食堂車
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脚注
参考文献
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関連項目
- ギャレー - 船舶や航空機に搭載された厨房。
- 外食産業 - レストラン
- 皇室用客車 - 9号・11号御料車が全室食堂車。他の御料車にも大膳室(供食設備)を有するものがある。
- 駅弁
- 機内食
- 車内販売
- 目玉焼き丼 - 食堂車従業員の賄い飯「ハチクマライス」の名称で知られる。鉄道博物館・京都鉄道博物館内の食堂で販売。
注釈
- ^ サービス電源発電用ディーゼルエンジンを床下搭載するものの走行用ではないため形式はキクシとされた。
- ^ カフェカウンター車クシ718形の「クシ」は国鉄時代から通じても初めての形式記号である。
- ^ 運行開始当初は選択可能だったが、2018年4月以降はどちらかを季節限定販売へ変更。
- ^ 改造前に種車は一度廃車しており、落成に際して車籍復活の手続きが取られた。
- ^ キロシは国鉄時代を通じても初の形式記号である。
- ^ 後に登場したあそぼーい!ではカフェスペースを、A列車で行こうではバーを、それぞれ設置するもののこれらはビュフェとは呼称していない。
- ^ 製造直後にクイシニ551 - 560へ改番され、以降は格下げ改造などにより1932年までに食堂設備を撤去。
- ^ 23000系でも4号車に「シーサイドカフェ」と称する軽食を提供できる設備があり、電子レンジで温めたパエリアなどを提供したが早期に休止。2000年代後半以降は土休日にワゴンサービスが実施されていたが、2020年の新型コロナウィルス流行に伴う緊急事態宣言で休止となり、その後も復活することはなかった。
- ^ 国鉄・JR各社の用語では「ビュフェ」と表記されるが、車内の案内放送では車掌や食堂会社従業員が「ビュッフェ」と発音することもある。
- ^ それ以前に青函連絡船においては1947年に登場した洞爺丸型客載渡船で既に食堂調理室の完全電化を達成していた。
- ^ 現在のロビーカーに相当する扱い(当時は「サロンカー」と称した)で、夜間提供メニューは後の北斗星等の「パブタイム」のメニューに近いものであった。
- ^ 最初から冷房付で落成した理由は、ビュッフェ利用者に夏季でも快適な食事空間の提供をする目的や食材の腐乱防止の観点によるものであるほか、当時の列車トイレは垂れ流し式であったためビュッフェ部分の窓を固定窓にした上で汚物の飛沫がビュッフェ室内にまで飛散するのを防止する衛生面からの配慮もあった。
- ^ 松本運転所(現・松本車両センター)のサハシ165形は、電源供給の問題から1976年の営業休止後も1982年に新前橋電車区(現・高崎車両センター)からクハ165形余剰車が転入するまで編成から外されなかった例がある。また583系電車では、編成全体の圧縮空気容量の関係からサシ581形の空気圧縮機(CP)も必要であった事情で編成から外すことができなかった。
- ^ 東海道新幹線開業に伴って151系電車が山陽本線の特急に転用された当初は東海道時代と同じだったが、その後クロ151形がクロハ181形に改造されたことで、「食堂車を境に等級が分かれる」形ではなくなった。
- ^ 2000年代においては在来線でも環境面の問題から循環式の汚水処理装置などを利用する例がほとんどである。
- ^ 新幹線のビュフェ車でも開業当初は汚水を走行中に外へ垂れ流していたが、沿線住民から苦情が多かったため床下タンクに溜めて駅で排出する方式に改善された。
- ^ 循環式汚物処理装置と呼ばれ、既にジェット航空機において採用されていたシステムを鉄道車両用に応用したものである。循環式は洗浄水の臭気などの問題もあり、後に真空式や清水空圧式などの汚物処理システムが実用化されるようになってからはそれらにとって代わった。
- ^ 急勾配区間である国府津駅 - 沼津駅間と馬場駅(現・膳所駅) - 京都駅間は非連結。
- ^ この他国有化された鉄道では関西鉄道・讃岐鉄道・成田鉄道の例がある。
