ハドソン 歴史

ハドソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 16:48 UTC 版)

歴史

ハドソン創業

サイドビジネスに失敗して帰郷
創業者の工藤裕司は北海道ニセコ町出身であり、日本大学理工学部在学中から行っていた、自ら撮影した蒸気機関車の写真を販売するサイドビジネス「グループハドソンプロダクション」をしながら、大学卒業後には名古屋でサラリーマンをしていた。
しかし上記のサイドビジネスにおいて、資金管理に関して無知だったために信頼していた人間に金を持ち逃げされるなどトラブルを多く抱え、本業も退社し、失意の内に帰郷することになった。
札幌にて兄弟で創業
1973年5月18日、札幌市豊平区に通信機器と美術写真の販売を目的とした、有限会社ハドソンとして創業[7]。同年9月にアマチュア無線ショップCQハドソンを開店[8]。当初は喫茶店を開業するつもりだったが、同一建物内で別の借り主が喫茶店を開業したため、急遽無線ショップに変更したとも言われている。
なお、上記のトラブルを踏まえ信用できる人間を使うという意味で、当時北海学園大学法学部2年生だった実弟の工藤浩を中退させ、経営サイドに引き込んでいる。ただし、アマチュア無線販売時代のハドソンはほぼ毎月赤字だった。
工藤が最も気に入っていた蒸気機関車「C-62(シーロクニ、シロクニ)」の車軸配置「車輪配置 4-6-4」の愛称、"ハドソン"がそのまま社名になった[8]。また、ハドソンの代表電話の下4ケタは4622[11]ハドソン東京営業所の入り口が駅風の看板がある事も似たような理由がある[要出典]

パソコンのソフトメーカー時代

パソコン&ソフト事業のスタート
1970年代末、工藤裕司がアメリカでのホビーパソコンのブームを伝える雑誌記事を目にし、米国への視察旅行を行い、そこで高額なパソコン「POLY88」を購入し持ち帰った[12]。無線機器の販売だけではなく、付加価値をつけた商売の必要性を感じたためであった[12]
その後、パソコンの販売はもとより、アメリカ視察で購入したパソコンで組んだソフトウェアの制作・販売を手掛けるようになり、1978年には日本で初めてパソコン用パッケージゲームソフトの開発・販売業務を行うようになる。当時は、同じ電子機器を扱っているからという理由で多くのアマチュア無線ショップがパソコン販売会社に鞍替えしていた。
ソフトウェアに関しては、当初はパソコンを購入した客が自力でプログラムを開発できない場合のおまけとしての存在だった。この時点のハドソンにはまだ開発用の機材がほとんど無く、顧客に販売するコンピュータを納品の前日にこっそり開梱しプログラムを打ち込み、当日朝には再度梱包して納品するという、ある種の自転車操業を行っていたこともある[13]。なお、ソフトは店頭販売も行っていたが、ローカル都市の1ショップであり広告宣伝もさほど行っていなかったため、知る人ぞ知るという状況だった。
オリジナルソフトの通販で躍進
ショップは次第に、北海道大学の学生などを主とした札幌市内のパソコンマニアの溜まり場となった。後にハドソンに入社してボンバーマンの生みの親となる中本伸一など、一部の学生はアルバイトとして自らソフトを開発し、それらのソフトも店頭で販売するようになったが[14]、「いつ潰れてもおかしくない資金繰り」だった[15]
しかし1979年、ハドソンが扱っていたパソコンの販売元シャープの勧めで、「月刊マイコン」(電波新聞社)昭和54年7月号にオリジナルソフトウェアの通信販売広告を掲載すると一転、郵便局員が毎日のように現金書留の詰まった白い袋を担いで来る状況になり、莫大な利益を得ることになった。当時のハドソン社内では郵便局員を「サンタクロース」と呼んでいた[15]
以降、パソコンソフト開発で高い技術力を発揮し精力的に作品を発表し、一躍ハドソンは日本を代表するパソコンソフトメーカーとしての認知を得る。ただし、当初は主にシャープMZシリーズ、X1シリーズ用のBASIC(Hu-BASIC)などを手掛けており、日本で圧倒的な人気があったNECPC-8000シリーズ用のソフトを開発していなかった[16]。そのため、ハドソンの名前は当時のパソコンのライトユーザーには浸透していなかった。
ソフトバンクとの独占契約
1981年には孫正義率いるパソコンソフトの流通会社である日本ソフトバンクと独占契約を結び、上新電機を始めとする全国の主なパソコン販売店の店頭でソフトウェアが販売される体制を確立した。なおソフトバンクの歴史でハドソンの存在は必要不可欠と言われており、現在も孫は工藤兄弟を「恩人」と呼び、事ある毎に礼を欠かしていない[17]

