エミール・ゲネツとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エミール・ゲネツの意味・解説 

エミール・ゲネツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 01:18 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
エミール・ゲネツ
Emil Genetz
1910年代のゲネツ
基本情報
出生名 Karl Emil Moritz Genetz
生誕 (1852-10-24) 1852年10月24日
出身地 フィンランド大公国 ヴィープリ州 インピラハティ
(現: カレリア共和国
死没 (1930-05-01) 1930年5月1日(77歳没)
 フィンランド ウーシマー州 ヘルシンキ
ジャンル クラシック音楽
合唱曲
職業 作曲家
指揮者

カール・エミール・モーリッツ・ゲネツ(Karl Emil Moritz Genetz 1852年10月24日 - 1930年5月1日)は、フィンランド作曲家指揮者。愛国的な合唱曲を得意としていた。

生涯

フィンランド(現カレリア共和国)のインピラハティ(Impilahti)に生まれた。プロとして雇われる国語教師になったが合唱曲の作曲で頭角を現した。ヘルシンキ大学で化学と法律を修めてからフィンランド国立オペラ英語版の歌手となり、1875年から1877年までドレスデン音楽院英語版へ国費留学した。ハメーンリンナヘルシンキハミナ英語版などのフィンランドの様々な都市で暮らし、ドイツ語教師として働きながら愛国的楽曲を作曲し、合唱団の指揮を執った。1930年にヘルシンキにて没する。フィンランドでは多くの作品が今日でも広く知られている。

ジェームズ・フラッドは著作『The Book of World-Famous Music』の中で、1882年に出版されたゲネツ作曲の男声合唱のための『目覚めよフィンランド!』(Herää Suomi!)の最初の2小節が1900年のジャン・シベリウスの『フィンランディア』の主要主題にほぼ一致すると指摘している。『フィンランディア』の作曲当時フィンランド大公国ロシア帝国領の一部であり、このため人々はこのシベリウスの歌詞のない楽曲がいかに帝政に対して大胆に革命的であるか考えさせられたのである。

出典

  • Ruth-Esther Hillila and Barbara Blanchard Hong, ed (1997). “Genetz, Emil”. Historical Dictionary of the Music and Musicians of Finland. Greenwood Press. p. 99. ISBN 0-313-27728-1. 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エミール・ゲネツ」の関連用語

エミール・ゲネツのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エミール・ゲネツのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエミール・ゲネツ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS