出土物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/17 06:58 UTC 版)
発掘調査から、数多い遺物が検出された。 土師器小皿、土器皿、碗、青磁碗、染付皿、染付碗、瀬戸美濃皿、瀬戸美濃碗、瀬戸美濃水滴、備前徳利、備前擂鉢、備前甕、丹波壺、丹波擂鉢、瓦器仏花瓶、瓦器火鉢、瓦器香炉、土師器鍋、石臼、鉄釘、銭貨、刀子 なお、瓦は出土しなかった。またこれら遺物から特定の人物を推定することはできなかった。
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出土物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 00:41 UTC 版)
出土物としては、丸瓦26点、土師器片18点、鉄釘3点が出土した。丸瓦の一部は重ねた状態で出土しており、縄で括ったようにひと括りにされていることから、城外へ持ち出す寸前であったと思われている。瓦の出土の少なさは、再利用の為に搬出したと推測され、丸瓦は礎石建物の屋根に敷かれていたと推定されている。丸瓦の平均的な大きさは全長34cm、幅14cmである。丸瓦の年代観は室町時代後期ごろと推定されている。また三角形の刻印を記している瓦が5点見つかった。この刻印は東大寺の土塀に塗り込められた瓦と酷似しており、また多聞山城の出土した瓦にも「東大寺」と記した瓦も出土している。このことから、東大寺の転用瓦である事が推定されている。東大寺は東大寺大仏殿の戦いで炎上しており、この戦闘で打ち壊しになった瓦を城郭瓦として転用された。今回の発掘調査で明確になった瓦葺の礎石建物は、その時の状況を考慮し松永久秀が創建した建物である可能性が高いとされている。
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出土物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:22 UTC 版)
三重県明和町の斎宮跡で、平成22年(2010年)に平仮名でいろは歌が書かれた4片の土器が発見された。これは平安時代の11世紀末から12世紀前半の皿型の土師器であり、出土物として平仮名で記されたいろは歌としては国内最古のものである。4個の破片をつなぎあわせると縦6.7センチ、横4.3センチほどになり、内側に「ぬるをわか」、外側に「つねなら」と墨書されている。繊細な筆跡と土器両面に書かれていることから、斎宮歴史博物館では斎王の女官が文字の勉強のために記したと推定している。いろは歌を記した土器は佐賀県小城市の社遺跡からも見つかっており、これは12世紀中頃のものとされる。また木簡に記したものも各地から出土している。
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出土物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:18 UTC 版)
第1主体部の鉄器は盗掘により破砕されていたが、復元した結果、鉄刀、鉄斧、刀子、三角板鋲留短甲、鉄鏃が出土した。 第2主体部からは、銅釧、石釧、重圏文鏡、玉類、鉄剣、鉄刀、鉄鉾、鉄鏃が出土した。 また、埴輪は普通円筒埴輪、朝顔形埴輪が出土した。 離湖古墳石棺底石
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出土物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:18 UTC 版)
石室規模は全長10.8m、玄室6.6m、入口幅は1.2m。石材は地元の万畳岩が使用されている。追葬が行われたと思われる6体の人骨、鉄器類(環頭大刀1、鉄鏃26、刀子3、毛抜きなど)、玉類(瑠璃製勾玉3、碧玉製管玉5、水晶製の切子玉とそろばん玉各1)、馬具類(釣手2、工具2、鞖(しおで)金具2、飾金具7、一組の鏃)、須恵器(有蓋高坏4、無蓋高坏2、有蓋浅鉢2、長頸壺1など)、また、馬の前足の大腿骨(肉付き)が発掘されたことは特徴的である。死者への捧げものではないかと推察される。 岡1号墳の横穴式石室 完全な人骨の出土図
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出土物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/05 07:46 UTC 版)
子母口貝塚の地層は、関東ローム層の上に、井草式土器を含む黒土層があり、その上に子母口式土器を含む貝層というように重なっている。出土した貝としては、マガキやハイガイなど、浅い海に棲むものが中心となっているほか、スズキやタイ、ネズミザメなどの骨も発見されている。
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出土物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/05 03:40 UTC 版)
旧石器は、II層、III層、IV層に包含されていた。 III層の上部から片面調整石器、チョッパー、このほか剥片、砕片、円盤石核、焼けた礫3点など31点の遺物と多量の木炭粒が出土した。 IV層からは、石器は黒い硬質砂岩や粘板岩で作ったハンドアックスのような両面加工石器やチョッパー、青灰色の良質なチャート製の五角形剥片など8点の石器と木炭粒が検出された。この最下層の出土の石器は人工品であることは間違いない。
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出土物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:37 UTC 版)
「兜塚古墳 (仙台市)」の記事における「出土物」の解説
周辺調査のみということもあり、葺石に使われた丸い河原石多数を除けば、円筒埴輪と朝顔形埴輪の破片がわずかに見つかっているだけである。埴輪片は近くの富沢窯跡で出土したものと似ている。
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出土物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/24 04:15 UTC 版)
阿高黒橋貝塚の出土遺物には多量の土器があるが、とくに太い沈線で文様が描かれ、縄目文様を全く欠く阿高式土器は九州地方における縄文時代中期の標式とされるものである。 また、貝層中にはマガキ、ハマグリなど37種の貝類およびフグ、マダイなど15種の魚類のほか、イノシシ、シカ、イヌ、ヘビ、カエルなどの存在が確認されており、当時の生産活動及び食料事情を解明する上でも極めて重要な資料となるものである。 同遺跡で発見された特異的な遺物としては、阿高貝塚地点で発見された大型のカキ殻を加工して作った仮面がある。同様に貝殻を加工して作られた仮面は、福岡市西区の桑原飛櫛貝塚など中後期の北部九州の縄文遺跡でも見られるが、本州の遺跡では確認されず、九州独特の文化とされる。
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