- ^ それは1934年に東北本線・常磐線や函館本線の急行列車から一等車が廃止され、洋食堂車も和食堂車に変更されたものの、それらの線区では北海道・樺太連絡の使命もあり、それらの地域に赴任する高級軍人や高級官僚などの利用もあったため、一等寝台の代わりに二等寝台特別室を設置した車両が連結された他、和食堂車に変更されたものの洋食堂車の時代に扱っていた高級な洋食も扱う必要もあったという事情もある。
- ^ 戦前の「櫻」→急行7・8列車、のちの「霧島」
- ^ ビュフェの一角に冷蔵ネタケースや電気酒燗器を設置して寿司コーナーとしていた[55]。新幹線開業後の山陽線転出後に料理人(特に寿司職人)の確保が困難となり、次第に営業休止となり1972年3月すべての寿司営業が中止されるとともにサハシ153形の営業列車はなくなった。
- ^ これらはあくまで各列車におけるメニューの中核をなすものであり、列車・運転時期によって多少異なるがそれ以外にカレーライスやスパゲティなども提供されていた。
- ^ 営業開始を前に、乗務員をホテル内から募集したところ、30名程度の募集に対して、300名以上の応募者があったという。
- ^ 近鉄グループホールディングス傘下の都ホテルズ&リゾーツに所属。
- ^ 中華料理や新潟県の郷土料理もあるユニークなメニュー提供が特徴であった。
- ^ 1999年に日本食堂と共同出資で設立。
- ^ 後の検証で出火原因は電気暖房関連の施工不良による電気配線からの漏電と判明した。
- ^ 宮脇俊三の「汽車旅12カ月」には居座り客の一部始終を書いた一編が収録されており、植田まさしの漫画には食堂車の居座りをネタにした作品が登場していた。その一方、食堂車に関する諸文献や鉄道雑誌では、こうした居座りに関する記述はほとんど見られない。
- ^ JR北海道移行後は「おおとり」を最後に車内調理を中止している。
- ^ 「白山」は北陸新幹線長野暫定開業の1997年10月に廃止。その後ラウンジカーを組込編成が昼行特急で運用される場合は、コンビニエンスコーナー部は車販基地として使用された。
- ^ 1984年(昭和59年)から「みずほ」については「簡易営業」としたため、時刻表上の表記も「ビュフェ」とした。
- ^ 「出雲」は1998年(平成10年)8月中旬に「サンライズ出雲」運転開始による下り列車のダイヤ繰り下がりで売店営業を終了。
- ^ 24系客車で運行していた列車(京都から山陰本線経由)。285系電車を使用する「サンライズ出雲」(岡山から伯備線経由)は運行を継続。
- ^ 廃止後もツアー専用列車として2016年(平成28年)3月22日の大阪駅着まで運転された。
- ^ 食堂車の利用は不可だが持ち込みによるサロンカーでの食事は可能。
- ^ 以前提供していた「プレヤデス弁当」やホットディッシュ・コールドディッシュなどが添えられた「ルームセット」については食堂車の厨房で調製していたが、特製2段重は事前に神戸淡路屋で製造されたものを大阪駅で搭載していた。
- ^ 「北斗星」でも遅延等の理由により札幌到着が夕方になる状況が見込まれる場合に限り、カレーライス限定でランチ営業が行われる場合がある。専用のメニューも用意されているが、提供されるカレーはパブタイムで提供されるものと同じであるほか、サラダは基本的に付かず、ライスとカレーはあらかじめ皿に盛りつけられた状態での提供となる。
- ^ JR北海道所属車は2008年(平成20年)3月で運用離脱。
- ^ 特に和定食は積込数が少なく早めに売切れることが多発した。
- ^ 勝田車両センター配置時はクハ650-12+モハ650-12+モハ651-12+クハ651-106のK206編成。2014年の大宮総合車両センター転出時に交流機器使用停止措置など直流化専用改造を施工し同所OM301編成になった。
- ^ 2016年4月に特化改造を施工し国府津車両センターへ転出。編成番号IR01を付与。
- ^ 36形食堂車が連結される以前は、ビュフェ車においてもセルフサービスではなくウェイトレスによる接客サービスを行っていた。
- ^ 輸送力増強以外にもこだまのビュフェの利用率が低く2両運営では採算性などで問題が多かったこと原因の一つだった。また「こだま」全編成の組み換えまでには至らず1973年8月以降もこだま用K編成47本中17本がビュフェ2両組み込みのまま1両は営業休止で売店扱いのままとされた。後に17本中10本は1975年から1976年にかけて編成中の1両を売店車に差し替えたが(差し替えられたビュフェ車については増備された「ひかり」編成に転用)、残り7本は1980年9月までビュフェ車2両組み込みのままとされた。
