F-4 (戦闘機) 概要

F-4 (戦闘機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 02:41 UTC 版)

概要

空中給油を待つF-4F

アメリカ海軍初の全天候型双発艦上戦闘機として開発され、大型の翼と高出力のジェットエンジンを双発で装備し大きな搭載量を特徴としている。当初の機種番号は海軍ではF4H、アメリカ空軍ではF-110だったが1962年アメリカ軍軍用機の命名規則統一によりF-4となった。

ベトナム戦争での活躍から多くの西側諸国に採用され、各国の要求に応じて様々な派生型が数多く作られたことにより冷戦期の代表的な機体となった。数々の実戦戦績や各国へのセールスの成功も含めて傑作戦闘機と評価され、マクドネル社の発展の原動力としてその名を世界に広めた戦闘機とされる。

マクドネル社とダグラス社の合併によりマクドネル・ダグラス社となってからも生産が続き、総計5,195機生産された。超音速戦闘機の歴史で5,000機以上製造されたのは、このF-4とMiG-19MiG-21MiG-23の4機種しかない。現在のベストセラーF-162018年時点で約4,600機[2] であることを見ても特筆すべき生産数である。

設計・初飛行から約40年が経過した1990年代半ばに開発国のアメリカでは全機退役し、2000年から2015年ごろに多くの国で退役が進んだ[3][4]。日本の航空自衛隊でも2021年3月17日をもって全機退役し[5][6]、今後も残った採用諸国でも退役が進む見込みである。

開発経緯

開発の背景

1950年代1960年代には空対空ミサイルや超音速機の実用化が進められ、「超音速機同士の交差時間はごく僅かであって航空機関砲による撃破は困難であるため、将来の空戦はミサイルが主役となり、戦闘機はミサイルを運ぶ存在(ミサイルキャリアー)になる」というミサイル万能論が主流となった時期があった。

このため、アメリカ空軍では、格闘戦に重要な旋回性よりも速度や航続力を重視した護衛戦闘機F-101戦闘爆撃機F-105、空対空ミサイルを遠距離から発射する迎撃戦闘機F-102F-106等の開発が重視されることとなった。

F-4自体も当初は機関砲は不要として装備されず、空対空ミサイルの搭載量が重視された。

開発前史

F3H-Gのモックアップ(1954年)

1952年7月アメリカ海軍はグラマン社にF9F-9(後のF11F-1)を発注し、また、9月にアメリカ海軍は超音速昼間戦闘機の提案依頼(RFP)を発表し、応募8社からチャンス・ヴォート社の「F8Uクルセイダー」を選択した。

この結果、マクドネル社はFHファントムF2HバンシーF3Hデーモンと続いてきた艦載戦闘機の受注を失うこととなった。これに対してマクドネル社はF3HのエンジンをライトJ67に換装しM1.69を狙う「F3H-Cスーパーデーモン」、さらに三車輪式降着装置や後退角45度面積450平方ftの翼を与えたF3H-E、F-101ブードゥーのレイアウトを織り込み双発のライトJ65に低翼配置の面積530平方ftの主翼と全浮動の尾翼を持つF3H-Gと社内検討を行っていた。

マクドネル社は1953年9月19日にF3H-Gをアメリカ海軍航空局に提出した。F8U契約直後の海軍は数週間の後に却下したものの作業自体の継続は奨励したため、1954年前半にモックアップは完成し、海軍の上級職員に公開されるに至った。

原型機発注

F4H-1F
胴体にPhantom IIの文字が読み取れる
(1960年)
カタパルトに接続されたXF4H-1(1959年)

1954年中頃にアメリカ海軍航空局は全天候戦闘機の提案要求を出した[7][8]。これに対してマクドネル社からは単発のF3H-Eと双発のF3H-G、他にグラマン社とノースアメリカン社から提案が提出された結果、1954年10月18日にマクドネル社はF3H-G案を基にしたYAH-1プロトタイプ2機建造の同意書を受け取った。しかし、海軍側で要求を明確にすることができずにいたため、実用化を約束されたものではなかった。とはいえ、数ヶ月のうちに要件として半径250海里で2時間以上の戦闘航空哨戒を実施できる艦隊防空戦闘機とすることが明確になり、F4H-1と改称されることとなった。

