東部戦線南部の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:06 UTC 版)
「第二次ハリコフ攻防戦」の記事における「東部戦線南部の状況」の解説
1941年11月時点での南部戦線は、ロストフでドイツ側が突出していた。ソ連はドン川に面し、カフカース方面に通じる要衝であるロストフに攻撃を加え、ドイツはタガンロクまで引き、ハリコフ・アルチョーモフスク・タガンロクに強固な陣地を敷いた。 これに対しアゾフ海へとドイツ軍を追い詰めるため、ソ連軍は1942年1月18日にハリコフ=アルチョーモフスク間からドニエプル川目指して進撃を開始した(バルヴェンコヴォ・ロゾヴァーヤ作戦)。 だが、この作戦はドイツ軍の反撃で突出部(イジュム突出部、バルヴェンコヴォ突出部とも言う)を作るに留まり、以後クリミア以外の前線は雪解け季となり、1942年5月までドン川以西で膠着した。
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