ニュースステーション 演出

ニュースステーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 08:15 UTC 版)

演出

スタジオセット

それまでニュース番組のセットは、キャスターの背後にクロマキーなどの壁板を置き、横1列になって座るのが主流だった。当番組では後述するように「全国の都市生活者に向けて発信する」という理念から、従来の壁板というセットを廃し、都心の高級マンションの一室のような、都会的でおしゃれなオフィス空間をコンセプトに、「自宅で食べたりくつろいだりするような日常の気分を番組に持ち込みたかった」という。本物の質感とイメージを追求し、木組みの床を貼り、柱や梁、階段には建築用資材を使用。セット建て込みには美術スタッフだけではなく大工の手も借りたという[43]。セットはすべて久米が提供したコンセプトとイメージが実現された。久米はスタッフに念のため予算を聞いたところ「考えなくていい」と言われたという[44]

スタジオセットは、テレビ朝日アーク放送センター地下3階にあったAスタジオ(テレビ朝日の本社移転後は、六本木ヒルズ新本社4階にある第4スタジオ)に常時建て込まれている状態で、2階(末期のセットでは3階)まで作られたほか、ゲストを招く部屋や家具までも仕込まれるなど大掛りで非常に手の込んだものになっている。コンセプトは「久米宏の部屋」で、放送終了までに5回改築された。

初代:1985年10月7日 - 1990年9月
  • ドラマ担当の美術デザイナーが担当。アメリカ・ABCの朝の報道・情報番組『グッド・モーニング・アメリカ』のスタジオセットで採用されていたリビングスタイルのイメージをもとに、「アークヒルズ敷地内のビルの最上階の久米宏のオフィス兼リビング」という設定で制作された[45]
  • セット自体は白を基調とし、茶色・木目調の什器類がアクセントを添えている。質感や色は、久米の当時の自宅の部屋にそっくりだという。背景のホリゾント幕には、アークヒルズから見える東京都心部の高層ビル群を再現したミニチュアを配した。ビル上部の航空障害灯の明滅まで再現されたり、東京地方が雨の日には窓の外に雨を降らせ、窓にも雨水が垂れるといった精巧なものである[46]。正面奥には、スタッフルーム(後にゲスト用の客間)、右手にはソファのある応接セットがあり[46]、1988年3月までの金曜版は、応接セットの位置から放送した。応接セットの壁面は幾度か改装されている。左側の壁には巨大プロ野球順位表が設置されていたがこちらも改装が繰り返されていた。
2代目:1990年10月 - 1995年11月
  • テーマは「無駄な豊かさ」[46]
  • 先代と同じく白を基調とし、テーブルの中央奥には前述したJリーグ順位掲示板の「回転くん」「かめすけ」が、右奥にはゲストが待機するテーブルと椅子がある[47]
3代目:1995年11月 - 1999年8月
  • テーマは、「バブル期の華やかさ豪華さの次に来るもの」[46]
  • これまでの雰囲気を一新し、富山県や岐阜県飛騨地方にあった民家の木材を使用[45]。暖炉や初代よりは小規模ながら応接セットがあった。この代まではアークヒルズを左側に望む夜景のホリゾントとアーク森ビルのミニチュアが置かれていた[48]
4代目:1999年8月 - 1999年12月23日
  • これまで部屋の改築(セット改装)が行われていた期間は1階のNスタジオから全編放送していたが、5代目へのセット改装はこれまでの代よりも長期に及ぶため、3代目の「バブル期の華やかさ豪華さの次に来るもの」というテーマ・使用材料が木材という部分を残したまま小規模なセットが作られた。3代目の2階にあるという設定の「書斎」がテーマで、蔵書は1500冊あるという。ブーメランテーブルの左側にはゲストが待機する客間、右側にはパソコンが2台ある[49]。そのセットからの最初の放送では3代目のセットで久米がセット改装の説明をして、2階へと上がり4代目のセットへと繋がるドアを開けようとするVTRを流した後、ドアから久米が出てくる部分以降が生放送の映像に切り替わる演出があった。このセット奥の窓には高層階からではないが夜景が見えていた。この時に久米の契約交渉がまとまらず、久米は3か月間不在となる。
5代目:2000年1月4日 - 2003年9月26日
  • レンガがアクセントになったセットで、久米曰く「自動車修理工場としても使われた関東のとある倉庫を改装した」という設定。美術(大道具)搬入口付近まで建て込むなどアークAスタに組んでいたセットとしてはこれまでで最大の規模となった。1階左奥には囲炉裏を囲んだ板の間、その手前にはテラス。正面奥にはキッチンその右手前には書斎。2階左側に趣味の部屋、ここは「ビートルズ映像公開」企画で使用された。同じく2階右側は通路を兼ねた書棚が置かれている。ここは天気コーナーでしばらく使用していた。2002年4月に1階書斎部分を改装した。
6代目:2003年9月29日 - 2004年3月26日
  • テレビ朝日の社屋移転に伴い、使用していたスタジオはアーク放送センターAスタジオから、六本木ヒルズ新本社の第4スタジオへ変更となった。
  • 東京湾に浮かぶ700tクラスの貨物船の船底をイメージした」という3階建ての作りで、40tもの鉄を使い、建て込みには数百人がかりで1ヶ月もかかった超豪華なセットであった[50]。同じスタジオ内には夕方のニュース番組『スーパーJチャンネル』のセットも作られ、『ニュースステーション』よりは小規模ながらも、共通のデザインコンセプトで設計されている。『ニュースステーション』側のセットは現社屋への移転時点で番組終了が決定していたためわずか半年で撤去されたが、『Jチャンネル』側のセットは残され、2017年12月27日まで幾度か手直しを加えたうえで継続使用された。
  • 新セットを作るにあたり、テーブルなどほとんどのセット内のものは新調されたが、一部の家具や小物は前のセットから引き続き使用された。
  • 番組終了後、この6代目セットと10代目オープニング映像、リアルタイムCGにより、スタッフが2003年度のテレビ美術を対象とする「第31回伊藤熹朔賞」を受けた。