家庭用ゲームソフトの開発

ファミコン市場への参入
1983年に任天堂家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータを発売。ハドソンはこの時期にファミコン向けBASIC言語ファミリーベーシック」を共同開発した。これを契機にファミリーコンピュータ用ゲームソフト開発に乗り出す。
主にパソコンソフトの開発者をそのままファミコンソフトの開発担当としたため、ハドソンのパソコン事業は徐々に規模を縮小していくことになったが、この方針転換は、当時専務だった工藤浩がデパートの丸井今井札幌店(当時はハドソンのアンテナショップも置かれていた)にてファミコンの『ドンキーコング』を遊んでいる子供たちを見て、このゲーム機はいずれパソコンでのゲームを追い抜くと判断したことによるもので、創業者の工藤裕司もその判断を支持したためである。
事実上、初のサードパーティーとなったことで、初期参入会社と同様に、任天堂からソフトの年間発売制限数の緩和やロイヤリティなどの優遇措置を受けることになり[18]、ハドソンはファミコン黎明期にヒット作を連発し、ファミコンのソフトメーカーとして一躍名を馳せる。
ヒット作を連発して大成功
他会社と決定的に違ったのは、社内に自由な空気があり、積極的に独自の企画を生み出したことである。全国各地を巡業するゲーム大会「ハドソン全国キャラバン」や、16連打でスイカを割る「高橋名人」は小学館の『コロコロコミック』を筆頭に児童誌でも大々的に取り上げられ、高橋を題材にした『高橋名人の冒険島』の他にも『忍者ハットリくん』や『ドラえもん』『ロードランナー』『桃太郎伝説』などが100万本以上のミリオンセラーを記録するなど、ファミコン人気を決定的なものにした。
PCエンジンには『原人シリーズ』や『桃太郎シリーズ』『天外魔境シリーズ』『ボンバーマンシリーズ』等の代表的な作品・シリーズだけでなく『R-TYPE』『イースI・II』など極めて完成度の高い移植も手掛けている。初めての分野や技術にも積極的に挑戦し、1988年12月には世界で初めてCD-ROMを媒体としたゲームソフトを開発・発売した他、2000年8月にはコンシューマーゲーム初のMORPG『ルーンジェイド』を発売した。
その他にも『スーパー桃太郎電鉄III』や『桃太郎電鉄7[19]がミリオンを達成したり、1998年の時点でボンバーマンシリーズが累計販売本数1000万本を突破する[注釈 4]など、様々なプラットフォームでゲームソフトを供給するソフトメーカーの雄として存在を示した。
2005年にコナミの子会社となった以後も吸収されるまでゲームソフトの供給を続けており、2008年発売のWii用ゲームソフト『DECA SPORTA Wiiでスポーツ"10"種目!』は全世界累計約277万本[20]を販売し、以後シリーズ化された。

家庭用ゲーム機「PCエンジン」の開発

ハドソンは本来、技術者の集団ということもあり、任天堂のサードパーティーとして、ファミコンブームの立役者としての立場に甘んじる事無く、独自のハード作りにも乗り出した。

