毘沙門天 毘沙門天の概要

毘沙門天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 06:43 UTC 版)

毘沙門天
多聞天像(東大寺金堂)
毘沙門天
梵名 「ヴァイシュラヴァナ」
वैश्रवण, Vaiśravaṇa
別名 多聞天
経典金光明経
『毘沙門天王経』
『毘沙門天王功徳経』
『仏母大孔雀明王経』
法華経
方広大荘厳経
関連項目四天王
 持国天
 広目天
 増長天
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概要

インド

バールフットのクヴェーラ像[6] 前2世紀前1世紀 カルカッタ、インド博物館蔵 仏塔の周りには四人のヤクシャが石柱に浮き彫りとして表現されていたが、19世紀になって再発見された時点では、南と北の石柱のみ残存していた。ヤクシャ頭上にはブラーフミー文字で名前が刻まれている[7]

ヴェーダ時代から存在する古い神格であり[8]インド神話のヴァイシュラヴァナを前身とする[8]。ヒンドゥー教にはおいてはクベーラともいう[8]。インドにおいては財宝神とされ、戦闘的イメージはほとんどなかった。この頃の性格についてはクベーラの項を参照。

また、バールフットの浮き彫りに見られるように、初期仏教の段階でクベーラは仏塔の守護者、四天王として配置・利用されていた。ただし、インドにおいては中世に至るまでクベーラの名称が用いられた[9]。例えば、『阿育王経』(『ディヴヤ・ヴァダーナ英語版』に対応する漢訳仏典)でヴァイラシュラヴァナは、クベーラを音訳した「鳩鞁羅」、「拘鞁羅」、「金比羅」として言及されている。美術史研究家の田辺勝美によれば、ヤクシャの一種に過ぎなかったクベーラがヴァイラシュラヴァナ、毘沙門天へと変化するには、インドの中心部から離れたガンダーラ地方でなければならなかったと説明している[10]。すなわち、仏教における「北方の守護者」としての毘沙門天(とその像容)は中央アジアで生まれたものであった[11][12]

上座部仏教

タイ王国ウドーンターニー県の印章に描かれた毘沙門天

上座部仏教パーリ仏典において、毘沙門天はヴェッサヴァナVessavaṇa)と呼ばれる。上座部仏教において、ヴェッサヴァナはチャートゥルマハーラージカ・デーヴァ(Cāturmahārājika deva)、または「四天王」の一柱である。ヴェッサヴァナはウッタラクル(鬱単越、北倶盧洲)を含めた北方を守護するとされる。いくつかの経典では、ヴェッサヴァナの名前の由来はヴィサーナ(Visāṇa、角)にあるとし、また彼はアーラカマンダー(Ālakamandā)という、富の代名詞[注釈 2]でもある都市を持つという。さらに、ヴェッサヴァナは夜叉を従えているとされる。

ヴェッサヴァナにはブニャーティーという名前の妻と、ラター(Latā)、サッジャー(Sajjā)、パヴァラー(Pavarā)、アッチマティー(Acchimatī)、スター(Sutā)という5人の娘がいる。また、ヴェッサヴァナは、ナーリーヴァーハナという戦車を持つ。彼はまた、「棍棒で武装した者」と意味するガダーヴダ(gadāvudha、梵:ガダ―ユダ、gadāyudha)という名前も持つが、仏教に帰依してからは使わなくなったとされる。

ヴェッサヴァナは過去世において「クベーラ」という名前を持ち、スリランカで、サトウキビ畑を有するバラモン階級の富豪として生き、7つ所有していた工場のうち一つで生産されたものをすべてを2万年間貧しい人々に施し続けたとされる[13]。その後クベーラは、善果を得たことで四天王天英語版に生まれ変わった。

ラーマ9世の「火葬の儀」の際に設置されたヴェッサヴァナ像 2017年

他の天部と同様に、ヴェッサヴァナは永久的な存在ではなく、終身的な役職として捉えるのが適当である。ヴェッサヴァナは定命であり、死んだ場合は他のヴェッサヴァナが後任を務める。他の四天王天に住まう天部と同じく、寿命は9万年(経典によっては900万年としている)であるとされる。ヴェッサヴァナは、夜叉に特定の地域(例えば湖)を保護する権限を与える。この割り当ては通常、ヴェッサヴァナの治世の初めに行われる。

釈迦が生まれた際に、ヴェッサヴァナは帰依し、ついには預流に至ったとされる。ヴェッサヴァナはしばしば、天部や他の人間からの伝言を釈迦とその弟子たちに伝え、彼らを守護した。ヴェッサヴァナはまた、釈迦に『アーターナーティヤの護経』を伝えたとされる。これは、林のなかで修行する比丘・比丘尼が、仏法に従わない危険な夜叉や超自然的な存在から襲われないようにするための護呪である。ヴェッサヴァナによってもたらされたこの詩は、パリッタの初期の形であった。

