朱舜水とは? わかりやすく解説

しゅ‐しゅんすい【朱舜水】

読み方:しゅしゅんすい

1600〜1682]中国明末清初儒学者余姚(よよう)(浙江省)の人。名は之瑜(しゆ)。字(あざな)は璵(ろよ)。明王朝復興運動従った失敗1659年日本亡命帰化徳川光圀(とくがわみつくに)に招かれ水戸学大きな影響与えた。著「朱舜水先生文集」。


朱舜水

読み方しゅ しゅんすい

明朝遺臣江戸前期儒者浙江省余姚の人。名は之瑜、字は嶼、嶼、謚は文恭。明末清初変乱際し明朝復興をはかり四度来日国姓爺鄭成功相談し援兵求めた成就しなかった。万治2年帰化。後、徳川光圀招かれ賓師となり、水戸学派成立大きな影響与えた。その学徳敬慕した光圀により私謚されている。天和2年(1682)歿、83才。

朱舜水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 21:57 UTC 版)

朱 舜水(しゅ しゅんすい、万暦28年10月12日1600年11月17日) - 天和2年4月17日1682年5月24日))は、中国儒学者江戸時代初期に来日。舜水は号。之瑜は魯璵。「漢土西看白日昏、傷心胡虜拠中原。衣冠誰有先朝制、東海翻然認故園」という七言絶句を残した(『避地日本感賦』二首のうち、その一)。




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