1987年に日本電気ホームエレクトロニクス(NEC HE)と共同開発した家庭用ゲーム機PCエンジンは、ハドソンが独自に設計開発したCPU、サウンドチップ、画像処理チップなどC62システムと呼ばれるHuC62シリーズを搭載しており、実質ハドソンが開発したゲーム機である。

PCエンジンは、当時のライバル機である任天堂スーパーファミコン(全世界累計4,910万台)やセガメガドライブ(全世界累計3,075万台)と、日本を含め世界市場で覇権争いを展開した。全世界累計の販売台数は1000万台を記録しており、ライバル機の売上には及ばないものの、競合をはるかに凌駕する「美麗なグラフィック」「高音質な楽曲・音声セリフ」「CD-ROMドライブによる大容量ゲーム」などを実現するなど、プレステなどの次世代機の可能性を感じさせる一時代を築いた名機として、おおむね成功といえる結果を残した。

1994年12月に発売された、後継機種である次世代ゲーム機『PC-FX』の音源や動画処理などのチップセットも、PCエンジンと同様にHuC62シリーズが採用された。しかし当時、次々と発表された競合ハードであるPlayStationセガサターンNINTENDO64の3D性能に対抗すべく急遽PC-FXに搭載する予定だった3Dポリゴン用チップの開発が間に合わず、結果としてPCエンジンの延長線上である従来型の2Dゲーム路線のソフト開発がメインになってしまうなど、急速に発展する3Dゲーム市場からは後塵を拝してしまう。

本機を最後に、ハドソンはハード開発から撤退する事になったものの、長年NEC HE系列のファーストパーティー的な存在であり続けた。

ゲーム関連分野や、それ以外の分野への進出

1991年にコンピュータプログラマー、デザイナーの養成を目的に「ハドソンコンピュータデザイナーズスクール株式会社[注釈 5]」を設立し同スクールを開校、コンピュータゲームに関わる人材を養成していたが、1997年に同社を「株式会社フューチャービー(後に株式会社未来蜂歌留多商会に商号変更)」とし、トレーディングカードの企画・開発・販売事業に乗り出した。同年4月には東京都千代田区にあるサンポウ水道橋ビルの2階にトレーディングカードを扱うパイロットショップ「フューチャービー」を開店し、後に全国に展開された。

また1991年から札幌の老舗デパート丸井今井のデータウェアハウス構築に協力しており、その流通向けデータベース・マーケティングシステム開発のノウハウを活かしてデータウェアハウス用パッケージソフト「P2/S」を開発した[3]

1992年には札幌芸術の森アートビレッジ内に、将来を担う最新テクノロジーの研究開発部門であるハドソン中央研究所(コア・テクノロジー事業部)を設立し、ゲーム機用半導体開発、ゲーム開発環境の整備などを行っていた。その一方同研究所は1997年に育成散歩計「てくてくエンジェル」を開発し、日経産業新聞優秀賞を受賞。その他にも筑波大学の徳永隆治らと共同で画像圧縮技術「Hybrid Vector Quantization(HVQ)」及び動画圧縮技術「HVQM」を開発[21][22]した。

さらに2002年には、日本ビクターと共同でCD-ROMコピー防止技術「ROOT」を開発する[23]、株式会社イーブックイニシアティブジャパンと共同で独自のフォーマット形式の電子書籍を閲覧するソフトウェア「ebi.BookReader」を開発する[24]など、ゲーム業界だけではなく様々な業界に関わる技術開発を行っていた。

コナミの子会社化 ~ ハドソンブランドの終焉

1990年代末、メインバンクだった北海道拓殖銀行の破綻により資金繰りが悪化。2000年3月よりiモード用のゲームコンテンツ配信を開始するなど、携帯電話向けの事業に乗り出すが、経営状態は好転せず、2000年代に入ってコナミの資本が入るようになり、2004年には創業者が経営から完全に手を引き、2005年にはコナミの子会社となる。同時に特徴的であった「自由な社風」も社内から無くなった。

