毘沙門天 真言

毘沙門天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 06:43 UTC 版)

真言

毘沙門天に捧げられた真言としては以下のもの等がある。

  • オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ[4]
  • オン・シチロクリ・ソワカ[4]

陀羅尼

  • アリ・ナリ・トナリ・アナロ・ナビ・クナビ[14]
    • Tadyathā aṭṭe taṭṭe vanaṭṭe anade nāḍi kunaḍi svāhā[14]

種子

  • vai ベイ
  • Vaiclammadaya ベイシラマンダヤ [15]

全国の毘沙門天を祀る寺社

毘沙門天(鎌倉時代、ボストン美術館所蔵)
多聞天(鎌倉時代、ボストン美術館所蔵)
北海道・東北
札幌市の円山にある、高野山北海道別院。北の都札幌七福神巡りの中のひとつ。高野山真言宗。
祭神八幡神と併せ、源義経北行伝説所縁の毘沙門天を祀る。
一木造で日本最大の尊像を祀る。成島三熊野神社境内。
坂上田村麻呂大将軍創建の由緒を持つ。懸造り(洞窟と堂宇が一体)。天台宗。
お堂の下に井戸がある珍しい構造。
関東
悪口(あくたい)祭りで有名。信貴山・鞍馬山と同木の日本三仏とされる毘沙門天を祀る。足利七福神巡りの中のひとつ。真言宗豊山派。
行基刻、太田道灌が江戸町築城の際に北方の守本尊とした毘沙門天が当寺に寄進されたと伝わる。川口七福神巡りの中のひとつ。真言宗智山派。
元禄期に川越藩主であった柳沢吉保が開墾を命じた三冨新田に建立された毘沙門堂に、柳沢家の祖先に連なる武田信玄の念持仏であったと伝わる黄金一寸四分の毘沙門天を祀る。真言宗豊山派。
矢颪(やおろし)の毘沙門天として、縁日には夜祭りやだるま市で賑わう禅寺。当寺六世の住職が江戸の栴檀林で修行中にそこの毘沙門天に祈願したところ学頭にまで上り詰めたことから、浄心寺に戻った折に近隣の商家の守り神として祀られていた毘沙門天像を寺に迎えたと伝わる。武蔵野七福神巡りの中のひとつ。曹洞宗。
東京を代表する毘沙門天。江戸三大毘沙門天のひとつ「神楽坂の毘沙門天」。新宿山ノ手七福神巡りの中のひとつ。日蓮宗。
眼病平癒祈願の蒟蒻閻魔(こんにゃくえんま)の寺として有名だが、小石川七福神巡りの毘沙門天も祀っている。浄土宗。
本駒込に位置する禅宗寺院。本尊は釈迦如来だが、徳川家康所縁と伝わる毘沙門天も祀る。江戸時代には栴檀林という漢学校が置かれ、これが現在の駒沢大学の前身となっている。曹洞宗。
元禄11年に日蓮宗不受不施派から天台宗に改宗し毘沙門天を本尊とした。谷中七福神巡りの中のひとつ。
東京・下谷。歌人でもある福島泰樹が住職。俳優プロボクサーであったたこ八郎を祀った「たこ地蔵」がある。下谷七福神巡りの中のひとつ「びっくり下谷の毘沙門天」。法華宗本門流。
東浅草にあるビル寺。江戸三大毘沙門天のひとつ「浅草の毘沙門天」。日蓮宗。
浅草にある。浅草名所七福神巡りの中のひとつ。聖天縁日には大根を備えるのが有名。浅草寺を本山とする聖観音宗(天台系)。
向島エリアにある。隅田川(向島)七福神巡りの中のひとつ。たぬき寺。真言宗智山派。
「寅さん」で有名な帝釈天を祀る古刹。帝釈天配下の四天王の一人が、柴又七福神巡りの中の毘沙門天。日蓮宗。
江戸三大毘沙門天のひとつ「芝の毘沙門天」。江戸時代に摂津から勧請された毘沙門天(伝教大師最澄自刻、鍋かむり上人日親開眼と伝わる)が庶民に広く信仰された。日蓮宗。
戦国期の鎌倉への真言宗の布教に尽力した長覺阿闍梨を開山とする密教寺院。湘南七福神巡りの中の毘沙門天。高野山真言宗。
北条執権邸跡地に建立されたと伝わる古刹「萩の寺」。地蔵菩薩を本尊とするが、鎌倉江ノ島七福神巡りの中の毘沙門天も祀る。天台宗。
坂東・鎌倉三十三観音の一番札所で、本尊十一面観音の脇侍の毘沙門天が当寺の大蔵七福神のひとつ。伝運慶刻の観音応現三十三身のうちの毘沙門天も拝観できる。天台宗。
大船に位置する密教寺院。安土桃山時代に鎌倉の中心部から移転したとされる。真言宗大覚寺派。
源頼朝が鞍馬より齎した伝行基刻の毘沙門天を祀る。鎮座する今泉地区では「びしゃもんさま」として親しまれ、毎年一月八日の大注連縄祭では毘沙門天の眷属である百足を彷彿とさせる注連縄が新調される。
日蓮が鎌倉幕府からの処刑を天変により免れたとされる地に建立された霊跡寺院。藤沢七福神巡りの中の毘沙門天。日蓮宗。
鎌倉に送られた源義経の首級を葬ったとされる地に鎮座する神社。藤沢七福神巡りの中の毘沙門天。
鎌倉時代前期に北条泰時が開基したと伝わる。相州村岡七福神巡りの中のひとつ。日蓮宗。
中部
善光寺大勧進25院のひとつ。釈迦如来を本尊とする塔頭寺院にして宿坊。善光寺七福神巡りの中の毘沙門天。天台宗。
正月のみ開帳(12月31日から1月3日まで)。本尊毘沙門天立像のほか双身毘沙門がある。
  • 多聞寺(新潟県佐渡市)
2月3日の毘沙門宵祭りで開帳。本尊毘沙門天立像は聖徳太子が柳の霊木を得て彫ったものといういわれがある。
奇祭裸押し合い祭り(だだおし)で有名。真言宗豊山派。
金沢五社のひとつに数えられ、観光地のひがし茶屋街の端に鎮座。地元の人々に「毘沙門さん」として親しまれる古社。
聖徳太子の作とされる太子両肩上湧現の尊像を安置。毘沙門天大祭のだるま市は日本三大だるま市の一つに数えられる。日蓮宗。
信貴山朝護孫子寺の浜松別院。浜名湖七福神巡りの中のひとつ。信貴山真言宗。
本尊は聖天(歓喜天)。境内の毘沙門堂に祀られる毘沙門天は、なごや七福神巡りの中の一つ。真言宗智山派。
本尊は阿弥陀如来。境内の毘沙門堂に祀られる毘沙門天は徳川家康が祈願したと伝わり、三河七福神の一つ志貴の毘沙門天として親しまれている。浄土宗西山深草派。
聖徳太子の命により福王山に毘沙門天を安置。起源は578年に遡る。
近畿
日本三大毘沙門天の一つ。毘沙門天・千手観音・護法魔王尊の三尊が一体となった「尊天」を本尊とする。鞍馬弘教(天台系)。
六角の毘沙門さんの愛称で呼ばれていた。明治維新までは祇園祭の巡行時に門前にて役行者山の祈祷を行なっていた。聖護院を本山とする本山修験宗(天台系)
最澄自刻と伝わる毘沙門天尊像を祀る。季節ごとの桜・青葉・紅葉・雪の景色で有名。天台宗。
  • 勝林寺(京都市東山区)東山毘沙門堂
東福寺の塔頭。東福寺仏殿の天井内に収められていた毘沙門天尊像を祀る。臨済宗東福寺派。
空海嵯峨天皇から下賜され、京都における真言密教の根本道場として栄えた寺院。本尊の薬師如来のほか、講堂の立体曼荼羅をはじめ多くの仏尊を祀るが、都七福神巡りの中のひとつである毘沙門天は境内の毘沙門堂に祀られている。また宝物館には国宝の兜跋毘沙門天像も安置されている。東寺真言宗総本山。
役行者開基の寺院。「日本最初毘沙門天」として日本で最初に毘沙門天が祀られたとされる。天台宗。
神峯山寺を登山口とした、役行者開基の山岳寺院。信貴山・鞍馬山と並ぶ日本三大毘沙門天の一つとされる。天台宗。
大阪は日本橋の市街地に位置する密教寺院。信貴山・鞍馬山・北山本山寺と並ぶ日本四大毘沙門天のひとつとされた。大阪七福神巡りの中のひとつ。摂津國88ヶ所霊場第29番。高野山真言宗。
恵比寿町に位置する密教寺院。摂津國88ヶ所霊場第28番(毘沙門天王)。東寺真言宗。
救世観音を本尊とする大悲殿だが、丁未の乱において聖徳太子(厩戸皇子)が白膠木を彫って造った四天王像を鬢の中に入れて戦に臨み、物部氏を打倒したことをきっかけに建立されたため、「太子鬢中四天王」も祀る。和宗(天台系)。
喜連瓜破に位置する寺院。本尊阿弥陀如来の脇侍である毘沙門天は、悪縁を断ち切ることで有名で、江戸時代の流行り病を鎮めたと伝わる。融通念仏宗。
丁未の乱において聖徳太子(厩戸皇子)が感得し、祈願して物部守屋に勝利した毘沙門天を勧請した伝説を持つ。国宝信貴山縁起絵巻所蔵。日本における毘沙門信仰の中心とも呼ばれる。信貴山真言宗総本山。
朝護孫子寺の塔頭・宿坊。護摩の毘沙門天や銭亀善神を祀る寺として有名。信貴山真言宗大本山。
朝護孫子寺の塔頭・宿坊。霊験あらたかとされる祈祷本尊、双身出世毘沙門天を浴油堂に祀る。信貴山真言宗大本山。
朝護孫子寺の塔頭・宿坊。興教大師覚鑁上人所縁の如意融通宝生尊(毘沙門天の富の源泉ともされる)を祀る。信貴山真言宗大本山。
朝護孫子寺の奥之院とされる。伝聖徳太子刻の「汗かき毘沙門天」を祀る。大和北部88ヶ所霊場第45番。信貴山真言宗。
中国
奈良時代に報恩大師により開山され、中世には朝原千坊と呼ばれる大寺院群の本坊であった。成願堂には、一木削りで等身大の毘沙門天像 36体等の文化財が保存されている。山陽随一の毘沙門天本山。高野山真言宗。
毘沙門天を尊信していた武田氏が、正安元年(1299年)に願成寺として建立。行基菩薩の作とされる毘沙門尊像が安置される。広島県真言宗教団。
四国
四国八十八ケ所の第六十三番。毘沙聞天が本尊の札所は、四国八十八ケ所では本寺のみ。東予七福神巡りの中のひとつ。真言宗東寺派。


九州

大正時代に建立された比較的新しい密教寺院。二世住持の時(昭和30年頃)に信貴山玉蔵院から毘沙門天を勧請。至近の宮地嶽神社の表参道(光の道)沿いに立地している。 九州88ヶ所86番。高野山真言宗。

画像


注釈

  1. ^ vai(「広く」、「多く」、または「あまねく」) + śrava(名詞、śrĪ「聞く」を意味する動詞語根から派生した) + ṇa(接尾語)。田辺睦美によれば、「原意は『あまねく(多く、広く)聞いた人あるいは聞かれた人』」[1]。ただし、田辺は著書『毘沙門天像の誕生』のなかで、この解釈に疑義を呈している。
  2. ^ ミリンダ王の問い』など。

出典

  1. ^ 田辺 1999, p. 166.
  2. ^ 田辺 1999, pp. 2–3.
  3. ^ a b 「毘沙門天」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
  4. ^ a b c 藤巻一保、羽田守快、大宮司朗『印と真言の本』学研、2004年、126頁。 
  5. ^ 田辺 1999, p. 2.
  6. ^ 田辺 1999, p. 29.
  7. ^ 田辺 1999, p. 28.
  8. ^ a b c 江口正尊「毘沙門天」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
  9. ^ 田辺 1999, p. 32.
  10. ^ 田辺 1999, p. 33.
  11. ^ 田辺 1999, p. 34.
  12. ^ 田辺 1999, p. 45.
  13. ^ Jambhala and Vajradhara”. Tibet Museum - Fondation Alain Bordier. 2022年1月3日閲覧。
  14. ^ a b 坂内龍雄「真言陀羅尼」平河出版社、2017年4月第30刷、p161。
  15. ^ 綜芸舎編集部『梵字入門』綜芸舎、1967年、p20。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「毘沙門天」の関連用語

1
毘沙門 デジタル大辞泉
100% |||||

2
100% |||||

3
100% |||||

4
100% |||||

5
90% |||||

6
90% |||||

7
78% |||||

8
78% |||||

9
78% |||||

10
78% |||||

毘沙門天のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



毘沙門天のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの毘沙門天 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS