ルーズベルト【Roosevelt】
読み方:るーずべると
(Theodore 〜)[1858〜1919]米国の政治家。第26代大統領。在任1901〜1909。共和党。トラストの摘発、自然保護などの革新政策を行い、外交では、パナマ運河建設、ラテンアメリカ諸国への干渉など、積極策を推進。日露戦争の講和を斡旋。1906年ノーベル平和賞受賞。ローズベルト。→タフト
(Franklin Delano 〜)[1882〜1945]米国の政治家。第32代大統領。在任1933〜1945。の縁戚。民主党。ニューディール政策を実施して大恐慌に対処。また、ラテンアメリカ諸国との善隣外交を推進。第二次大戦中は連合国の戦争指導に当たるとともに、戦後の国際連合の設立にも努力。終戦を間近にして急死。ローズベルト。→トルーマン
ルーズベルト
ルーズベルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/06 08:45 UTC 版)
ルーズベルト、ローズベルト(英: Roosevelt[1][2])は、オランダ系の英米人の姓。
英語の発音では「ロゥゼヴェルト」の発音が近い。"oo"は/u:/ではなく/ou/と発音する。
日本では「ルーズベルト」の表記・発音が定着しているが、世界史の研究書[誰?]や辞典類・教科書では、「ローズヴェルト・ローズベルト」と表記するものも多く、主流になるものと判断している出版社もある[3][4][5]。
人物
オランダ系アメリカ人の家系。
- セオドア・ルーズベルト - 第26代アメリカ大統領。
- フランクリン・ルーズベルト - 第32代アメリカ大統領、セオドアの遠戚。
- エレノア・ルーズベルト - セオドアの姪でフランクリンの妻。人権活動家。
- エリオット・ルーズベルト - ルーズベルト・エレノア夫妻の息子。推理小説家。
- クリントン・ルーズベルト - セオドアとフランクリンの遠戚。政治家・発明家。
その他の人物についてはCategory:ルーズヴェルト家を参照。
- 名
- ルーズベルト・スカーリット - ドミニカ国の政治家・首相。
- ルーズベルト・ブラウン - アメリカの野球選手。
地名
- ルーズベルト島 - ニューヨークのマンハッタン島とクイーンズ区の間にある島。
- ルーズベルト島 (南極) - 南極の島。
- ルーズヴェルト川 - ブラジル西部の川。
- ルーズヴェルト・ダム - アリゾナ州中部、ソルト川にあるダム。
アメリカ海軍の艦船
- フランクリン・D・ルーズベルト (空母) - ミッドウェイ級航空母艦の2番艦。
- セオドア・ルーズベルト (空母) - ニミッツ級航空母艦の4番艦。
- ルーズベルト (ミサイル駆逐艦) - アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の30番艦。
脚注
- ^ アメリカ英語発音:[ˈroʊzəvəlt]、[ˈroʊzəˌvɛlt]、[ˈruzəvɛlt]
- ^ イギリス英語発音:[ˈrəʊzəˌvɛlt]
- ^ Q&A 変わる社会科 -歴史(帝国書院)
- ^ 詳説世界史研究(山川出版社)
- ^ “アメリカ合衆国大統領「ルーズベルト」を「ローズベルト」と表記するようになったのはなぜですか。|株式会社帝国書院”. 株式会社帝国書院. 2023年10月6日閲覧。
ルーズベルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:49 UTC 版)
「リトルビッグプラネット」の記事における「ルーズベルト」の解説
スノーランドにて登場。名前の由来はテディベアの由来であるセオドア・ルーズベルトから。熊のぬいぐるみ。家族をサックプーチンにさらわれる。
※この「ルーズベルト」の解説は、「リトルビッグプラネット」の解説の一部です。
「ルーズベルト」を含む「リトルビッグプラネット」の記事については、「リトルビッグプラネット」の概要を参照ください。
ルーズベルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:40 UTC 版)
「地球連合軍の艦船及びその他の兵器」の記事における「ルーズベルト」の解説
地球連合軍に所属する前期型。血のバレンタイン事件を起こした核ミサイルを搭載したメビウスの母艦として運用されていた。漫画版「機動戦士ガンダムSEED Re:」では、当時の艦長はウィリアム・サザーランドであったとされている。
※この「ルーズベルト」の解説は、「地球連合軍の艦船及びその他の兵器」の解説の一部です。
「ルーズベルト」を含む「地球連合軍の艦船及びその他の兵器」の記事については、「地球連合軍の艦船及びその他の兵器」の概要を参照ください。
ルーズベルト(1946年 - )
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 00:29 UTC 版)
「10セント硬貨 (アメリカ合衆国)」の記事における「ルーズベルト(1946年 - )」の解説
1945年4月、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の逝去後すぐに、バージニア州の議員ラルフ・H・ドートンによってそれまでのマーキュリー・ダイムから、ルーズベルト大統領の肖像を描いた10セント硬貨へ交替させることを盛り込んだ法律案が提出された。肖像を描く硬貨に10セント硬貨が選ばれた理由の一部分は、後に「マーチ・オブ・ダイムズ」と名称を変える「全国小児麻痺協会(National Foundation for Infantile Paralysis、略称:NFIP)」の設立に尽力した功績を称えたためである。この財団は元々、ポリオの調査や病気に苦しむ人々とその家族へ向け、資金を募る役割を果たしていた。その後財団に郵便等で10セント硬貨を送る等、一般の人々より活動が推し進められ、ルーズベルト大統領が死去するころには、財団はすでに「マーチ・オブ・ダイムズ」として広く知られていたのである。 それまで他の著名な芸術家が描いた硬貨が長年続いたことがあったが、このルーズベルト・ダイムは考える期間が少なかったにも拘らず、造幣局の職員がデザインし40年以上も使用され続けた。これは、合衆国内で流通する通常の硬貨としては初である。硬貨のデザインには当時の彫刻家主任であったジョン・R・シノックが選ばれた。シノックの最初のデザイン案は、1945年10月12日に提出されたものの却下されたが、その後1946年1月6日に2番目の案が承認された。 こうしてルーズベルト・ダイムは、ルーズベルト大統領の64回目の誕生日となるはずだった1946年1月30日に一般へ封切りとなった。シノック自身がデザインした彼の「J・S」のイニシャルは、硬貨の表側にあるルーズベルトの首の基部に刻まれている。裏側には松明・オリーブの枝・オークの枝が描かれており、それぞれ自由・平和・勝利を象徴している。 しかし、アメリカ国内では強い反共産主義的な感情から流通する硬貨に対して論争が持ち上がり、シノックの名前の頭文字であるJ・Sが、造幣局に潜むソビエト連邦の秘密工作員によって刻まれたヨシフ・スターリン (Joseph Stalin) の頭文字ではないかとの噂が挙がった。造幣局はイニシャルはシノックのものであるとして、すぐさま噂を論破する声明を出した。このダイム発行の2年後にシノックはフランクリン・ハーフ・ダラー硬貨のデザインを行ったが、この際彼のイニシャルを「JRS」と刻んであるのは、こうした議論を避けるためだったのかもしれない。ちなみに、スターリンのミドルネームはヴィサリオノヴィチ (Vissarionovich) である。 シノックのデザインに持ち上がったもう一つの論争は、ルーズベルトの肖像にまつわるものであった。硬貨の流通後すぐに、シノックはアフリカ系アメリカ人の彫刻家セルマ・バークが製作した浅浮き彫りの作品を盗用したものではないかとする説が挙がった。これは1945年9月に、ワシントンD.C.にあるレコーダー・オブ・ディーズ・ビルディングで公開されたものである。シノックはこれを否定し、単に以前の自身によるデザインを利用しただけであると主張した。 1965年の貨幣法の一節に、ダイム硬貨の金属構成を銀90%・銅10%から、銅75%・ニッケル25%の2層合金へ変更することが盛り込まれていた。これにより硬貨は従来の質量(それまでの2.5gから2.27gへ変更)や、電気学上の特性(電気を帯びる自動販売機にとっては重要)もよく似ており、最も重要な事に銀などの貴金属も含んでいない。 