マクドネル社のモックアップは4門の20mm機関砲を装備することとしていたものの、アメリカ海軍は4発のスパローミサイルの装備のみを要求した。しかしながら、前述されたこの楽観論は、後にアメリカ海軍をはじめとする使用者を悩ませる問題を引き起こすこととなった。F3H-Gは新基軸となるスパローの胴体下半埋め込み式装備に変更され、また、M1.5を想定していたライト J65から当時最新鋭のゼネラル・エレクトリック J79-GE-2に変更してM2級とすることとなった。

要求仕様では火器管制装置の技術的信頼性の問題から搭乗員数の指定はなく、マクドネル社は単座と複座の両案を提示していた。これに対してアメリカ海軍は早々に複座案を採択した。また、胴体中心線上の600ガロン入り落下タンク用を除きパイロンは廃止されるものとされた。

1955年6月25日に2機の「XF4H-1」テスト機と5機の「YF4H-1」試作機の正式契約が締結された。

初飛行

1958年5月27日、原型機であり第一号機でもあったマクドネル社の「XF4H-1」が初飛行を行い、油圧系統の不具合で降着装置の格納はできなかったものの飛行自体は不具合なく終わっている。同時期に試作されていたチャンス・ヴォート社のF8U-3は、この6日後に初飛行を行っている。

それぞれの初飛行成功後、エドワーズ空軍基地にて両機の比較審査が行われた。1958年12月、単発単座のXF8-Uに対する複座型・双発エンジンの優位性と搭載力が評価され「XF4H-1」が選択された。当時、それまでの超音速戦闘機にみられない太い胴体と直線で構成された大型の主翼を持ち、白鳥になるかどうかも分からない「みにくいアヒルの子」と関係者の間で囁かれたこの戦闘機には、幻影や亡霊という意味を持つ「ファントム II:Phantom II」の愛称が与えられた。IIとなったのは太平洋戦争末期にマクドネル社がFH ファントム(世界初の実用ジェット艦上戦闘機)を開発したことによる。しかし先代(FH)は少ない生産数と運用期間の短さから知名度が低く、ファントムといえば本機を指すようになっていった。

飛行テスト

アメリカ海軍はマクドネル社に対し、既に完成していた原型機「XF4H-1」2機に加え、21機の量産原型機(F4H-1F)を発注した。この計23機でより実戦的な評価作業と原型機の洗い直しが行われた。この研究・開発用の21機はそれぞれメーカーであるマクドネル社や、エンジンを担当したゼネラル・エレクトリック社、ミサイルを担当したレイセオン社などに各種研究開発のために引き渡され使用されたため、ひとつとして同じ機体はなかったと言われている。この時期にレーダーを換装したことによるレドームの大型化やキャノピーの改善も行われている。

これらに続き生産された24機は訓練用としてアメリカ海軍や海兵隊に引き渡され、パイロットや整備員の訓練に使用された。

特徴

基本構成

F-4 Phantom II フライトデモのビデオ

F-4の大きな特徴に、無給油で3,184kmを飛行できる航続距離が挙げられる。高い推力と引き換えに燃料消費の激しい大型エンジンを2基も搭載していたが、それを補ってあまりある燃料搭載量は、胴体内6個と主翼内に2個のタンクに加え、胴体下の600ガロン増槽と主翼下370ガロン増槽の総計3,370ガロン(12,460L)と、当時の群を抜くものだった。さらに空中給油能力も合わせると、パイロット自身の持久力の許す限りの航続時間を持つこととなった。

また、アメリカ海軍初の複座型艦上戦闘機であることも特徴となっている[注 1]。F-4では前席にパイロット、後席にレーダー・航法担当のレーダー迎撃士官が搭乗する。キャノピーは前後席が独立したタイプである。

コックピット前席の前面計器盤は、円形のレーダースコープとその操作装置を中心として、上部に光学照準器HUDではない)、中央部にコンパスや水平儀等の操縦関係の計器、左に操作系、右に警告灯、下側に油圧系統のメーターやゲージが備わり、サイドコンソールに各制御スイッチが配置される。レーダースコープ横に、360度をカバーする円形レーダーホーミング及びレーダー警戒装置用の表示装置が配置される。またF-4Eでは、スロットル・レバーや操縦桿に、レーダーなどの装置の操作スイッチが取付けられたが、これは今で言うHOTASとは異なる。

