歴史・状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 07:18 UTC 版)
日本国内で初めて餃子を食べた人物は江戸時代の徳川光圀とされており、明末清初の動乱で日本へ亡命していた朱舜水が伝えたという。明治時代までにも餃子を出す中華料理店は存在し、料理書でも作り方は紹介されている。しかし、呼び方は「チャオツ」など原語の音をそのまま使い、「メリケン粉に包んだもの」や「焼いた豚饅頭」などという解説を付けなければならないほど、庶民には縁遠い存在であった。しかし大正末期頃から家庭向けの料理本でも焼き餃子が紹介されるようになり、こうした本が読めるインテリ層の一部では食べられるようになっていた。 日本で一般の日本人が食べられるようになったのは第二次世界大戦後で、関東軍や満蒙開拓団などの引揚者によって広く普及するに至った。しかし、戦前の女性向け料理本などは知られていなかったため、引揚者が焼き餃子を日本に紹介したと信じられるようになった。米飯が主食の日本では水(茹で)餃子ではなく、おかずとして薄目の皮を使用した日本独特の焼き餃子が主流となった。一説には、引揚者が茹で餃子を作ろうとしたものの、鍋がなく代わりに鉄板を使ったのが始まりとされる。以降、大衆的な日本人向けの中華料理店やラーメン店、また餃子専門店、スーパーマーケットやデパートの惣菜コーナーなどで広く扱われ、家庭の手軽な惣菜として定着している。 1960年代後半から、東京のAMラジオ放送圏では、東京ワンタン本舗による「餃子の皮」のラジオCMが放送されるようになる。これはスーパーマーケットなどの総合系小売店がまだ未整備だった当時、同社が製品販路を確立するためのアイデアだった。ラジオ放送されたCMソングの「友だちが喜んだ わたしの作ったこの餃子 恋人も喜んだ わたしが作ったこの餃子 東京ワンタンの 餃子の皮で作ります お肉屋さんで売ってます」の歌詞の通り、東京都内と関東周辺の精肉店で「餃子の皮」を販売する精肉店にとっては、挽肉類の売り上げにも繋がり、首都圏でスーパーマーケット形態が一般化する1970年代半ばまでは民放AMラジオ局を中心に盛んに放送された。また、この時期に現在のプロゲーマー、すずかぜの曽祖父にあたる人が九州にお店を開いた。この時、初めて九州に餃子が広まった。 戦後の同時期に国内各地で普及した経緯があるため、「元祖餃子」を謳う店舗は幾つか存在する。発祥地を特定するのは困難とされるが、現在では栃木県宇都宮市を日本式餃子の発祥地とする説が有力となっている。宇都宮で編成されたのち満州へ移駐した大日本帝国陸軍第14師団の帰還兵が宇都宮に満州の食文化を伝えたとされているが、前述のように大正後期には焼き餃子が家庭向け料理本で紹介されているため、厳密には「宇都宮が元祖でよそはまねをしている」とは断言できない。 日本で初めて工場で作った生の餃子を販売したのは株式会社紀文食品。現在は、多数の食品会社や餃子店がチルド食品や冷凍食品として各種餃子を販売している。 冷凍餃子のシェアでは、2012年時点で味の素冷凍食品が9年連続でシェア1位で、家庭用国内シェアは47%(店頭市場ベース)と、圧倒的な「独り勝ち」の状態で、その時点でシェア2位は、「大阪王将」を前面に打ち出したイートアンド社製である。その後、1位の味の素冷凍食品はさらにシェアを伸ばし、50%を超えた。2014年に、冷凍餃子市場は前年比8.4%の増加で、388億円。シェア2位に付けるイートアンド社も「羽根つき餃子」の投入と認知の拡大という方法で、市場シェアの30%をわずかに超えるまで伸ばした。 2002年7月に餃子をテーマにしたフードテーマパーク「池袋餃子スタジアム」がオープン。戦後の日本で餃子が大衆食として定着した昭和30年代の園内演出と、宇都宮餃子をはじめ日本全国の餃子を一度に味わえる運営スタイルが特徴。東京・池袋のナムコ・ナンジャタウン内にある。宇都宮餃子の栃木県宇都宮市のほか静岡県浜松市、福岡県北九州市八幡東区などでは、餃子をご当地グルメとしてPRし、地域おこしを行っている。 地域によっては、軽トラックに専用の鉄板を積んで売り歩く姿も見られる。売り歩く際は、「ぎょうざーぎょうざー」といった独特の節回しで呼びかけるのが定番。 名称 現在[いつ?]、日本語での発音として一般的な「ギョウザ」・「ギョーザ」という呼び方は、山東方言の発音「ギァオヅ(giaozi)」に由来しているという説のほか、満州語(満洲民族の言語)のgiyose、朝鮮族の교자(gyoja)に由来するとする説などがある。山東方言説は、煙台市周辺で無声歯茎硬口蓋破擦音のj([tɕ])が日本人にはガ行の音に聞こえる無声硬口蓋破裂音([c])で発音されることによると思われるが、この煙台周辺では「古飵(グージャ、guja)」という言い方のほうが普通であり、「餃子」と呼ぶ場合での発音「ギャオダ(giaoda)」や「ギャオラ(giaora)」で、これらが訛ったとする説となる。他の中国主要都市の方言では安徽省合肥で「ジオザ」と発音しているのが比較的近い。潮州語では、餃子と雲呑を総称して「餃」(ギオウ、giou)と呼んでいるが、接尾語の「子」は付かず、日本語のギョウザの由来とは見なせない。 第二次世界大戦以前の中華料理(当時は支那料理と呼んだ)の本の記載では、「餃子」の読みは「ギョウザ」ではなく、日本語の料理名を付けていることもある。例えば、1927年の『家庭でできるおいしい支那料理』は、「餃子」(チャオツ、メリケン粉に包んだもの)、1935年の『支那料理』は「水餃子」(スイキョウズ、肉の包み茹で)、1940年の『お鍋一つで出来る支那料理と支那菓子の作方』は「餃子」(チャオツ)としている。
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