東部戦線異常あり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:48 UTC 版)
「1986-1987シーズンのNBA」の記事における「東部戦線異常あり」の解説
1980年代以降のイースタン・カンファレンスはボストン・セルティックス、フィラデルフィア・76ers、ミルウォーキー・バックスによる三強時代となっていた。しかし新世代のチームがいよいよ彼らの間に割って入り、イースタンの上位に大きな変動が起きた。前季チャンピオンチームのセルティックスはビル・ウォルトンがシーズンの大半を欠場したもののこのシーズンも59勝23敗の好成績を維持したが、セルティックスとイースタンの覇を競い合った76ersとバックスが、世代交代の波に飲まれ始めたのである。 1983年の優勝チームである76ersはモーゼス・マローンがシーズン前にチームを離れ、ジュリアス・アービングはキャリア末期を迎えていた。チーム内ではチャールズ・バークレーが台頭を見せたが、チームの衰えを止めることは出来ず、このシーズンは11年ぶりに勝率6割を下回った。セントラル・デビジョンの覇者バックスはドン・ネルソン指揮の下7シーズン連続で地区優勝を飾ったが、このシーズンにはアトランタ・ホークスに首位の座を奪われ、デトロイト・ピストンズにも後れを取った。80年代前半はリーグでも屈指の強豪チームだったバックスも、結局プレーオフではセルティックスと76ersの壁を破れないまま、ついに衰退期を迎えてしまったのである。シーズン終了後にはドン・ネルソンがヘッドコーチを退き、以後数シーズンは中堅チームとして過ごすものの、カンファレンス決勝に進むことはできなかった。 ドミニク・ウィルキンス、ケビン・ウィリス、ドック・リバースらが主力を固めるアトランタ・ホークスは当時リーグ屈指のディフェンス力を誇り、このシーズンにはチーム史上最高勝率となる57勝を記録。6年ぶりに地区優勝も果たし、80年代後半から90年代前半のイーストを代表する強豪へと成長した。 デトロイト・ピストンズは前年にジョー・デュマースをドラフトで指名し、オフにはユタ・ジャズからエイドリアン・ダンドリーを獲得、ドラフトではデニス・ロッドマンを指名。アイザイア・トーマス、ビル・レインビア、ヴィニー・ジョンソンに彼らが加わり、後に"バッドボーイズ"としてリーグを震え上がらせる陣容がいよいよ完成した。このシーズンは13年ぶりに50勝以上を達成し、虎視眈々と王座を狙う存在となった。
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