東部戦線での運用とロシアでの発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/01 01:11 UTC 版)
「ヴォワザン LAS (航空機)」の記事における「東部戦線での運用とロシアでの発展」の解説
一方、東部戦線ではこれよりはるかに長く実線での運用が続けられた。1914年夏、ロシア帝国のモスクワにあった「ドゥークス」航空機工場ではヴォワザン LAのライセンス生産が開始された。続いて、改良型のLASの生産が着手された。機体の生産はロシア革命後の1917年末まで続けられた。モスクワ工場では、各種派生型含め300機から350機が生産された。これに加え、ペトログラートにあったヴラジーミル・アレクサーンドロヴィチ・レーベデフの工場では153機が生産され、中部ウクライナのキエフにあったフェージル・フェードロヴィチ・テレーシュチェンコの工作場では10機が製作された。また、西ウクライナのジュメールィンカではピョートル・ニコラーエヴィチ・イヴァーノフによってヴアゼーン・イヴァーノヴァと呼ばれるLASの発展型が開発され、オデッサのアルトゥール・アントーノヴィチ・アーナトラの工場で150機以上が生産された。 このように、比較的簡単な技術で作れる簡素なヴォワザン機は、第一次世界大戦時のロシア帝国でもっとも多数が生産された航空機となった。1917年9月1日の時点で、臨時政府の前線の航空部隊は70機以上のヴォワザン機を使用していた。ロシア内戦でも各勢力によって運用が続けられた。派生型の詳細は不明であるが、南ロシア軍各軍、ウクライナ人民共和国軍、ウクライナ国軍、ウクライナ・ハルィチナー軍、赤軍などでヴォワザン機が運用されていたことが知られている。
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