後席の前方視界は殆どなく、レーダー迎撃士官はパイロット用射出座席、つまりパイロット背中部分のレーダースコープや各種計器を使用し、機内通信装置を用いてパイロットに現在位置や周囲の状況を伝える。後席右パネルには操縦桿の代わりにレーダー操作用ジョイスティックがある。原型である海軍型には後席に操縦装置は無いが、空軍向けの派生型では、後席にも操縦系統を設けている。前後席ともに空戦時の後方確認用にキャノピー枠内側に凹面鏡のリアビューミラーを備えている。

胴体下には、AIM-7スパローミサイルを半埋め込み式で4発搭載、左右の主翼下の各2箇所と胴体中心線下の1箇所に、ミサイルなどの兵装や増槽、または電子戦ポッドを搭載するためのパイロンを設置可能なハードポイントを装備している。

エンジン

エンジンは当時最新鋭のゼネラル・エレクトリック J79とされた。F-104Aにも採用されたJ79-GE-3A型エンジンはアフターバーナー時の推力が6,715kgと当時としては群を抜く推力を発揮しているが、さらに双発とすることでさらなる搭載力や機動性を確保している。

2基のエンジンは機体中央に寄せ尾翼はノズル上部後方に配置しているが、これはマクドネル社の前作のF-101戦闘機と同じスタイルである。

開発中、地上でのアイドリング状態からアフターバーナー点火時のマッハ2.2まで、同一のエアインテーク形状では対応できないという問題が判明している[注 2]

この問題はエアインテーク周辺に発生する衝撃波が空気吸入を妨げることが原因と判明しており、対策としてエアインテーク直前のスプリッターベーン(境界層分離板)の先端をマッハ2に対応した位置に調整し衝撃波面をコントロールして空気流を確保している。

スプリッターベーンには表面で成長する境界層を吸い取るために各12,500個の小穴を空けてあり、この排気はスプリッターベーンの上下に出っ張ったアウトレットから排出される。それより後方のエアインテーク内の境界層は別に吸い取られエンジン周囲を冷却して後方に排出される。そのためスプリッターベーンとエアインテークに構造の隙間が見て取れる。また、スプリッターベーンはインテークへの境界層の進入防止と境界層の吸入による振動(バズ)を防ぐため胴体の間に50mm程の隙間が設けられている。スプリッターベーンと胴体表面との間の境界層はくさびがたで上下に逃がされる構造となっている。スプリッターベーンはインテークランプを兼ねており、前半は固定ランプで、後半とその奥は可変ランプで、吸気を適切な流量と速度に調節できる。

  • [1] - F-4AとF-4Bのスプリッターベーン比較

「J79」を大別すると、B型が搭載した「J79-8」(最大推力7,710kg)、C/D型が搭載した「J79-15」(最大推力7,710kg)などのノズルが短いタイプと、J型が搭載した「J79-10」(最大推力8,120kg)、E型が搭載した「J79-17」(最大推力8,120kg)などのノズルが長いタイプがある。

主翼・尾翼

F-4Eの下面
主翼下にAIM-4ファルコンミサイル3発、胴体下にAIM-7スパローミサイル3発を搭載している
下反角がついた水平尾翼(F-4EJ改)

主翼はアスペクト比2.8テーパー比1/7で、後退角は翼弦長25%で45度、前縁で52度であり、また、後縁にも若干の後退角がついている。クリップドデルタ翼と後退翼の中間的なものである[注 3]

開発初期の風洞試験の結果、主翼全体に5度の上反角を与える必要があると判明したが、機体主要部のチタニウム構造材の再設計は困難だったため、主翼幅70%辺りで折り畳まれる外翼部のみに12度の上反角を与えることで同等の効果を得るものとした。また、同じ外翼部の翼弦長を10%程度延長してドッグトゥース[注 4] としている。

また、主翼は低翼配置であり、水平尾翼のほうが高い位置にある。この配置は迎え角を大きく取ると主翼の後流が水平尾翼の効果をなくし急激な機体の頭上げ(ピッチアップ)を生じること[注 5] が判明した。そのためF-4では風洞試験の結果を受けて水平尾翼に23度と大きな下反角をつけることで対処している。なお、水平尾翼(スタビレーター)は全面が一体となって可動する(F-15やF-16のようなエルロンの代わりとしても機能する「差動方式」ではなく、左右の尾翼は一体となっているため、常に左右同じ動きとなる。回転軸はスタビレーターより10 cmほど高い位置にあり、ブランコのように動く)全浮動式(オール・フライング・テール)を採用しており、尾翼前縁で発生した衝撃波の干渉を受けることなく操舵が行えるようになり、超音速飛行時においても機動性を低下させることがなくなった。そのため、F-4以降の戦闘機においても水平尾翼は全浮動式が採用されている。尾部にはドラッグ・シュートと水平尾翼を作動させる装置が内蔵されているほか、垂直尾翼の安定板前部の中央には、スタビレーター人工感覚システムの圧力センサーが取付けられている。

