加藤進 (会計検査院長)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 加藤進 (会計検査院長)の意味・解説 

加藤進 (会計検査院長)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 01:00 UTC 版)

正三位勲一等
加藤進
会計検査院長
任期
1957年8月27日 – 1959年8月31日
任命者第1次岸内閣
前任者東谷伝次郎
後任者山田義見
個人情報
生誕 (1902-08-10) 1902年8月10日
北海道
死没 (1993-11-10) 1993年11月10日(91歳没)
出身校東京帝国大学法学部

加藤 進(かとう すすむ、1902年8月10日 - 1993年11月10日)は、日本昭和期の官僚正三位勲一等瑞宝章北海道札幌市出身。

経歴

札幌二中一高を経て、1926年東京帝国大学法学部を卒業し、会計検査院に入る。1933年宮内省に移り、内匠寮主計課長・人事課長・総務局長などを歴任した後、1946年宮内次官、翌年宮内府次長。

1946年神奈川県を皮切りに始まった全国巡幸では、宮内大臣松平慶民侍従長大金益次郎とともに企画・立案・実施の中心人物として活躍した。また、1945年12月に梨本宮守正王A級戦犯に指名されたことから、GHQの対皇室政策に対して危機感を抱き、皇室直宮家保全の立場から1947年皇籍離脱を積極的に推し進めた[1][注釈 1]

1948年に退任し、以後は済生会理事長・会計検査院長などを務めた。

1993年11月10日死去。91歳没。

注釈・出典

注釈

  1. ^ ただし、重臣会議の席上では、将来的な皇籍復帰の可能性も示唆していた(朝日新聞 2005年11月19日付朝刊38面)

出典

  1. ^ 『天皇家の密使たち - 「秘録」占領と皇室』高橋紘・鈴木邦彦著、現代史出版会、1982年

参考文献

  • 戦前期官僚制研究会編 / 秦郁彦著『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』、東京大学出版会、1981年


先代
東谷傳次郎
会計検査院長
1957年 - 1959年
次代
山田義見



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「加藤進 (会計検査院長)」の関連用語

加藤進 (会計検査院長)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



加藤進 (会計検査院長)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの加藤進 (会計検査院長) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS