毘瑠璃王と釈迦族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 02:57 UTC 版)
当時、中インドにはマガダ国とコーサラ国の2つの大国があり、その間で釈迦族は小さな種族として、ほぼコーサラ国に従属していた。釈尊が悟りを開いて間もない頃、波斯匿王は釈迦族から妃を迎えたいと要請するが、王はもし妃を差し出さなければ釈迦族を攻めるつもりだったといわれる。 釈迦族は「われらは大姓なり。なぜ卑しきものと縁を結ばなくてはならないのか!?」と、その血筋の誇り高きから一計を案じた(釈迦族は他の民族とは婚姻しないという伝統があったともいわれる)。そこで釈迦族のマハーナーマン(摩訶摩男、大臣ともいわれる)が「波斯匿王は暴悪だから、もし怒らばわが国を滅ぼすだろう」と思い、大臣自身と下女との間に生ませた娘が容姿端麗だったので、その下女の娘を自分の子であると偽り、沐浴させて身なりを整えさせて立派な車に載せて波斯匿王のもとに嫁入りさせた。この妃はすぐにヴィドゥーダバ太子を生んだ。
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