松田道一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 09:50 UTC 版)
経歴
判事・弁護士の松田道夫の長男として東京府に生まれる[4]。1900年(明治33年)に東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、翌年に高等文官試験に合格し、また判事検事登用試験にも合格して検事となった[4]。1902年(明治35年)、外務省参事官に転じ、翻訳官を経て、ベルギー公使館三等書記官を務めた[4]。1913年(大正2年)、外務省政務局第二課長となり、通商局長事務取扱、条約局長、国際連盟帝国事務局長・フランス大使館参事官を歴任した。1925年(大正14年)、駐オランダ公使となり、翌年に駐イタリア大使に転じた[4]。1930年(昭和5年)より外務書記官・条約局長を務めた[4]。
退官後は宮内省御用掛となった[4]。太平洋戦争中は昭和天皇に定期的に御進講を行い、外交情勢を伝えていたとされる。その他、日伊協会理事長・副会長を務めた。
家族
- 父:松田道夫 - 判事、弁護士
- 妹:ひろ - 那須章弥の妻。那須章弥(1881 - 1934)は東京帝国大学工科大学土木科を卒業し、川崎製鉄の繁栄を支えた土木技術者だったが、1933年に会社と揉めて解職され、翌年拳銃自殺した[5][6]。
- 妻:すて - 長谷川泰の娘[7]
栄典
登場作品
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
|
|
|
- 1 松田道一とは
- 2 松田道一の概要
- 松田道一のページへのリンク