2007年に本社を東京ミッドタウンに移すがヒット作がほとんどなく、2008年には社長を退任した遠藤やマリオパーティシリーズのスタッフがエヌディーキューブに移籍。コナミの完全子会社になった2011年は、開発ラインナップに家庭用ゲーム機向けタイトルが無くなったことで高橋名人が退社。

さらに、『桃太郎シリーズ』のゲーム監督さくまあきらも、長年付き合いのあった桃太郎電鉄の開発チーム「Team Kawada」に在籍するハドソン社員の多くが退社したり、ハドソンを吸収合併したKDE-Jに在籍する社員との間に発生したトラブルにより、コナミとの確執を経て決別。事実上、桃太郎シリーズ打ち切りと同シリーズの著作権をコナミと他社に譲渡せず、一旦「永久に封印する」という事態が起きた。

そして翌2012年3月1日に、コナミの「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、コナミグループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」という方針に伴い[10]、KDEに吸収合併する形で法人としてのハドソンが消滅した。

なお、法人消滅後も当初は体裁上ハドソンブランドのサービスは継続されていたが[25]バーチャルコンソールでのラインナップの追加以外には目立った動きはあまりなく、2013年末をもってハドソンブランドが消滅。これらのアーカイブも全てコナミブランドに統一され、翌年の2014年元日付けでハドソンブランドの公式ホームページも閉鎖され、名実共に40年7か月の歴史に幕を下ろした。

旧ハドソンブランドのシリーズ展開

2014年にコナミブランドに統一された後から現在に至るまで、旧ハドソンブランドのシリーズ作品が新たに発売されている。ただし、ハドソンが開発・販売をしていた時とは携わっているスタッフが異なる場合が多く、現時点(2022年6月現在)ではいずれの作品も従来のシリーズとは路線の異なる部分が少なくない[注釈 6]

コナミブランド統一後(2014年以降)の各シリーズの展開については、各シリーズの記事を参照。


注釈

  1. ^ この他にも、コア・テクノロジー事業[1][2]、流通向けデータベース・マーケティングシステム事業[3]トレーディングカードの企画・開発・販売事業[4] 、ライセンス事業[4]などを行っていた時期がある。
  2. ^ 倒産(経営破綻)したと言われることがあるが、これは誤りである。
  3. ^ 権利自体は現在もKDEがすべて保有している。
  4. ^ 1998年に『ボンバーマンシリーズ やったぞ1000万本キャンペーン すごいぞ1000人プレゼント』が実施された。
  5. ^ a b c ハドソンコンピューターデザイナーズスクールとも表記される。
  6. ^ 特に版権元であるKDEからリリースされたものについては、世界観の設定や登場キャラクターのデザイン、BGM等の方針変更が顕著である。
  7. ^ サンフランシスコ州と書かれている資料もある。
  8. ^ この呼称はニューヨークセントラル鉄道ハドソン川沿いの線で、この車輪配置の機関車を走らせたことに由来する。
  9. ^ 同機は同型機の中で唯一、デフレクターシルエットになったのマークがあしらわれ、ファンの間から「スワローエンジェル」という愛称がつけられていた。
  10. ^ 四角い穴が開いたお金の意。
  11. ^ ゲームパッケージのCIロゴが「HUDSON」に変更された初のソフトは同年6月1日に発売された『Jリーグ'96ドリームスタジアム』。
  12. ^ ゲームタイトル画面などの権利表記は「HUDSON SOFT」のままになっている。
  13. ^ この当時、TDKは電子部品の製造のみならず、磁気テープオープンリールコンパクトカセットマイクロカセットDATDCC等)やビデオテープVHSベータマックス等)、記録用光学ディスクCD-RCD-RWDVD-RDVD-RWBD-RBD-RE)、光磁気ディスクMOMD)、フロッピーディスク等の記録用メディアの製造も手掛けていた。
  14. ^ このソフトではゲーム大会は行われず、「劇場空間天外ごっこ 誰がハドソン夢まつり’95」と題したイベントが開催。
  15. ^ 「にこボンピック'96」と題してイベントが開催され、同作のバトルゲームによる10人対戦の大会や、キャラバン用にチューニングされた段位認定ゲーム「マスターゲーム(にこボンピック'96仕様)」などが行われた。
  16. ^ もともとエイリアンクラッシュナグザットの発売だが、後にハドソンに商標登録等の権利を所有することになった。そのため、開発・発売ともにハドソンである。
  17. ^ 2006年9月16日発売のWii用ソフト。過去にはタカラトミー(旧:タカラ)の『冒険遊記プラスターワールド』のキャラも登場している(但し、声優は同じキャストが演じている)。
  18. ^ 野島健児(深町晶役)、水樹奈々(瀬川瑞紀役)、高口公介(瀬川哲郎役)、小西克幸(巻島顎人役)。
  19. ^ これは、コナミが吸収合併したことにより、ハドソンブランドが存在していたことによって解散したことから。
  20. ^ 命名は三代目三遊亭圓歌