その後の研究で、主翼を尾翼より上に配置すれば、ピッチアップは防止できる事が判明した[注 6]。また、低翼配置は、爆弾・ミサイル等を翼下に吊下するためには降着装置を長大化する必要があり、これもまた問題となった。そのため通常尾翼型の超音速戦闘機においては、これ以降は高翼配置が主流となっていった[注 7]

基本的に尾翼周りの設計は超音速機の発展途上の形態であり、その技術の未熟さは遷音速域において操縦安定性を悪化させる要因になっている。当時のマクドネル社の基本設計は短いジェットインテーク-ノズル系で機体の軽量化を図り、その上に胴体尾部を延長しているため、ジェット推力の変化による水平尾翼との近接作用で有害な上下力が発生する。高い尾部の上にさらに垂直尾翼を設置している一方で、艦載機ゆえに機体の上端は制限されてしまうためアスペクト比の小さい形となり方向舵の効きが悪く、旋回時に過大なアドバースヨーが発生する。

主翼前縁フラップには、初期型ではエンジンコンプレッサー17段目より抽気した空気を吐出する、BLC(境界層制御)装置を装備していたが、F-4Eの後期型からは前縁スラットに改良されている[注 8]。主翼の内翼部後縁には、内側にフラップ、外側にエルロンを装備しており、フラップ類は着艦時など低速での揚力を確保するだけでなく、空戦フラップとして使用されることで改善されている。

当時の戦闘機は超音速飛行時の抗力低下を重視し、主翼面積の小さな高翼面荷重の機体が多かったが、F-4は離着艦性能の維持のため大面積の主翼を採用し、翼面荷重は低くなっている。元来は大型のミサイルキャリアーとして設計され戦闘機同士の空中戦・格闘戦を念頭に置いていなかったものの、低翼面荷重と高推力重量比により格闘戦もこなせる機動性を得ることができた。その空戦性能は、海軍機ながら当時のアメリカ空軍センチュリーシリーズなどを凌駕しており、のちに(軽快なMiG機相手に苦戦を強いられる局面もあったものの)ベトナム戦争など数々の実戦でも証明された。

レーダー

写真は発展型のAPQ-100レーダー

機首部分にウェスティングハウス社製APQ-72を搭載し目標の捕捉とスパローミサイルの誘導に使用している。

原型機18号機までは直径が約60cm(24in)のAPQ-50パラボラアンテナだったが、19号機以降では約81cm(32in)への大型化に合わせてレドームも「ドルーピーの鼻」と呼ばれた大型のものに変更された。これによって前方下方向の視界が損なわれたとして後部座席からの後方視界不良の問題も合わせてキャノピーの改良も行われ、機体の背部に沿わせたラインからより膨らませた外形に変更され相応の改善を得ることとなった。

降着装置

ホイールベース7.01mトレッドベース5.46mと幅広の三車輪式降着装置は着艦時の衝撃に耐えられるように着艦重量17,250kgで7.2m/sの沈下速度[注 9] に耐えるべく太く頑丈に設計されている。海軍型は前脚を51cm(イギリス海軍向けK型は102cm)伸ばして離艦時の迎え角を稼ぐことができる。

