エミール=オーギュスト・シャルティエ エミール=オーギュスト・シャルティエの概要

エミール=オーギュスト・シャルティエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 02:00 UTC 版)

エミール=オーギュスト・シャルティエ
アラン(1931年)
ペンネーム アラン(Alain)
誕生 Emile-Auguste Chartier
(1868-03-03) 1868年3月3日
フランス帝国ノルマンディーモルターニュ=オー=ペルシュ
死没 (1951-06-02) 1951年6月2日(83歳没)
フランスル・ヴェジネ
墓地 ペール・ラシェーズ墓地
職業 教師哲学者評論家モラリスト
最終学歴 パリ高等師範学校
ジャンル 美学哲学政治学教育学
代表作幸福論 (アラン)フランス語版』(1925年
ウィキポータル 文学
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アランが影響を受けたジュール・ラニョー
アランの影響を受けたアンドレ・モーロワ

ペンネームアランは、フランス中世の詩人作家であるアラン・シャルティエ英語版に由来する[5][6]

1925年に著された『幸福論 (アラン)フランス語版』で名高いが、哲学者や評論家としても活動し、アンリ・ベルクソンポール・ヴァレリーと並んで[7]合理的ヒューマニズムの思想は20世紀前半フランスの思想に大きな影響を与えた[8]

体系化を嫌い、具体的な物を目の前にして語ろうとしたのがアランの手法で[9]理性主義の立場から芸術、道徳、教育などの様々な問題を論じた[2]。フランス文学者の桑原武夫は「アランの一生は優れた「教師」の一生であったと言えよう」と評している[10]。また、アランの弟子で同国出身の小説家、評論家であるアンドレ・モーロワ1949年にアランの伝記や教えをまとめた『アラン(Alain)』の中で、アランを「現代のソクラテス」と評している[11]

生涯

1868年3月3日、フランス帝国ノルマンディー地方(現:オルヌ県モルターニュ=オー=ペルシュ)に生まれる。リセ・ミシュレフランス語版エコール・ノルマル・シュペリウール入学し、哲学専攻した[10]。学生時代、哲学の面ではカントヘーゲルスピノザアリストテレスプラトンなどの影響を受け[12]、文学の面ではバルザックスタンダールを好んで読み[5]批評の面ではサント=ブーヴルナンフェルナン・ブリュンティエール英語版の影響を受けた。特にリセ・ミシュレで教師を務めていた合理主義哲学の立場を取ったジュール・ラニョーの講義を受け、後々まで大きな影響を受けた[12]

卒業後ポンティヴィロリアンルーアンに位置するコルネイユ高等学校などのリセで教師を務めた。1909年からアンリ4世高等学校英語版に哲学を教える教師として務めた[10]。なおコルネイユ高等学校の教え子に同国出身の評論家アンドレ・モーロワが居た。モーロワは、後にアランの伝記・教えをまとめ『アラン(Alain)』を1949年に出版[13]。モーロワ『アラン』によると、アランは「偉大な書物の中には必ず哲学がある」との信念に基づき、ホメロスやバルザックの本を読ませたという記述がある[5]。過去の偉大な哲学者達の思想とアラン独自の思想を絡み合わせた哲学講義は学生に絶大な支持を受け、レイモン・アロンジョルジュ・カンギレムシモーヌ・ヴェイユジュリアン・グラックなどの作家・学者・思想家を輩出した。

ドレフュス事件に関する文を著したのがアラン最初のジャーナリストの経験で急進主義的な文章を著した[11]。アランというペンネームを持ち始めたのはルーアンで教師を務めていた1903年頃で、アラン名義でルーアンの『デペーシュ・ド・ルーアン (Dépêche de Rouen)』紙に週に一回、文学美学教育政治に関する短いエッセイ形式のコラム「プロポ (propos)」を寄稿し始め、このコラムによって文名を博した[6]

第一次世界大戦が始まると46歳で自ら願い出て志願兵となり、戦争の愚劣さを体験するために好んで危険な前線に従軍した[11]。戦争が終わり、除隊後の1921年に戦時中体験した出来事を綴った『マルス、または裁かれた戦争(Mars ou la guerre jugée)』を著したが、愛国者の怒りを買った[5][9]。再びアンリ4世高等学校に戻り、1933年頃まで教師を務めた。また、1937年出版された『大戦の思い出(Souvenirs de guerre)』も『マルス、または裁かれた戦争』と同じく戦時中体験した出来事を綴った本である。なお1920年に出版された『芸術論』は戦時中に草稿が書かれた[12]

教師を退職した後は亡くなるまで執筆活動を続けた。1951年6月2日にフランスのル・ヴェジネにて83歳で没した。

業績

1920年刊行の『芸術論集』で、芸術霊感説を否定し、芸術とは理性意志とが素材を克服し、想像力に統制を加える事だと考えた[10]。また、著書『イデー』に於いてデカルトについて「心身問題については今もなおデカルト以上に優れた教師は見当たらぬ」と評している[14]。冒頭で書いた通り、アランは新しい哲学体系などの体系化を嫌い、過去の哲学者や思想家の優れた意見の特色を示し、人間理性の良識としての高貴さを評価した。アランの人生哲学はプラグマティズムの思想とは異なり、「良く判断することは善く行為することである」として人間は自身が強く意志することによってのみ救われると言ったオプティミズムで貫かれていると考えた[10]


  1. ^ 順不同。なおフランスの哲学者、文学史家のイポリット・テーヌは後にアランより軽蔑された。
  2. ^ a b 広辞苑(第六版)では、アランの項目は人生哲学者・モラリストと記述されている(p.97)。
  3. ^ 岩波小辞典 哲学 1965, p. 3.
  4. ^ 哲学研究者の所雄章は『岩波 哲学・思想事典』(廣松渉子安宣邦三島憲一宮本久雄佐々木力野家啓一末木文美士編、岩波書店、1998年刊)にて「哲学者というよりは「モラリスト」」と説明がされている。
  5. ^ a b c d 万有百科大事典 1 文学 1973, p. 25.
  6. ^ a b 大日本百科事典 1967, p. 497.
  7. ^ アランとは - コトバンク、2014年4月16日閲覧。
  8. ^ グランド現代百科事典 1983, p. 55.
  9. ^ a b 万有百科大事典 4 哲学・宗教 1974, p. 15.
  10. ^ a b c d e 世界大百科事典 1972, p. 466.
  11. ^ a b c 世界文化大百科事典 1971, p. 217.
  12. ^ a b c 新潮 世界文学小辞典 1971, p. 33.
  13. ^ 訳書は佐貫健訳でみすず書房(初版1964年、新版1979年ほか)
  14. ^ 野田 1983, p. 162.


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