オリーブの枝
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オリーブの枝(オリーブのえだ)は、平和の象徴もしくは勝利の象徴として使用される。古代ギリシャにおける、特に神や権力者への祈りに由来するとされ、地中海沿岸のほとんどの文化に見られる[1]。近代ヨーロッパでは平和の象徴とされ、アラブでも使用されている、
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- 1 オリーブの枝とは
- 2 オリーブの枝の概要
- 3 現代の用法
- 4 外部リンク
オリーブの枝
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「トルコ軍によるシリア侵攻 (シリア内戦)」の記事における「オリーブの枝」の解説
トルコがユーフラテスの盾作戦で確保した「安全地帯」は、ロジャヴァによって東西から挟まれ、その存続は不安定だった。ロジャヴァは支配地の既成事実化を図り、恒久的自治政体「北シリア民主連邦」の創設を目指して、2018年1月に民主諸人民大会(議会)選挙を行う予定だった。 2018年1月半ば、アメリカはIS復活を抑えるためにシリア民主軍(SDF)戦闘員を主体とする「国境治安部隊」を創設し、ロジャヴァ支配地の周辺部に配置しようとした。エルドアンは「米国は国境地帯にテロ部隊を創設することを承認した。我々が行うべき任務は、この部隊を生き埋めにすることだ」と発言し、アメリカを牽制した。アメリカ合衆国国務長官レックス・ティラーソンは新部隊創設を否定、「米国はアフリーンのクルド人部隊を支援しない」、「アフリーンに特別な関心はない」と語り、トルコに言質を与えた 事態が緊迫化するなか、トルコの参謀総長フルシ・アカルと国家諜報機構長官ハカン・フィダンがモスクワを訪問、ロシア国防大臣セルゲイ・ショイグらと会談。軍事作戦をめぐり協議が行われた。また、このときロシアが作戦を黙認する見返りに、シリア政府が反体制派支配地の一部を占領することが合意されたと見られている 2018年1月20日、トルコ軍は更なる軍事作戦、「オリーブの枝」を展開した。攻撃対象はシリア北西部アフリーンにいるYPGと「ISIL」であるとされ、トルコ軍による空爆とFSAによる進軍が行われた。ロシア外務省は懸念を表明し、自制を呼び掛ける一方で、兵士の安全を確保するため、アフリーンから軍を撤退させていると明らかにした。アメリカ合衆国国務長官レックス・ティラーソンは「テロ組織から国民を防衛するというトルコの合法的な権利を完全に理解し、評価している」と述べ、イギリスの首相テリーザ・メイも作戦を「国境治安に関わる正当な」行為として理解を示した。トルコでは、「テロ組織PKK、KCK、PYD、YPG、DEASHのテロリストを無力状態にし、友好と兄弟愛の地域であるアフリンの住民をこれらのテロリストの圧力や残虐行為から救うべく開始された」オリーブの枝作戦の成功を願い、全土にある9万のモスクで祈りが捧げられたと報道された。 トルコ軍は航空部隊と地上部隊、さらにトルコ領内で訓練を受けた反体制派約2万5000人シリア領域に進軍させた。 「ノールス研究センター」によると、オリーブの枝作戦に参加した反体制武装集団は次のとおり。 第1軍団:サマルカンド旅団、北部旅団、ムウタスィム・ビッラー旅団、末裔軍、東部自由人、征服者ムハンマド旅団 第2軍団:スルターン・ウスマーン旅団、特殊任務軍団、覚醒師団、スルターン・ムラード師団、ハムザ師団、ジャズィーラ革命家、第5連帯、第23師団、ムウタスィム旅団 第3軍団:北部師団、ムスタファー連帯、イスラム軍、「(命じられるまま)正しく進め」連合、シャーム戦線、第51旅団、シャームの鷹、シャーム自由人イスラム運動 第4軍団:第9師団、精鋭(エリート)軍、シャーム軍団、スルターン・スライマーン旅団、北部の鷹旅団 2月4日にはイドリブ県南部で政府軍に対する作戦を展開していた反体制派のシャーム軍団、ヌールッディーン・ザンキー運動が、オリーブの枝に参加することが報道された。 ロジャヴァはアフリーン郡に部隊を集め、デリゾール県での対IS掃討戦も中止、トルコ侵攻が「テロとの戦い」に支障を与えると訴えたが、アメリカは不関与を貫いた SDFはトルコ軍の圧倒的な軍事力を前になす術はなかった。オリーブの枝作戦に対して、ロシア・イランは批判的な姿勢を示し、シリア政府も侵攻してきたトルコ軍機を撃破すると主張していたが、実効的な対応をとることはしなかった。その代わりシリア政府はロジャヴァにアフリーン郡支配権の譲渡を要求し、それによってトルコの侵攻を食い止めようとした。ロジャヴァはアフリーン郡支配権を維持したまま、シリア政府軍部隊の進駐のみを認めてトルコ軍の侵攻を食い止めようとした。それを受けて、シリア政府系民兵「人民部隊」がアフリーンやジャンディールス村などに派遣された。しかしトルコ側は、アフリーンに向け進軍するシリア政府系民兵に対し「警告砲撃」を行い、同部隊を10キロほど後退させたと主張した。政府系民兵の多くはアレッポ北部のシーア派アラブ人が多数を占めるヌブル村とザハラ村の出身者だった。この地域は2012年から約4年間、シーア派を敵視するFSAによって包囲され、住民数百人が殺されていたため、トルコ軍と共に行動する反体制派への警戒心が強かった。これに対してトルコ軍は精鋭部隊1200人と投入して対抗した。 2月22日にはロジャヴァが最大都市アレッポに持っていたシャイフ・マクスード地区をシリア政府に委譲した。 3月、「人民部隊」の拠点がトルコ軍の爆撃を受け、36人が死亡すると、シリア政府はオリーブの枝作戦に抗うのを止めた。3月にはアフリーンが包囲され、20万もの市民がアフリーンから避難したと報道された。その大部分はシリア政府支配地に避難したと見られる。トルコ軍がアフリーンに迫ったことから、ロジャヴァはタッル・リフアトなど複数の町をシリア政府に譲渡した。 18日、エルドアンはFSAが「アフリン中心部を完全に制圧した」と宣言した。同市を占領したFSAは品物・ヤギ・ハトにいたるまで、あらゆるものを略奪したと報道された。これに対しトルコ政府は一部の集団が司令官からの命令に従っていない可能性があると弁明した。 戦闘終結後、エルドアンはFSA戦闘員302人が死亡、「テロリスト」(主にYPG兵士)3747人を殲滅したことを明らかにし、ロジャヴァが引き続き支配するタル・アブヤドとマンビジへの侵攻を予告した。 アフリーン侵攻により、それまでトルコが持っていたソフトパワーは大きく減退したとされる。また、エルドアンが度々過去のオスマン帝国に対する郷愁の念を口にしてきたことから、シリア政権やロジャヴァはトルコ軍を「オスマンの侵略者」と非難した。 この作戦によってシリア政府はアフリーン郡の主権回復が困難になったが、一方でトルコと取引し、反体制派支配地の奪還に黙認を取り付けた。そして反体制派からアブー・ズフール航空基地やイドリブ県南東部・アレッポ県南西部・ハマー県北東部の町村300を占領した。また、アレッポ市シャイフ・マクスード地区やタッル・リフアト市一帯(ロジャヴァはシャフバー地区と呼んだ)の支配権をロジャヴァから譲り受けた。シャフバー地区は12イマーム派(シーア派)宗徒が暮らすヌッブル市、ザフラー町に近く、シーア派国家イランにとっても両市町を守るためにシャフバー地区をシリア政府が支配する事は好都合であった。
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「オリーブの枝」の例文・使い方・用例・文例
- オリーブの枝は平和を象徴する。
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