毘沙門天・吉祥天像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)
木造毘沙門天立像・吉祥天立像として国宝に指定。平安時代(1078年)。金堂本尊の釈迦三尊像の左(向かって右)に毘沙門天像が、右(向かって左)に吉祥天像が立つ。木造彩色で、像高は毘沙門天が123.2センチ、吉祥天が116.7センチ。仏(釈迦)の左右に毘沙門天と吉祥天を安置するのは『金光明最勝王経』の第六「四天王護国品」の所説による。本像の制作経緯は『金堂日記』という史料に記載があり、吉祥悔過会(きちじょうけかえ)の本尊として、承暦2年(1078年)に造像され開眼供養されたものであることがわかる。吉祥悔過会とは、五穀豊穣や天下泰平を祈る法会である。両像とも頭体の主要部をヒノキ材の一材から木取りし、前後に割り矧いで内刳を行う。毘沙門天は右手で宝塔を捧持し、左手は垂下して戟を逆手に持つ。ほぼ直立に近い穏やかな姿である、毘沙門天像は足下に邪鬼を踏まえるものが多いが、本像は邪鬼を伴わない。吉祥天は左手に宝珠を捧持し、右腕は肘を軽く曲げて垂下する。吉祥天像は、下げた右手の掌を開いて与願印とするものが多いが、本像は右手の指を軽く曲げている。各像の両肩から先は別材を矧ぎ、毘沙門天像はさらに右肘から先、裳や沓の端部などに別材を矧ぐ。両像とも表面は布貼り、錆下地に彩色と截金で仕上げる。ただし、截金の使用は控えめで彩色主体である。両像の着衣に見られる大型の花文は、箔押の上に彩色し、文様の輪郭を塗り残して下の箔を見せる技法によっている。
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