構成が変えられた後すぐに、人々は銀を含んだ10セント硬貨を使わないでおくようになり(グレシャムの法則を参照)、他の25セント硬貨や50セント硬貨と同じく銀を含んだダイム硬貨は姿を消すようになった。現在はこうした10セント硬貨がかなり希少なものとなったが、稀にお釣りとして返ってきた小銭の中に入っているかも知れない。 造幣局は、1992年より製造を開始した収集家向けの貨幣セット用に、再び銀貨を導入した。今日まで続いているこのセットシリーズには、銀を90%含んだルーズベルト・ダイム、ワシントン・クオーター、ケネディ・ハーフ・ダラーのプルーフ硬貨が含まれている。 1946年以来、ルーズベルト・ダイムは毎年製造されている。1955年まではフィラデルフィア・デンバー・サンフランシスコの全造幣所で製造がおこなわれていた。また、1968年よりサンフランシスコの造幣所がプルーフ硬貨のみを製造している。1964年までの硬貨には、松明の絵の左側に「D」及び「S」の造幣所のマークが見られる。1968年からは、マークが製造年の表示の上に刻まれるようになった。この間の1965年から1967年まではマークが刻まれず、またフィラデルフィアで造られた硬貨には1980年までマークが付けられていなかった。1982年のダイムには、この「P」のマークが欠落したエラー硬貨が存在し、現在高値で取引されている。デザインから50周年を記念して、1996年の貨幣セットに含まれている、ウェスト・ポイント造幣所で製造されたダイム硬貨には、「W」のマークが刻まれている。 2003年、共和党の保守派がダイム硬貨からルーズベルトの肖像の使用を取りやめ、存命にも拘らずロナルド・レーガン大統領の肖像にするよう提案した。これによる法案が2003年11月にインディアナ州の共和党員、マーク・ソウダーによって提出された。しかし、これにはレーガンの妻であるナンシー・レーガンも反対している。2004年6月にレーガン大統領が逝去した後、この法案は支持を得たが、ソウダー自身が今後この案についてそれ以上従事しない考えを示し、ルーズベルトの肖像が継続して使用されることとなった。
※この「ルーズベルト(1946年 - )」の解説は、「10セント硬貨 (アメリカ合衆国)」の解説の一部です。
「ルーズベルト(1946年 - )」を含む「10セント硬貨 (アメリカ合衆国)」の記事については、「10セント硬貨 (アメリカ合衆国)」の概要を参照ください。
「ルーズベルト」の例文・使い方・用例・文例
- 他のいかなる植民地も、自身の境界市民が無慈悲も苦しめられていることを許容することに対して、そのような無関心で、利己的な無力さを示さなかった−セオドア・ルーズベルト
- ルーズベルトは魅惑的な話し手だった
- 組合は満場一致でルーズベルトに投票した
- 12月7日の、いわれのない、卑怯な日本による攻撃――FDルーズベルト
- ここに残るためのこれらの大変な6日間の後の積極的意志−F.D.ルーズベルト
- 我々は、無頓着な利己心が悪いモラルであったということを常に知っていました;それが悪い経済学である今、我々は知っています−フランクリン・D・ルーズベルト
- 正当な理由の無い卑劣な攻撃−F.D.ルーズベルト
- はかない一瞬の一時の問題の−F.D.ルーズベルト
- すべての善良な市民の道徳と物質的な福祉−T.ルーズベルト
- ある架空の秘密条約についての虚偽−F.D.ルーズベルト
- ルーズベルトとチャーチルによる画期的な決定
- フランクリン・ルーズベルトの、彼に関する、彼のような、または彼の様式であるさま
- F.D.ルーズベルトの経済政策
- ルーズベルトはフーバーに大勝利した
- 1945年夏にポツダムで開かれた会議で、ルーズベルト、スターリン、チャーチルが第二次世界大戦終了後のドイツとポーランドの統治に関する計画を起草した
- ルーズベルト、スターリン、およびチャーチルが第二次世界大戦の最終段階を計画して、ヨーロッパの地域分割に同意した、1945年2月にヤルタで行われた会議
- ルーズベルトは、連邦機関のごちゃごちゃした略語を作成した
- セオドア・ルーズベルト元大統領所有の牧場も含まれるノースダコタ州にある国立公園
- セオドア・ルーズベルトと彼のラフ・ライダーは、サンファン・ヒルへの彼らの突撃で有名になった
- (1898年の)米西戦争で、テオドア・ルーズベルトが率いた義勇騎兵隊の一員
- ルーズベルトのページへのリンク