ブーメランテーブル

『ニュースステーション』ではキャスター席に特徴的な「ブーメランテーブル[51]が使われ、メールマガジンのタイトルを『NSブーメラン』とするなどこの番組の名物であった。番組開始当初は濃い色のものが使用されていたが、後に交換されたときには薄い色のものへ変更になった。テーブル自体は、大道具担当ではなく家具メーカーに発注し作られた[51]

それまでは前述のとおり、横一列に座るのが主流だったが、多くの出演者が座って話す際、横一列では平面的になり、互いの顔を正面から見ることができず、丸いテーブルだと視聴者不在の印象を与えてしまうことから、画面効果と機能面を突き詰めて余分な部分を突き詰めた結果、「湾曲したテーブルの形」になったという。磨きぬいたテーブルに傷がつかないように出演者もスタッフも細心の注意を払い、本番開始直前までテーブルは分厚い布製カバーで覆われ、本番終了後も直ちにカバーをかぶせていた。テーブルは食卓をイメージしているため、従来のように前を覆っておらず、出演者の脚や靴までがすべて見える。さらに、それまで出演者は一つの画面に収めるために肩と肩がぶつかるほど座っていたのを、十分な距離を置いて座らせ、空間を贅沢に使った[52]

ブーメランテーブルについては、「湾曲していたほうが出演者同士が話しやすい」「情報は一方的伝えるだけでなく、視聴者から帰ってくる反応を汲み取り、さらにまたニュースを伝える」との意図があった[51]。キャスターの足が見えるテーブルは、ニュース番組では初めての試みであり、家具メーカーが製造した一般のテーブルのため、音声のカフボックスや確認用のモニターは設置されなかった[51]

テーマ曲・コーナー別使用音楽

  1. 1985年10月7日 - 1987年9月25日:「ANNニュースのテーマ」(松岡直也
    • 他の『ANNニュース』でもこのテーマ曲に変更。ただし本番組とそれ以外では若干アレンジが異なる。
  2. 1987年9月28日 - 1989年1月27日:曲名なし(前田憲男
    • 週末の『ナイトライン』や『チェック・ザ・ステーション』と共通でテレビの三原色を示す光線が放たれた(後者はテーマ音楽も同じ)のみスタジオ風景が細切れに現れたところでタイトルというCG混在映像が使われていた。
    • この代の途中からスタジオ挨拶のところで日付表示をするようになる。
  3. 1989年1月30日 - 1993年4月16日:「Good Evening」(本多俊之
    • 本バージョンの使用を開始した頃から、オープニング曲・CM前ジングル以外に番組内で使われる音楽もトータルにコーディネートされ始めるようになり、天気予報のBGM、スポーツコーナーのテーマ(「JUMP UP」)なども本多が担当している。
    • 歴代のテーマ曲の中ではこの曲が長く使われている(約4年3か月、作曲者だけでも含めると約7年8か月)。
    • 本多はラジオクラブのメンバーと共に本番組に生出演し、本曲を生演奏している。
    • 1989年発売のベストアルバム「FOOT PRINTS」(東芝EMI、CT32-5427、既に廃盤)収録。
  4. 1993年4月19日 - 1996年10月4日:「Harmony」(本多俊之)
    • 一部、同じ本多が作曲した「Good evening」をアレンジしたものであった。
    • 曜日毎にメロディーパートの楽器が変動する。オーケストラアンサンブル)演奏のフルバージョンは江黒真理の楽曲として1993年にCD化されている。
    • 曜日別メイン楽器は以下の通り。
    • オープニング映像はアニメーションで、25歳 - 35歳程度の青年が近未来の都会で寝転んだり自然と親しみ余暇を愉しむ様が春夏秋冬季節ごとに4パターン用意された。番組ロゴはアニメーションに含まれず、日付とともに小さく表示された。アニメーション画は吉田秋生
    • なお提供クレジット、CM入り、エンディングはピアノ演奏バージョンが使われた。
  5. 1996年10月7日 - 1998年5月8日:「36度線」(ASKA
    • 1995年に制作され、幾度かリリースが検討されることもあったが、結局リリースされることがなく、結果的に番組終了後の2004年8月にCHAGE and ASKAのシングル「36度線 -1995夏-」として再製作されてリリース。
    • ASKAは天気予報のBGM(違う曲)も提供。
    • オープニング映像は、世界の有名な絵画をアニメーション化したもの。数バージョン制作された。
  6. 1998年5月11日 - 1999年12月23日:「靴は履いたまま」(ゴスペラーズ
    • オリジナルバージョンはアルバム『Vol.4』収録。本来歌詞ありの楽曲だが、ニュースステーションで用いられたバージョンは全編スキャットであった。
    • これ以降、オープニング映像の中で日付を表示。
    • オープニングではその日のニュース映像を流し(但し前述の1998年5月11日は久米、真理、白木がスタジオに向かう様子の映像、プロ野球横浜ベイスターズがリーグ優勝を決めた1998年10月8日は玉置宏のコメントからニュース映像になる、前述の1999年8月の4代目セットになった際の久米の説明VTRになるなどの例外あり)、最後にごく短くタイトルCGを表示するという簡素なものとなった。
    • 重大ニュース時(1998年5月28日のパキスタン核実験実施など)は定時開始であっても通常のスキャットバージョンを使用せず、ピアノをベースとしたインストアレンジ版が使われ、スタジオの引きの映像を背景に日付表示から直ぐにタイトルCGが表示された。
    • この曲がオープニングに起用されて3か月ほど経った1998年8月20日、ゴスペラーズがゲスト出演してオープニングで生歌唱。久米と対談も行った。さらに久米が降板していた期間にあたる1999年12月20日にもこの週でテーマ曲としての使用が終わる事から再びゲスト出演し宜嗣と共演。この時は歌詞付きのバージョンをワンコーラス披露し(タイトルの表示順序も異なり先にタイトルCGを表示してから日付を表示した)、エンディングでは「心の愛」も歌唱した。なお、ゴスペラーズはテーマ曲を担当する前の1997年12月25日放送分にも出演していたため、これは都合2・3度目の出演であった。
    • ゴスペラーズはスポーツの楽曲「イントロ'98」も担当しており、 同じくアルバム『Vol.4』に収録されている。
  7. 2000年1月4日 - 2002年3月29日: 「NS2000(NEW STREAM 2000)」(福岡ユタカ
    • オープニングのCG映像は小島淳二が手がけた。サイバースペースを表現したようなフル3DCG映像となり、その日の放送する複数のニュース映像素材をCG映像内のウインドウ部分にデジタル合成しダイジェスト形式で短時間流すとともにカテゴリーや放送予定時間を英文表示するスタイルに変わった。
    • これ以降、オープニングCGの中で放送内容の告知を行う(Char演奏のW杯バージョンを除く)。
    • 2001年ではこの曲のニューバージョンとして「NS2001」が使われた時期もあった(アルバム『Calling -The Latest Best-』収録)。
    • 導入当初は30秒あったが、2000年3月27日のフライングスタート開始時から1フレーズカット(5秒ほど)。
    • 第19回参議院議員通常選挙直前の「SPECIAL WEEK」期間中の午後9時36分からの放送となった2001年7月23日 - 7月27日の間は「STAND UP」(川井憲次)など『機動警察パトレイバー』や『逮捕しちゃうぞ』などのアニメ作品のサウンドトラックを使用した。
    • スポーツ「Trance Zone」 - アルバム『Calling -The Latest Best-』収録
    • ニュースフラッシュ「5scenes from a Dizzy day」 - シングル「NEW STREAM 2000」、アルバム『Y・Voices』収録
    • ニュースフラッシュのBGMに関してはテーマ曲が変わった2002年4月以降も引き続き使われていた。
  8. 2002年4月1日 - 2002年6月28日:「A FAIR WIND」(Char
    • この期間内に、日韓ワールドカップがあり、このテーマ音楽に乗せ、川平慈英のナレーションで1回目からのW杯の歴史を振り返る特別バージョンで、決勝戦とともに終了。なおタイトルと日付はオープニングの最後に上にタイトル下に日付表示という形でまとめて表示された(「NS2000」と「サラバンド」の期間も、シドニーオリンピックの会期中や2003年9月の阪神優勝時などニュース映像から始める際にこのタイトル表示の方式が取られた)
  9. 2002年7月1日 - 2003年9月26日:「サラバンド」(サラ・ブライトマン
    • アルバム『ハレム』、『輝けるディーヴァ 〜ベスト・オブ・サラ・ブライトマン〜』収録(共にフル・ヴァージョン)
    • スポーツ「ハレム」 - アルバム『ハレム』収録
    • オープニング映像は近未来風の世界を彩った映像を使用し、「NS2000」の時と同様にその日の放送する2項目のニュース映像素材を交えてダイジェスト形式で短時間流すものになった。
  10. 2003年9月29日 - 2004年3月26日:「Where The Streets Have No Name (約束の地)」(U2
    • スポーツ「Lady With The Spring Head (スピニング・ヘッド)」、ニュースフラッシュ(「できるだけニュース」)「Discotheque (ディスコティック)」、エンディング「Electrical Storm (エレクトリカル・ストーム)」もU2の楽曲が用いられた。
    • オープニングは東京港の夜景に浮かぶヴァーチャルスクリーンによりその日のニュースの一場面が表示されるというもの。この代ではタイトルが最初に表示され、その日の放送する2項目のニュース映像素材を交えてダイジェスト形式で短時間流してから日付表示される形になった。最後は船のドックに近づくとスタジオの映像に切り替わるが、オープニングに合わせて照明を消して暗い状態で、赤い照明だけが灯されたスタジオをクレーンカメラでパンさせてから他の照明を点灯させて本編へと移る。最終回が近づくと、船のドックに「◯◯times left」(「あと〇〇日」)とカウントダウンが表示されるようになり、最終回ではそれが「FINAL DAY」になっていた。
    • この代のみハイビジョン制作だった。

注釈

  1. ^ 1993年4月19日から2004年3月26日まで実施。それ以前はモノラル放送を実施していた。
  2. ^ 表向きには、久米と筑紫哲也の2人がメインキャスターの有力候補と公表していたことがあった[2]
  3. ^ その『おしゃれ』も1987年4月に終了し、以後久米は最終回まで仕事はほぼ本番組に絞っていた。
  4. ^ しかし、番組開始に伴う番組編成の改編で、平日夜22時台に放送されていた番組を中心に放送時間が変更され、これに伴う視聴者離れで『特捜最前線』、間接的だが番組編成上の問題で『必殺シリーズ』が終了に追い込まれた。これらの改編に加え、1980年代後半から1990年代はテレビ朝日ではヒット番組に恵まれず視聴率において、終始4位(民放キー局、NHK総合テレビ除く)だった。
  5. ^ これを見ていた当時NHK記者池上彰がこれを応用し、1994年4月に『週刊こどもニュース』をスタートさせた。
  6. ^ テレビ朝日は1978年まで報道部門を自社ではなく朝日テレビニュース社に委託していた。
  7. ^ 但し初回の後クレは何故か「ここまでの放送は、スポンサー会社名の提供でお送りしました」だった。
  8. ^ 1985年6月14日の朝日新聞他4紙に掲載された全面広告ならびにテレビCMで番組名と久米のキャスター起用を伏せた上で募集広告を出したところ、問い合わせが1万件、5762名(内訳は、男性1811人、女性3547人、プロダクションなどの推薦404人。)の応募があった。半数は関東在住だが全都道府県から応募があり、海外からも5名の応募者がいた。中には夫婦で応募したものも3組いた。男性応募者の最高齢は当時79歳。女性応募者の最高齢は当時74歳だった[13]
  9. ^ 2009年1月 - 6月、金曜21時に『必殺仕事人2009』として放送。
  10. ^ 久米曰く「3Kトリオ」。
  11. ^ 中国で起きた高知学芸高等学校の修学旅行生を載せた列車が脱線した事故に関するニュースが中心。この日はゲストは呼ばず、Nスタジオから久米・小宮のみ、さらに放送時間が繰り下げられて23:30 - 24:15の45分枠(当時大相撲春場所の開催期間・「大相撲ダイジェスト」の放送と重なったため)での放送になった。
  12. ^ 正確には老眼鏡である(当時の久米は48歳)。
  13. ^ なお、小宮は降板後も当番組をベースとした国政選挙の開票特別番組『選挙ステーション』で、2003年11月の第43回衆議院議員総選挙の際まで久米と共に第1部のメインキャスターを務めた。
  14. ^ 1998年4月3日のみ、金曜にも出演。
  15. ^ また、リニューアル初日の前座番組『ビートたけしのTVタックル』の本編終了直後に流れたクロスプログラムでも真理がテレビ朝日局内の廊下を歩く映像を流した。
  16. ^ 2001年2月1日から2014年1月31日まで。
  17. ^ ただし、BS朝日・番組のネット局であった朝日放送テレビへは出演歴あり。
  18. ^ 降板後に出演した『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ、関西ローカル)では「ニュースステーションで久米さんに嫌われた若林さん」とネタにされていた。
  19. ^ ただ、2018年10月1日から2019年9月26日までは月曜から木曜に限り5分拡大し23:15まで放送していた。
  20. ^ 1982年の第1回熱闘甲子園のみ21時開始。1983年の第2回以降1989年まで22時開始がずっと定着していた。
  21. ^ 局内では、20時台の『ビートたけしのスポーツ大将』と『さすらい刑事 - 』の2番組を全面差し替えする案も出ていたという。
  22. ^ この年、ジャイアンツは近鉄バファローズに第1戦から3連敗しながらも、第4戦以降4連勝して日本一に輝いた。
  23. ^ それから25年後の2020年1月17日、サンテレビで放送された震災関連の特番に小宮がゲスト出演し、当番組放送以来の同局出演を果たした[26]。また、久米も同日に朝日放送テレビのローカル報道番組『キャスト』の特番『キャスト特別企画 久米宏が語る震災25年』にゲスト出演した。
  24. ^ 1995年頃から事ある毎に週刊誌で「久米降板」説が取り沙汰された。冒頭に述べた降板発表後にも「病気で目が見えなくなった」などという憶測の記事が書かれたが、久米はこの10月6日の放送できっぱりと否定した。
  25. ^ この様子を収めたVTRの前に久米は「僕はあの、この人のことはそれほど苦手ではありません」とコメントした。また、このVTRが終わったところでCM入りしたため、CM前には画面右下に「最終回 快調に放送中!」とテロップを表示していた。
  26. ^ 放送では商品名が映らないようにラベルをカメラに見えない方に隠していたが、実際このときのビール瓶には美術スタッフに発注して用意した『NEWS STATION BEER 全4795回』というオリジナルラベルが貼られており、王冠にも番組ロゴが貼り付けられていたとされている。
  27. ^ 1995年から1998年までの金曜版は、小宮とスタジオサブキャスターの2人で交互に伝えていた。
  28. ^ 番組前半で伝えたものも含めてニュース項目は原則、時系列順に並べていた。また80年代は円相場もこの中で伝えていた(ニュース項目の一番下段に為替を表示)。
  29. ^ この台詞は最終回のエンディングで流れた予告編「久米的電視台」(前述)でも使われた(久米と中国人女性の2人でこの台詞をコール)。
  30. ^ 荻野目洋子『湾岸太陽族』、B'z『LOVE & CHAIN』など。
  31. ^ 機甲戦記ドラグナー」OP『夢色チェイサー』、「からくり剣豪伝ムサシロード」ED『てなもんだ人生』など。
  32. ^ コメンテーターは基本的に映ることはないが、3人のうち1人が不在の場合は、コメンテーターも背にして進行を行うこともある。
  33. ^ 1977年から2003年までのテレビ朝日の正式社名。
  34. ^ 具体的な事例としては石坂産業を参照のこと。
  35. ^ 但し、石川県以外の北陸山陰四国九州などごく一部の地域ではフルネットを未だに開局できていない地域がある。また沖縄県の琉球朝日放送も、この番組の放送当時は沖縄本島久米島にしか中継局がなく、先島諸島宮古島石垣島)と大東諸島北大東島南大東島)ではケーブルテレビを含め視聴できなかった。
  36. ^ 実際は9月24日のサービス放送開始日から(出典:1991年9月24日以降の東奥日報テレビ欄)
  37. ^ なお、翌日朝のローカル情報番組『おはようコールABC』や『おはよう朝日です』において、ニュースコーナーやスポーツコーナーで当番組の映像素材を流用することがあった。