ジャナヴァサバ経』によれば、マガダ国の王、ビンビサーラは死後ジャナヴァサバという夜叉に生まれ変わり、ヴェッサヴァナの眷属になったという。

初期仏教においては、ヴェッサヴァナは木々において祀られていた。また、子宝に恵まれるようにと願う人々もいた。

中国

中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになった。毘沙門という表記は、ヴァイシュラヴァナを中国で音写したものであるが「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天(たもんてん)とも訳された。帝釈天の配下として、仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち北倶盧洲ほっくるしゅうを守護するとされる。また、夜叉羅刹といった鬼神を配下とする。また、密教においては十二天の一尊で北方を守護するとされる。

日本

日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代鞍馬寺である。福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿大黒天にならぶ人気を誇るようになる。室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。なおムカデを毘沙門天の使いとするのは日本独自の信仰である。

像容

毘沙門天の姿には三昧耶形が宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)、宝塔であるという他には、はっきりした規定はなく、様々な表現がある(後述)。日本では一般に革製の甲冑を身に着けた代の武将風の姿で表される。また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多い。例えば密教両界曼荼羅では甲冑に身を固めて右手は宝棒、左手は宝塔を捧げ持つ姿で描かれる。ただし、東大寺戒壇堂の四天王像では右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握る姿で造像されている。奈良當麻寺でも同様に右手で宝塔を捧げ持っている。ほかに三叉戟を持つ造形例もあり、例えば京都・三室戸寺像などは宝塔を持たず片手を腰に当て片手に三叉戟を持つ姿である。

また、中国の民間信仰においては緑色の顔で右手に傘、左手に銀のネズミを持った姿で表される。チベット仏教では金銀宝石を吐くマングースを持つ姿で表され、インドでの財宝神としての性格を残している。

独尊、また中心尊としても多くの造形例がある。安置形態としては、毘沙門天を中尊とし、吉祥天(毘沙門天の妃または妹とされる)と善膩師童子(ぜんにしどうじ。毘沙門天の息子の一人とされる)を脇侍とする三尊形式の像(奈良朝護孫子寺、日本最初毘沙門天出現霊場の信貴山奥の院、京都・鞍馬寺、神戸市北区唐櫃六甲山多聞寺 (神戸市北区)、高知・雪蹊寺など)、毘沙門天と吉祥天を一対で安置するもの(奈良・法隆寺金堂像など)、毘沙門天と不動明王を一対として安置するもの(高野山金剛峯寺像など)がある。

また、天台宗系の寺院では、千手観音を中尊として両脇に毘沙門天・不動明王を安置することも多い(滋賀・明王院像、京都・峰定寺像など)。なお真言宗系寺院でもこの傾向はある。

四天王の1体として北方(須弥壇上では向かって右奥)を護る多聞天像の作例も数多い。その姿は独尊の毘沙門天像と特に変わるところはないが、左右いずれかの手に宝塔を捧げ持つ像が多い。

国宝指定品としては東大寺戒壇堂、京都・浄瑠璃寺、奈良・興福寺などの四天王像中の多聞天像がある。


注釈

  1. ^ vai(「広く」、「多く」、または「あまねく」) + śrava(名詞、śrĪ「聞く」を意味する動詞語根から派生した) + ṇa(接尾語)。田辺睦美によれば、「原意は『あまねく(多く、広く)聞いた人あるいは聞かれた人』」[1]。ただし、田辺は著書『毘沙門天像の誕生』のなかで、この解釈に疑義を呈している。
  2. ^ ミリンダ王の問い』など。

出典

  1. ^ 田辺 1999, p. 166.
  2. ^ 田辺 1999, pp. 2–3.
  3. ^ a b 「毘沙門天」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
  4. ^ a b c 藤巻一保、羽田守快、大宮司朗『印と真言の本』学研、2004年、126頁。 
  5. ^ 田辺 1999, p. 2.
  6. ^ 田辺 1999, p. 29.
  7. ^ 田辺 1999, p. 28.
  8. ^ a b c 江口正尊「毘沙門天」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
  9. ^ 田辺 1999, p. 32.
  10. ^ 田辺 1999, p. 33.
  11. ^ 田辺 1999, p. 34.
  12. ^ 田辺 1999, p. 45.
  13. ^ Jambhala and Vajradhara”. Tibet Museum - Fondation Alain Bordier. 2022年1月3日閲覧。
  14. ^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」平河出版社、2017年4月第30刷、p161。
  15. ^ 綜芸舎編集部『梵字入門』綜芸舎、1967年、p20。


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