はに‐わ【×埴輪】
はにわ 【埴輪】
埴輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/09 15:39 UTC 版)
埴輪(はにわ)は、古墳時代の日本の特有の器物。一般的には土師器に分類される素焼き土器である[注 1]。祭祀や魔除けなどのため、古墳の墳丘や造出の上に並べ立てられた。日本各地の古墳に分布している。
注釈
- ^ ただし、木製の埴輪も多数発掘されている。
- ^ 都月坂1号墳は、墳丘長約33メートル。
- ^ この伝承は、仏教伝来後に薄葬化が進行し、また埴輪の性格や製作目的も忘却された古墳時代終末期において、自らのアイデンティティに危機感を抱いた土師氏が、先祖の業績を顕彰するべく儒教思想も利用して生み出したものであり、同時に「仁を垂(あら)わす」大王たる垂仁天皇の仁を強調する点でも適った内容であることから『日本書紀』に採用されたとする指摘がある[9][11]。
- ^ 現在では、表面を整える際に木製の板状工具で撫でたことによる木目の痕跡と考えられている[15]。
- ^ 綿貫観音山古墳出土品は、2020年(令和2年)9月30日、国宝に指定された(令和2年9月30日文部科学省告示第116号)。
出典
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埴輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:50 UTC 版)
墳丘西側くびれ部付近では、墓前祭祀跡のほか、多量の埴輪片が出土した。このうち人物埴輪は、眉庇付冑を装着し、極めて写実的に表現された顔を持つことを特徴とし、発見時は武人埴輪と思われていたが、のちの整理作業により、胴体部分の破片を接合・組み立てた結果、顔面部分に比べて極めて粗略な作りながら、盾を表現しており、埴輪の分類上、「盾持人」に属するものであることが判明した。
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埴輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 03:41 UTC 版)
「黒塚 KUROZUKA」の記事における「埴輪」の解説
居座魚(いざな) 声 - 井上和彦 大破壊後の日本で武器密売を取り仕切る組織『埴輪』を率いる『埴輪王』の一人。両脚より下を生まれ付き持たない薄汚れた老人で、電動の車椅子のような乗り物に乗った乞食としてクロウに近付いた。不死の秘密には興味がなく、黒蜜に対して強い憧憬の念を抱いている。 アニメ版で大きく設定が変えられ、見た目も若くなっている。大破壊後の世界で目覚めたクロウから、黒蜜を奪っていった内の一人だった。埴輪の本拠地で厳重に保管されていた御稜威(黒蜜の血液)の力に見入られたが、血の力に耐え切れず自滅する。 トンバ 声 - 魚建 埴輪を率いる埴輪王の一人。小柄で痩せた老人で、関東の埴輪を統括していた。ヘリコプターの操縦などもこなせる。黒蜜達のために働いていたが、終盤で不老不死に魅せられたのか、暴徒を率いて赤帝の城を襲撃する。 アニメ版では神楽の長であり、花月によって殺害される。絵の心得があったらしく、酒槽にも彼の絵が置かれていた。 沙仁輪 声 - 藤田淑子 埴輪を率いる埴輪王の一人。黒い和服を着た老女の姿をしている。クロウが抱いている黒蜜への思いを明確にしてやるなど、様々な行動を取っていたが、実は黒蜜の老化した姿であり、赤帝と同じく正体を偽っていたのだった。 アニメ版では神楽の出身で、花弁を使う特殊な力を持っていた。しかし、花月との戦いに敗北し、黒蜜の腕の中で息を引き取った。 歌留多(かるた) 声 - 藤原啓治 埴輪の一員。ロングコートにスーツ姿という、古いアメリカの刑事ドラマの主役のような風体をしている。しかし、その正体は白王軍のスパイであり、沙仁輪とトンバを捕まえるために白王軍を埴輪の本拠地に入れてしまう。コミック版ではライと同じくただの人間ではなく、長年の戦闘で身体の殆どを義肢に変えている。 アニメでは最初から埴輪の一員で、強い仲間を求めている内にクロウと出会う。以降、クロウと行動を共にして生き残っている。しかし、その後赤帝の城に突入する際、腹部にけがをし、そのまま息絶えた。 久遠(くおん) 声 - 入野自由 埴輪の一員。顔を布で隠しており、人を雇ってクロウを襲わせた。クロウ達が白王軍に捕まった際にライと共に潜入し、沙仁輪を救出している。実は黒蜜が作ったもう一人の吸血鬼で、その首から下は不完全なクロウのために使われる筈だった。大和坊と同じく、黒蜜に強く惹かれ、そのためにクロウを憎んでいた。 アニメでは赤帝軍によって誕生したクロウのクローン。顔を隠している訳ではなく、ライや歌留多とも面識があった。また、原作ではクロウと同じく日本刀を使っていたが、こちらでは拳銃を使っている。普段は無口だが、赤帝城突入前に、歌留多が子供の頃好きだったアニメの話をしたときに、素早く食いつくという、意外な一面も見せた。
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埴輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 14:26 UTC 版)
細辺化した埴輪片が約300点出土。円筒埴輪と朝顔形埴輪の2種で、破片数比で225:64、重量比で4927:2848。いずれも墳丘流土層もしくは畑造成土に含まれ、原位置に樹立する資料はなく、その痕跡を示す遺構も検出されていない。
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埴輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:55 UTC 版)
墳丘表面では、墳頂・テラスの各段に円筒埴輪列が巡らされる。埴輪列は10メートルに18本程度とし、鰭付円筒埴輪5-6本に1本の割合で鰭付朝顔形埴輪が、いずれも鰭を墳丘と平行に置かれる。各段計3重に巡らされる埴輪の総数は2,200本程度と推計される。検出された埴輪は全て黒斑を有する。また鰭付円筒埴輪は4条突帯5段構成・5条突帯6段構成の2型で、高さはそれぞれ100センチメートル・114センチメートルと異なるが、突帯間隔は約17.5センチメートルと共通する。なお、同様の埴輪列は一部の周濠外堤でも見つかっている。 近年の復元整備に際しては、これらの埴輪は後円部・前方部ともにレプリカを置く形で再現されている。なお、五色塚古墳の円筒埴輪と同様の埴輪は、西隣の小壺古墳のほか、歌敷山東古墳、歌敷山西古墳、舞子浜遺跡、幣塚古墳でも検出されている。
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埴輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 15:38 UTC 版)
100年前の神州平原に出現する、埴輪の形をした妖怪。無理矢理殉死させられた戦士の魂が埴輪に宿り妖怪になった。
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埴輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/27 04:27 UTC 版)
横穴式石室の開口部から前方部にかけて中段テラスに配列された形象埴輪は、新首長の首長権継承儀礼ではないかと考えられている。あぐらをかいて座している男子に容器を差し出す女子、そのそばに三人の女子、靫(ゆぎ)を背負う男子三体の集団が中核集団になっている。さらに、付き従う皮袋をもつ女子、威儀を正した女子、盛装男子、甲冑武人、農夫、盾を持つ人などが続いている。この中核場面と離れた前方部に飾り馬が並べられ、後円部頂には複数の家形埴輪や鶏の動物埴輪、器財埴輪が立てられている。 埴輪群像(祭礼場面) 埴輪群像(参列場面) 埴輪群像(馬列) 円筒埴輪・朝顔形埴輪
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埴輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 23:55 UTC 版)
埴輪は地元近辺で焼いて作られたもので、関西方面の埴輪と同じく、肩の直径が20㎝、上の縁で30㎝、高さが40㎝ほどある。他にあさがお型、つぼ型の埴輪も出土している。人形や動物型埴輪よりも古い時代の物である。
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「埴輪」の例文・使い方・用例・文例
- 家の形をした埴輪
- 形象埴輪という,日本古代の土製人形
- 埴輪
- 埴輪などを作る役目の人
- 上代,土器や埴輪を作る人
- 上代,土器や埴輪を作る部族
- たくさんの「埴輪」,土器彫刻が,昨年,大阪府高槻(たかつき)市の今城塚(いましろづか)古墳から発掘された。
- 発掘された埴輪の中には,今までに日本で見つかった中で最大級の家形埴輪がある。
- その埴輪が復元され,5月23日に高槻市の埋蔵文化財調査センターで報道陣に公開された。
- 復元された家形埴輪は高さ約170センチ,重さ約160キロである。
- この埴輪は下野市の甲(かぶと)塚(づか)古墳で発見された。
- 埴輪の1つは,6世紀前半から使われていた織機で布を織る女性を表現している。
- これらの埴輪は,2004年に同古墳の石室付近で他の遺物とともに見つかった。
- 日本の古い織機の完全な物を表す埴輪が発見されたのは今回が初めてである。
- 同市教育委員会の職員は「これらの埴輪は,古墳時代に使用されていた機織り機のことや初期の機織り技術の発達を知る手がかりになるだろう。」と話した。
- この埴輪は5月6日までしもつけ風土記の丘資料館で展示される。
埴輪と同じ種類の言葉
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