着艦時に使用するアレスターフックは尾部に収められ4.8Gの荷重に耐える。アレスターフックは空軍型にも残されている。

機尾に装備されるドラッグシュートは直径4.8mで着陸時だけではなく空中でのスピン回復にも使用可能とされている。


注釈

  1. ^ 複座型の全天候型艦載機としてF3D スカイナイトが採用された前例があるが、結局は艦載機としては使用されず、陸上基地からの出撃に留まっている
  2. ^ マクドネル社の前作のF-101もJ57エンジン双発の大推力ながら同様の問題で最高速度はマッハ1.7に留まっている
  3. ^ F-3HF-101、本機F-4、そして次代のF-15と、歴代のマクドネル(ダグラス)社の戦闘機を見比べると、後退翼から徐々にクリップト・デルタ翼へと翼平面形が変化していくことを見て取れる
  4. ^ 高迎角時に渦流を発生させることで翼端失速を押さえる効果がある
  5. ^ マクドネルの前作・F-101戦闘機の場合は、ピッチ・コントロール・システムが付加され、機体の運動を制限しており、大きな欠点となっている
  6. ^ F-4より先行して開発・配備されているF-100戦闘機は主翼位置が尾翼より高く、前後に開発された多くの機体が悩まされたピッチアップの問題とは無縁であった
  7. ^ 中国が90年代以降に配備しているJH-7戦闘爆撃機は、F-4の派生型であるブリティッシュ・ファントムと同じエンジンを搭載し主翼面積や機体重量も近似しており、しばしばF-4と比較されるが、主翼は高翼配置である
  8. ^ 主翼の内翼部と外翼部に分けて装備されている。
  9. ^ 高さ5.28mから自由落下させた際の接地速度に相当
  10. ^ L(=ローマ数字の50) Anniversary of Naval Aviation
  11. ^ 当時のレーダー誘導ミサイルは、運用する機体からレーダー波を照射し続ける必要があり、戦闘機どうしの格闘戦には不向きであった。また、赤外線誘導ミサイルは、エンジンの廃熱を追うために敵機の背後から撃つ必要があり、運動性に劣る機体では不利となった
  12. ^ ミサイルには最低射程があるため、敵機と急接近した際には使用できなかった
  13. ^ 実はF-106戦闘機が、低翼面荷重、高推力重量比で、運動性や加速性に優れた機体だったが、アメリカ本土防空が目的で、高度な電子機器を搭載する高価な機体だったため、ベトナム戦争において制空任務に用いる事はできなかった。ただし仮想敵機としてF-4パイロットの訓練に用いられ、大いに手こずらせ、技量向上に貢献した。
  14. ^ 横須賀を母港とした空母「ミッドウェイ」に艦載されていた
  15. ^ これについては「ベトナムでの戦訓から空中戦での必要性が高まったため」と語られることが多いが、実際にはそれよりも前から空軍は戦術戦闘任務用として機関砲の搭載を要求していた
  16. ^ 航空自衛隊仕様のF-4EJや西ドイツ空軍仕様のF-4F、輸出用偵察型のRF-4Eも含む。
  17. ^ 米空軍中古のF-4C/Dの供与を受けたのはスペイン(F-4C)と韓国(F-4D)だけで、イラン向けのF-4Dは新造機である。また、スペインと韓国は同じく米空軍中古の偵察型RF-4Cも供与されている。
  18. ^ ちなみにF-4は、米海軍向け後期型のF-4Jにおいて戦闘機として世界ではじめてルックダウン能力を備えた機体であり、第2次FXの選定時の1966年(昭和41年)にはこれよりルックダウン能力に優れた機体は存在しなかった。この亡命事件で地上のレーダーとF-4EJの双方が領空侵犯機を見失うという事態が発生したことで、航空自衛隊への早期警戒機E-2C」の導入が決定する
