大村筆雄 大村筆雄の概要

大村筆雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 05:30 UTC 版)

来歴

広島県福山市三之丸町生まれ。広島県立福山誠之館中学校から第六高等学校(文科乙類)に入学。六高時代は柔道部に入部。官僚の道を選ぶべく東京帝国大学法学部を目指し、1938年に入学。東京帝大法学部法律学科3年次の1940年10月に高等試験行政科及び司法科を合格。東京帝大法学部法律学科を卒業し、1941年 大蔵省に入省し、国民貯蓄奨励局に配属された[1]。8か月の勤務の後、広島の部隊に陸軍二等兵として入隊。1944年3月 パラオ諸島の中心コロール島に着任した。米軍の攻略目標から外れた大村らの基幹部隊は、パラオ本島のジャングルの中で持久作戦に入る。1946年1月にパラオから帰還。同年2月に復職し、物価部に配属される。1960年9月8日 主計局総務課長。1962年5月16日 名古屋国税局長1964年5月8日 防衛庁経理局長。1967年8月4日 国有財産局長1968年6月7日 退官。同年6月 日本開発銀行理事。政策金融を担当。1972年6月 日本住宅公団副総裁。1975年11月 会計検査院検査官1980年12月2日 会計検査院長(〜1982年11月20日)。1985年4月1日 獨協大学理事長(〜1986年7月5日)。1990年4月29日 勲一等瑞宝章受章。2008年9月29日 東京都港区の病院において急性心不全で逝去。叙従三位

略歴

脚注


  1. ^ a b c d e f 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年1月発行、38頁


「大村筆雄」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  大村筆雄のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大村筆雄」の関連用語

大村筆雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大村筆雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大村筆雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS