プーチン大統領(ぷーちんだいとうりょう)
エリツィン大統領の後を継ぎ、2000年5月7日に47歳という若さで大統領に就任した。旧ソ連時代を含めて、ロシアで民主的な選挙により国政最高責任者が誕生したのは初めてである。任期は2004年までの4年間である。
プーチン大統領は、1952年10月7日にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)で生まれた。レニングラード大学法学部を卒業後、1975年からソ連国家保安委員会(KGB)に勤務している。サンクトペテルブルク第一副市長を経て、1998年5月に大統領府第一副長官。そして、同年7月にはKGBの後継機関に当たる連邦保安局(FSB)の長官に就任した。1999年8月にはエリツィン大統領(当時)の指名によって首相となり、同年12月の同大統領の辞任に伴い、大統領代行を務めた。2000年3月26日に行われた大統領選挙で当選を果たし、正式にロシア第2代大統領に就任した。
プーチン大統領はチェチェン強硬策で、国民からの高い支持を得ている。1999年のロシア下院選では、プーチン氏が率いる「統一党」が他を圧勝するなど、プーチン氏は「ロシアで最も人気のある政治家」である。
(2000.01.06更新)
「プーチン大統領」の例文・使い方・用例・文例
- 聴衆の中にはロシアのウラジーミル・プーチン大統領も出席していた。
- そこでプーチン大統領は劇場を急襲することを決断した。
- 死亡した人質が多数いたにもかかわらず,プーチン大統領のテロに対する毅(き)然(ぜん)とした態度はロシアの人々から支持されているようだ。
- 8月5日,マレーシアは,ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の同国訪問中に,18機のスホイ30MK戦闘機を総額約9億ドル(約1080億円)で購入することに合意した。
- 3月14日,ウラジーミル・プーチン大統領の1期目である4年間の終わりに,ロシアの大統領選挙が行われた。
- 記者会見で,プーチン大統領は,「選挙の結果に満足している。国民は,過去4年間の私の実績を評価してくれた。」と述べた。
- ロシアの経済状況は,プーチン大統領の第1期の間に良くなった。
- プーチン大統領は2期目も経済改革を続ける予定である。
- ロシアの野党やいくつかの欧米諸国の政府は,プーチン大統領の政治手法について心配している。
- プーチン大統領は,強い権力を持って統治している。
- プーチン大統領は,報道の自由や,政党政治の発展といった民主化の成果を保証すると強調している。
- ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は,政府の全面支援を約束した。
- 4月29日,安(あ)倍(べ)晋(しん)三(ぞう)首相とロシアのウラジーミル・プーチン大統領がモスクワのクレムリンで首脳会談を行った。
- 共同声明で,安倍首相とプーチン大統領は,双方にとって受け入れ可能な解決策を見つけるために交渉を加速させるよう,各外務省に対して指示を与えると述べた。
- 安倍首相とプーチン大統領は政治的連携を強化するため,相互に訪問することで合意した。
- 安(あ)倍(べ)首相とプーチン大統領がソチで会談
- 2月8日,ロシアのソチで安(あ)倍(べ)晋(しん)三(ぞう)首相とロシアのウラジーミル・プーチン大統領が会談した。
- プーチン大統領は,秋に訪日することに同意した。
- 会談の冒頭で安倍首相は,プーチン大統領との会談は,2012年12月に首相になって以来5回目だと言い,良好な日露関係をさらに進展させたいと述べた。
- それに応えて,プーチン大統領は「この問題の解決は簡単ではない。まずは首脳レベルの対話と,さまざまな分野での協力から始めなければならない。」と述べた。
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