ^ Zeichnungsnummer von Kraussの金田茂裕による仮訳。
  3. ^ 楠木製作所のカタログ写真による。

出典

  1. ^ a b 『愛媛の国鉄回想』松山印刷、1989年4月1日、381,383頁。 
  2. ^ a b 『伊予鉄が走る街 今昔』JTB、2006年6月15日、140頁。 
  3. ^ 烏樹林工場の「蒸汽機関車圖」による。

参考文献

  • 臼井茂信「機関車の系譜図 2」1973年、交友社
  • 臼井茂信「国鉄狭軌軽便線 22」鉄道ファン 1985年8月号(No.292)、交友社
  • 金田茂裕「クラウスの機関車」1983年、機関車史研究会
  • 近藤一郎「クラウスの機関車追録」2000年、機関車史研究会
  • 近藤一郎「改訂版クラウスの機関車追録」2019年、機関車史研究会
  • 金田茂裕「国鉄軽便線の機関車」1987年、機関車史研究会
  • 伊豫鐡道電氣(株)「五十年史」1936年、伊豫鐡道電氣(株)




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