- ^ 1976年の22次車では狭窓に設計変更された1000番台が3両追加増備されており、36形は計99両が製造されている。
- ^ 当初は通り抜ける客に食事を見られないように、食堂と通路を隔てる壁に窓を設けていなかったが、利用客から「食事しながら富士山を見られない」というクレームが多かったことを受け、1979年以降に通路側壁面に窓(通称:マウント富士)を設置する改造を施工。
- ^ 36形の登場後は、ビュフェ車は売店・車内販売の基地としての機能をメインに飲物などの簡易なメニューもセルフサービスで行うと位置付けられたため。
- ^ 1978年11月よりおもに東京 - 博多間「ひかり」9本のグリーン車で試行。1979年5月より20本に拡大。料理長がメニューを持参して注文を受け付け、希望時間に座席まで届けるという形であったが、メニューは1000円以上の3 - 4品に限定されていた。
- ^ 当初は3月のダイヤ改正で終了予定であったが、1月17日早朝に兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生し、新大阪 - 姫路間が不通になったのを受け営業停止。そのままダイヤ改正まで復旧しなかったため、結果的に1月16日の「ひかり」45号が最終営業列車となった。
- ^ 「ウエストひかり」用R62編成に組み込まれていた37-7302は、その後も営業運転に投入されて2008年3月14日に運用を離脱し、新幹線最後のビュフェ車となった。
- ^ もとは1961年9月に設立された「東海車販」を前身とする会社。この会社は各地で駅弁事業者や鉄道弘済会が出資して設立された駅弁車内販売業者のうちの一つで、東海道新幹線開業により新幹線の車内駅弁販売に進出した。当初、駅弁販売は東海車販、雑貨販売はビュフェ営業会社(日本食堂と帝国ホテル)が担当と1つの列車内で別々になっていたが、所要時間短縮による売上減少で赤字となったことから、1965年10月から1つの列車内における車内販売とビュフェ営業(のち食堂も)は同じ業者が行うことになり、1965年6月に東海車販から社名を改めたビュフェとうきょうもビュフェ営業に参入する[61]。
- ^ 1973年に都ホテル本体から分社化[63]。
- ^ 各社ともにメニューが異なっており(市販の大型時刻表には巻末のピンク色のページに各社の特徴的なメニューが記載されていた)、乗客の中にはわざわざ好みの会社が営業している列車に乗るというケースや、車内販売を兼ねていることから販売態度のよろしくない従業員が多いとされる会社を避けるといったことも見られた。
- ^ 帝国ホテル列車食堂は列車食堂からの撤退後、帝国ホテルエンタープライズに吸収合併された。
- ^ 定期旅客営業用の完全な新造客車食堂車としてはオシ24形以来26年ぶり。
- ^ スウェーデン語・デンマーク語などの北欧言語で「乾杯」を意味するスコールにちなむ。また日本交通公社時刻表1967年10月号には伊豆急行のページに「スコールカー連結」の表示がある。
- ^ 6号車の個室からインターホンで注文できるシステムも備えていた。
- ^ 小田急3000形「SSE」が「あさぎり」として国鉄御殿場線に乗り入れていた際には、御殿場線の時刻表にはビュフェのマークが配されていた。
- ^ ドーム展望車の2階展望室直下に位置、隣に連結された食堂車厨房から料理をサーブ。
- ^ 食器としての質も高く鉄道会社独自のデザインが反映されたことから「レイルウェイ・チャイナ」と総称し、コレクションする趣味がアメリカでは盛んである。
- ^ 同社は当時の雑誌広告において自動販売機での軽食供給を「ソフトドリンクから温かい食事まで何でも安価で買える」「いつでも待たずに手軽に軽食が手に入るので家族連れに最適」と宣伝していた。[72]
- ^ 投入先が青蔵鉄道であり、気圧が低く車内を与圧して酸素濃度を引き上げるほどの高地では燃焼を伴う石炭コンロが不向きなため。
- ^ 気動車による特急列車には食堂車はないが、基本的に食事付きであり、途中で軽食が配られる(長距離列車においては複数回提供される)。
出典
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