第二次ハリコフ攻防戦 第二次ハリコフ攻防戦の概要

第二次ハリコフ攻防戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 09:48 UTC 版)

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第二次ハリコフ攻防戦

当時の東部戦線の状況
戦争第二次世界大戦独ソ戦
年月日1942年5月12日 - 5月28日
場所ウクライナ国家弁務官区(ナチス・ドイツ占領下ハリコフ
結果:ドイツ軍の圧勝
交戦勢力
ドイツ国 ソビエト連邦
指導者・指揮官
フェードア・フォン・ボック セミョーン・チモシェンコ
戦力
歩兵 300,000
戦車 1,000
航空機 1,500
人員 765,300[1]
戦車 1,200
航空機 1,000
損害
戦死・戦傷・捕虜 20,000 戦死・不明 170,958[1]
戦傷 106,232[1]
独ソ戦

ドイツのモスクワへの攻勢(タイフーン作戦)を防ぎ、もはやドイツ軍に進撃の余力が無いと見るスターリンによって企図された攻勢の一つである。装備・熟練度とも痛手から立ち直っていないソ連軍が大敗、6月からのドイツ軍の南部戦線での攻勢(ブラウ作戦)で、序盤のソ連軍の一方的敗走を招く原因となった。

東部戦線南部の状況

1941年11月時点での南部戦線は、ロストフでドイツ側が突出していた。ソ連はドン川に面し、カフカース方面に通じる要衝であるロストフに攻撃を加え、ドイツはタガンロクまで引き、ハリコフ・アルチョーモフスク・タガンロクに強固な陣地を敷いた。

これに対しアゾフ海へとドイツ軍を追い詰めるため、ソ連軍は1942年1月18日にハリコフ=アルチョーモフスク間からドニエプル川目指して進撃を開始した(バルヴェンコヴォ・ロゾヴァーヤ作戦)。

だが、この作戦はドイツ軍の反撃で突出部(イジュム突出部、バルヴェンコヴォ突出部とも言う)を作るに留まり、以後クリミア以外の前線は雪解け季となり、1942年5月までドン川以西で膠着した。

両軍の計画

ソ連軍の攻勢計画

1942年3月28日~30日にかけてクレムリンで春季~夏季の作戦方針を検討する戦略会議が開かれた。会議には参謀総長シャポシニコフ元帥、西方面軍司令官ジューコフ上級大将、参謀本部作戦部次長ヴァシレフスキー少将、南西方面軍司令官チモシェンコ元帥、南西方面軍参謀長バグラミヤン少将をはじめとする赤軍幹部が集結した。参謀総長シャポシニコフ元帥は積極的防御に徹して戦力の回復を図り、戦略予備を温存すべきだと主張した。それにたいしてチモシェンコは3月22日に提出した南西部での南方軍集団にたいする反攻作戦を再び主張した。チモシェンコはスタフカの戦略予備投入を求めたがモスクワへの再攻勢を恐れたスターリンは南西方面軍単独での作戦案を要求。4月10日、南西方面軍司令部はスタフカに南西方面軍の3個軍(第6軍・第21軍・第28軍)と1個機動集団を主力とする挟撃作戦で、ハリコフ市を奪回するという新たな計画案を提出した。スターリンはこの改訂された攻撃案を承認し、攻撃開始日は5月4日と定められた。反攻の主力となるのは、ハリコフ北東に展開する第28軍(リャブイシェフ中将)と、第21軍(ゴルドフ少将)であった。突出部の北翼に第6軍(ゴロドニャンスキー中将)、そして第6騎兵軍団(ノスコフ少将)と第7戦車旅団(ユルチェンコ大佐)の混成部隊であるボブキン少将率いる機動集団が南東からハリコフに迫る。第6軍と第28軍の中間に展開する第38軍(モスカレンコ少将)が、牽制作戦を行なう予定になっていた。作戦は5月12日に開始された。ドイツ側では、夏季攻勢計画ブラウ作戦が立案されていたが、その準備的作戦としてイジュム突出部を切り取ってしまう「フリデリクス作戦」が立案されていた。第6軍(パウルス装甲兵大将)が北から、第1装甲軍(クライスト上級大将)が南から、突出部の根元を挟撃するものである。


  1. ^ a b c Glantz & House 1995, p. 295.


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