短甲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 16:27 UTC 版)
短甲(たんこう/みじかよろい)[3][注 1]は、古代日本の奈良・平安時代に用いられた甲(鎧)の形式および呼称のひとつ[注 2]。考古学では古墳時代の「帯金式甲冑」と呼ばれる板造りの甲に対して用いられてきた名称であるが、2006年(平成18年)[4]・2009年(平成21年)[2]の橋本達也らの指摘のように近年[注 3]、古墳時代のものについては「板甲」と呼び「短甲」と呼ぶべきではないとする意見が出てきている。奈良・平安時代に存在した本来の「短甲」の形態については不明な点が多いが、小札甲の1種と考えられている。
注釈
- ^ これに対し、挂甲の訓読みは「けいこう/かけよろい/うちかけのよろい」という。
- ^ 古代の甲冑は、考古学用語の慣習上「鎧」・「兜」ではなく「甲」・「冑」と表記される。
- ^ 用語の問題の項にあるように、奈良・平安時代の「挂甲・短甲」の語が指す甲冑形態と、今日「挂甲・短甲」と呼ばれる古墳時代の甲冑形態が一致していないことは1980年代から指摘されているが、論文で具体的に問題提起されているは2009年(平成21年)の橋本による論考があげられる[2]。
- ^ 縅(おどし)が穴に紐を通して繋げることで鉄板に可動性を与えた連接法であるのに対し、綴(とじ)・留(とめ)は革紐や鉄鋲で鉄板同士を完全に固定する連接法である[5]。
- ^ 長方板革綴短甲(板甲)は、4世紀後葉から5世紀中葉にかけて製作された。
- ^ 三角板革綴短甲(板甲)は、長方形の鉄板のかわりに三角形の鉄板を互い違いの向きに配置したもので、5世紀前半代を中心に製作された。
- ^ この方法は5世紀の第2四半世紀に位置づけられている
- ^ 板甲の胴部開閉方式が平安時代の大鎧に継承されているとする指摘もあるが、裲襠式挂甲から大鎧に発展したという説が有力である。
- ^ 先述のように挂甲は「裲襠式」を表す言葉のため、本来は「胴丸式挂甲」という表記は不適切である[25]。
出典
- ^ a b c 宮崎 2006, pp. 6–18.
- ^ a b c d e f 橋本 2009, pp. 27–30.
- ^ 平凡社 2014.
- ^ 古代武器研究会 2006, pp. 82–84.
- ^ 阪口 2001, p. 35.
- ^ 小杉 1898.
- ^ 沼田 1901, pp. 27–29.
- ^ 高橋 1913.
- ^ 末永 1934.
- ^ 小林 1965.
- ^ 古谷 1996.
- ^ 古谷 2012.
- ^ a b 橋本 2009, p. 28.
- ^ a b c 笹間 1988.
- ^ 中西 2008.
- ^ 京都大学総合博物館 1997.
- ^ 小林 1964, p. 91.
- ^ a b 石野 2006, p. 21.
- ^ 田中 1981, pp. 1–21.
- ^ 田中 1991, p. 322.
- ^ a b 山上 & 山岸 1975.
- ^ a b 山岸 & 宮崎 1990.
- ^ 宮崎 2006, pp. 13–15.
- ^ 宮崎 1983.
- ^ a b c 橋本 2009, p. 30.
- ^ 津野 1998a.
- ^ 内山 2008.
- ^ 芝山町立芝山古墳・はにわ博物館 1995, p. 41.
- ^ 神谷 1990.
- ^ 橋本 1996.
- ^ a b 橋本 2009, p. 29.
- ^ 津野 1998b, p. 13.
「短甲」の例文・使い方・用例・文例
- 短甲という,古代の鎧
短甲と同じ種類の言葉
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