  19. ^ 完成品輸入の2機のほか、ノックダウン生産の10機にもアメリカ空軍によるブロックナンバー「F-4EJ-45/-47」が与えられている
  20. ^ 国産比率(ライセンス生産含む)は90%、輸入比率は10%である[16][17]
  21. ^ 個々の機体を、飛行実績により管理して、それをコンピューター処理することにより、より正確な疲労度と疲労限界を個々の機体に決定する機体の管理方式である。これで、一括で定められていた機体寿命を個々の機体で設定することが可能となり、約2000飛行時間の寿命延長が可能となった、それにより、3000飛行時間とされていたF-4EJの機体寿命が5000飛行時間へと延び、年間飛行時間を200時間とした場合には、10年の延命が可能となった。
  22. ^ HUDユニット自体はアルファジェットで使用されているのと同じであるが、機能はコンピューターのソフトウェアにより変更されている。
  23. ^ 当初の計画では第304飛行隊のF-4EJ時代の施設が残されており、施設流用可能でF-4運用実績のある築城基地第8航空団第6飛行隊へ配備する計画だったが西方への「政治的配慮」で三沢基地第3航空団第8飛行隊になった
  24. ^ なお、その後の捜索では弾丸は18発しか発見されておらず、発射されたもののうち約9割が行方不明となった
  25. ^ この時無事脱出した計5名のパイロットは全員捕虜となった
  26. ^ シリア対イスラエル65件エジプト対イスラエル52件
  27. ^ 1982年の時点で80%の機体が飛行可能な状態になかったとされる
  28. ^ これらに加え、偵察型であるRF-4Eを27機発注するが、第1陣の16機が引き渡された時点でイラン革命が起こり、第2陣以降は未引き渡しとなった
  29. ^ 一説では、YJ-8対艦ミサイルの運用能力が付加されているとされる
  30. ^ 輸入した航空機の一部を国産品に交換することは、航空機製造技術を持つ国が他国機を導入した際に、自国航空産業の育成などを目的として、あるいは販売元が技術供与を拒否した場合の対処などで、普通に行われている事である。ただし本機のケースにおいては、著しくコストが増大し、部品の国産化は失敗だったとの評があった事から、「F-4Jをそのまま導入しなかったのは、イギリス帝国のある種のメンツがそれを許さなかった」という民族性ジョークに近い俗説が語られた。
  31. ^ イギリス側呼称FGR.2の「R」は「偵察」を意味する
  32. ^ F-4Kも空軍への移管時に追加された
  33. ^ 1972年に移転
  34. ^ 同隊の解隊で余剰化したFG.1は空軍が受領し、第111飛行隊英語版に配備された。
  35. ^ 空母「HMS イーグル」へのファントム配備計画中止により余剰化した機体を受領。
  36. ^ 第228作戦転換部隊(No. 228 Operational Conversion Unit)のシャドー・スコードロン
  37. ^ 1987年4月22日付で移転。
  38. ^ 第74飛行隊は1971年に解隊されたが、ファントム装備のために再編成された。
  39. ^ 1971年に解隊された時点での装備。
  40. ^ 1991年に機種転換。
  41. ^ 1975年11月3日付で移転。
  42. ^ 1979年に機種転換。空母「HMS アーク・ロイヤル」の退役により海軍で余剰化した機体を受領。
  43. ^ 1993年5月31日付で改名
  44. ^ F-4Fへの機種転換以前は第42軽攻撃航空団(Leichtes Kanpfgeschwader 42)と呼ばれていたが、機種転換に伴い1975年4月に改名。
  45. ^ MiG-29は2004年にポーランド空軍に引き渡された。
  46. ^ 1991年1月1日付で改名