出典

  1. ^ ハドソン中央研究所 - ウェイバックマシン(2002年8月4日アーカイブ分)
  2. ^ CT事業本部 - ウェイバックマシン(2004年6月3日アーカイブ分)
  3. ^ a b 事業内容1 - ウェイバックマシン(2000年1月15日アーカイブ分)
  4. ^ a b 事業内容2 - ウェイバックマシン(2000年1月15日アーカイブ分)
  5. ^ 電子公告『資本金の額の減少について』” (PDF). ハドソン (2011年7月4日). 2011年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月5日閲覧。
  6. ^ 佐々木 2013, p. 8.
  7. ^ a b c 沿革 - HUDSON SOFT - ウェイバックマシン(2000年12月11日アーカイブ分)
  8. ^ a b c 相田洋; 大墻敦 (1997-01-20). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 215 
  9. ^ ゲームとともに...(株式会社ハドソン) - ウェイバックマシン(1996年11月6日アーカイブ分)
  10. ^ a b c ハドソンが解散へ コナミデジタルエンタテインメントが吸収合併 - ITmedia NEWS
  11. ^ 会社案内 - 会社所在地・地図 - ウェイバックマシン(2005年6月1日アーカイブ分)
  12. ^ a b 相田洋; 大墻敦 (1997-01-20). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 218-219 
  13. ^ 『新・電子立国』第4巻 pp.226 - 233
  14. ^ 相田洋; 大墻敦 (1997-01-20). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 226-235 
  15. ^ a b 相田洋; 大墻敦 (1997-01-20). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 235-241 
  16. ^ 赤木哲平『セガVS.任天堂―マルチメディア・ウォーズのゆくえ』(日本能率協会マネジメントセンター、1992年)p.126
  17. ^ 恩人が告白!なぜ私は「裸の孫正義」に賭ける気になったのか - PRESIDENT Online・2013年1月11日
  18. ^ 元ハドソンの桜田名人のツイッターでの発言「初期から参入していた会社は任天堂の定めた『ソフトの年間発売制限数』が多く、優遇されていた」” (2012年1月18日). 2013年4月1日閲覧。
  19. ^ 講演依頼.com さくまあきらプロフィール”. 2014年11月4日閲覧。
  20. ^ 2010年3月期 決算説明会資料” (PDF). ハドソン (2010年5月10日). 2010年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月10日閲覧。
  21. ^ a b 現在の研究開発内容 - ハドソン中央研究所 - ウェイバックマシン(2002年8月5日アーカイブ分)
  22. ^ a b 筑波大学 システム情報工学研究科 カオス研究室|製品紹介
  23. ^ a b ROOT - Copy Protection Technology - ウェイバックマシン(2004年4月14日アーカイブ分)
  24. ^ a b 沿革 | 企業情報 - 株式会社イーブックイニシアティブジャパン
  25. ^ a b 株式会社コナミデジタルエンタテインメントとの合併について”. ハドソン (2012年1月20日). 2012年1月20日閲覧。
  26. ^ a b 株式会社ハドソン有価証券報告書 - 沿革 (その他サービス業) - 有報リーダー[リンク切れ]
  27. ^ 庶民の穴銭資料館「方泉處」 - ウェイバックマシン(2001年4月10日アーカイブ分)
  28. ^ a b もぐさんはTwitterを使っています 「ハドソンのCIが変わったのは'96年5月18日の模様。'96年はユーモアネットワークのリニューアル、ホームページ開設ほか、ラジオ、サッカー方面でも色々やり出しているので広報体制に変化があったぽい。 https://t.co/8aWlRlEHKw」 / Twitter
  29. ^ フューチャービー東京 - ウェイバックマシン(2001年4月10日アーカイブ分)
  30. ^ フューチャービー 加盟店募集 - ウェイバックマシン(2001年2月19日アーカイブ分)
  31. ^ 未来蜂歌留多紹介トピックス - ウェイバックマシン(1998年5月24日アーカイブ分)
  32. ^ ハドソンキャラクターのご使用についてのご案内 - ウェイバックマシン(2000年1月16日アーカイブ分)
  33. ^ 仏・アンフォグラム社と合弁会社設立 - ハドソンニュースリリース - ウェイバックマシン(2002年4月21日アーカイブ分)
  34. ^ 新寛永通寶分類譜【泉家・収集家覚書】
  35. ^ 3D地図ソフト MaPiVi - ウェイバックマシン(2004年6月3日アーカイブ分)
  36. ^ 「桃鉄」15周年記念!看板ソフトの更なる拡販を目指しプロモーションを本格稼動(ハドソンニュースリリース) - ウェイバックマシン(2005年8月17日アーカイブ分)
  37. ^ ハドソン、「桃太郎電鉄」のラッピング電車が銚子電鉄に登場。「桃太郎電鉄20周年記念車両 出発式」レポート
  38. ^ 『ナッツ&ミルク』 - 高橋名人世代”. 電人☆ゲッチャ!. MAGES (2011年1月5日). 2011年1月5日閲覧。2分30秒頃から。
  39. ^ 第4回「ビデオゲーム~巨富の攻防~」(1996年1月21日放送)
  40. ^ 沿革 - ウェイバックマシン(1996年11月6日アーカイブ分)
  41. ^ 方泉處 - ウェイバックマシン(2001年4月5日アーカイブ分)
  42. ^ 庶民の穴銭資料館「方泉處」へ行ってみよう!その2 - ウェイバックマシン(2001年9月23日アーカイブ分)
  43. ^ 懐古主義・ファミコンゲームデザイナーの過去ブログ:ボンバーマンシリーズのBGMのこと(2)
  44. ^ 『ナッツ&ミルク』 - 高橋名人世代”. 電人☆ゲッチャ!. MAGES (2011年1月5日). 2011年1月5日閲覧。5分頃から。
  45. ^ 「HUDSON SOFT」が「HUDSON」に変わったわけ | 高橋名人オフィシャルブログ「16連射のつぶやき」Powered by Ameba
  46. ^ ハドソン、アーバンライフスタイルブランド「8SK」を展開 | インサイド
  47. ^ ハドソン全国キャラバン備忘録 - 1993年キャラバン「参加整理券」... | Facebook
  48. ^ ハドソン全国キャラバン備忘録 - 2000年のキャラバンは、『パワーリーグ 夢のスタジアム』のイベントでした。... | Facebook
  49. ^ 本社の移転及び組織変更に関するお知らせ” (PDF). ハドソン (2009年2月4日). 2009年2月5日閲覧。[リンク切れ]






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