出典

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  2. ^ a b 週刊TVガイド 1985年7月12日号 28頁「レポート・『特捜最前線』などテレビ朝日の人気番組が枠移動」
  3. ^ 嶌信彦『メディア 影の権力者たち』1995年4月講談社 ISBN 4062076284[要ページ番号]
  4. ^ 読売新聞夕刊 1985年10月16日。
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  6. ^ 朝日新聞縮刷版の番組表を確認[要文献特定詳細情報]
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  9. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、141~149頁。
  10. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、156・157頁。
  11. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、157・158頁。
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  43. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、186~188頁。
  44. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、190・191頁。
  45. ^ a b テレビ美術から見る 「キャスターショー」の誕生と発展 ~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~』、NHK放送文化研究所 2009年11月4日(2017年2月19日閲覧)、p.8-9。
  46. ^ a b c d テレビ美術から見る 「キャスターショー」の誕生と発展 ~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~』、NHK放送文化研究所 2009年11月4日(2017年2月19日閲覧)、p.11。
  47. ^ 番組ホームページ内の初代~3代目の紹介ページ(アーカイブ)
  48. ^ テレビ朝日ホームページ内の3代目セット紹介(アーカイブ)
  49. ^ 番組ホームページ内の4代目セットの紹介(アーカイブ)
  50. ^ 作品リストー舞台・他ーニュースステーション - 大澤製作所
  51. ^ a b c d テレビ美術から見る 「キャスターショー」の誕生と発展 ~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~』、NHK放送文化研究所 2009年11月4日(2017年2月19日閲覧)、p.9。
  52. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、189・190頁。






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