出典

  1. ^ a b Knaack, M.S. (1978). Encyclopedia of US Air Force aircraft and missile systems. Office of Air Force History 
  2. ^ Lockheed Martin Awarded Contract To Build F-16 Block 70 Aircraft For Bahrain Lockheed Martin 2018年6月25日 2021年3月17日閲覧
  3. ^ 消えゆく戦闘機F-4「ファントムII」 空自百里基地で「ラストファントム」飛ぶ”. 月刊PANZER編集部. 2021年1月31日閲覧。
  4. ^ “空を守り、パイロット育て半世紀 F4ファントムが退役”. 朝日新聞デジタル. (2020年12月31日). https://www.asahi.com/articles/ASNDY46J8NDXULZU010.html 2021年2月1日閲覧。 
  5. ^ “空自F4ファントム、ラスト飛行 岐阜基地、日本の空守り半世紀”. 共同通信. (2021年3月17日). オリジナルの2021年3月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210317085122/https://this.kiji.is/744712108100304896 2021年3月17日閲覧。 
  6. ^ “空自F-4ファントムII、明日3月17日にラストフライト 完全退役”. FlyTeam ニュース. (2021年3月16日). https://flyteam.jp/news/article/131644?fbclid=IwAR0H5bvU5aMxT5tbBf7kZj9DnUODF8gtZNl6R1cqmXtHblUxac9VoyvODiM 2021年3月17日閲覧。 
  7. ^ Boeing: News Feature - F-4 Phantoms Phabulous 40th - Milestones” (英語). web.archive.org (2008年12月25日). 2019年8月17日閲覧。
  8. ^ Boeing: News Feature - F-4 Phantoms Phabulous 40th Home” (英語). web.archive.org (2012年4月14日). 2019年8月17日閲覧。
  9. ^ Cenciotti, David (2016年8月31日). “USAF QF-4 Phantom is shot at by an F-35 with two AIM-120s during last unmanned mission (and survives)” (英語). The Aviationist. 2019年8月17日閲覧。
  10. ^ F-35 Test Marks Final Unmanned QF-4 Target Drone Flight | Defense content from Aviation Week
  11. ^ Valinski, Steven (2017年1月6日). “Phantom Pharewell: The Last Flight of the QF-4 at Holloman AFB” (英語). Aviation Photography Digest. 2019年8月17日閲覧。
  12. ^ 主要装備 F-4EJ(改)”. 航空自衛隊. 2022年11月8日閲覧。
  13. ^ 柘植優介 (2021年9月4日). “岐阜基地で見た! 輸入型「ファントム」の知られざる改造&アメリカ製ゆえの特徴とは”. 乗りものニュース. 2021年9月9日閲覧。
  14. ^ F-4EJ(改)”. 航空自衛隊. 2021年9月9日閲覧。
  15. ^ 参議院会議録情報 第058回国会 決算委員会 第8号”. kokkai.ndl.go.jp. 2019年8月17日閲覧。
  16. ^ Michael J Green (1995) (英語). Arming Japan: Defense Production, Alliance Politics, and the Postwar Search for Autonomy. New York: Colombia University Press. p. 33 
  17. ^ ジョン・パーマ (3 2010). “日本の防衛産業は今後如何にあるべきか?”. 防衛研究所紀要 12 (2・3合併号): 135. https://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j12-2-3_6.pdf. 
  18. ^ 航空情報』 269号 酣燈社、51頁、1970年4月
  19. ^ 『航空情報』 269号 酣燈社、31頁、1970年4月
  20. ^ 令和2年度防衛白書 p.494 資料5 主要航空機の保有数・性能諸元
  21. ^ a b “茨城空港公園 旧戦闘機 雄姿復活へ色直し 塗装協会が無償奉仕”. 『茨城新聞』. (2022年3月12日). https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=16470012345740 2022年5月4日閲覧。 
  22. ^ 最新鋭のステルス戦闘機「F-35A ライトニングII」、国内組み立て初号機のテストフライトを実施”. Response. (2017年6月15日). 2017年11月13日閲覧。
  23. ^ 退役F4ファントムの部品売却検討 防衛省 - 産経新聞
  24. ^ a b c d e f g h i j k 『JWings』2007年9月号p62
  25. ^ a b c 航空ファン 2014年2月号
  26. ^ a b Israeli Air Force” (英語). www.aeroflight.co.uk. 2019年8月17日閲覧。
  27. ^ a b Israeli Air Force” (英語). www.aeroflight.co.uk. 2019年8月17日閲覧。
  28. ^ Kurnas 2000” (英語). www.israeli-weapons.com. 2019年8月17日閲覧。
  29. ^ "Directory: World Air Forces: Israel." Flight International, 16–22 November 2004. Retrieved: 14 February 2008.
  30. ^ Israeli Air Force” (英語). www.aeroflight.co.uk. 2019年8月17日閲覧。
  31. ^ Israeli Air Force” (英語). www.aeroflight.co.uk. 2019年8月17日閲覧。
  32. ^ Israeli Air Force” (英語). www.aeroflight.co.uk. 2019年8月17日閲覧。
  33. ^ a b c d e f g h i j k l m 『JWings』2007年9月号p61
  34. ^ Dion Nissenbaum; Matt Bradley (2014年12月4日). “イランがイラク国内のイスラム国攻撃”. ウォール・ストリート・ジャーナル (ニューヨーク). https://jp.wsj.com/articles/SB11940430595972624884104580315541271938352 2019年8月17日閲覧。 
  35. ^ a b c d e f g h i j k l m 『JWings』2007年9月号p60
  36. ^ a b c d e f g h i 『JWings』2007年9月号p59
  37. ^ a b Hellenic Air Force. “348 Squadron” (英語). 2019年9月25日閲覧。
  38. ^ Hellenic Air Force. “110 Combat Wing” (英語). 2019年9月24日閲覧。
  39. ^ Hellenic Air Force. “117 Combat Wing” (英語). 2019年9月25日閲覧。
  40. ^ Hellenic Air Force. “339 Squadron” (英語). 2019年9月25日閲覧。
  41. ^ Green, W; Swanborough, G (2001). The Great Book of Fighters. MBI Publishing. ISBN 0-7603-1194-3 
  42. ^ Loftin, LK, Jr.. “Quest for Performance: The Evolution of Modern Aircraft. NASA SP-468”. 2006年4月22日閲覧。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「F-4 (戦闘機)」の関連用語

F-4 (戦闘機)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



F-4 (戦闘機)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのF-4 (戦闘機) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS