国鉄D51形蒸気機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 02:07 UTC 版)
製造
量産を進める段階で国内情勢が戦時体制へと突入し、貨物機である本形式に対する需要が非常に大きくなったため、国内の大型機関車メーカー5社と国有鉄道の工場(工機部)のうち8工場が製造に参加し、1936年から1945年(昭和20年)までの間に1,115両もの多数の車両が製造されることとなった。そのうちの8両については、国有鉄道の発注ではなく、私鉄の戦時買収や南樺太の内地化に伴い鉄道省へ編入されたもの、外地向けのものが戦況の悪化に伴う制海権喪失により発送できなくなり、国有鉄道籍を得たものである。また、955 - 1000は欠番となっているが、戦時型を1001から付番し番号で区別したためである。そのため、国有鉄道所有機のラストナンバーは1161である。
これらの他、戦前から台湾総督府鉄道向けに製造されたものが32両(1944年製の5両は、一時的にD51 1162 - 1166として借入使用された)、戦後にソビエト連邦サハリン州鉄道向けに輸出されたものが30両、国連軍に納入されたものが2両、さらに1951年に台湾鉄路管理局向けに輸出された5両が存在する。これらを合わせると、D51形は1,184両製造されたことになる。
鉄道省(国有鉄道)
国有鉄道発注車は、全部で1,107両である。その製造の状況は、次のとおりである。
- 1935年度(23両)
- 1936年度(25両)
- 川崎車輛(14両):D51 24 - 37(製造番号1738 - 1742・1783 - 1791)
- 汽車製造(5両):D51 38 - 42(製造番号1451 - 1455)
- 日立製作所(6両):43 - 48(製造番号813 - 818)
- 1937年度(52両)
- 川崎車輛(27両):D51 49 - 67・71 - 78(製造番号1807 - 1819・1824・1825・1828 - 1831・1890 - 1897)
- 日立製作所(3両):D51 68 - 70(製造番号868 - 870)
- 汽車製造(17両):D51 79 - 85・91 - 100(製造番号1532 - 1538・1560 - 1569)
- 浜松工場(5両):86 - 90(製造番号19 - 23)
- 1938年度(127両)
- 汽車製造(6両):D51 101 - 106(製造番号1570 - 1575)
- 川崎車輛(14両):D51 107 - 120(製造番号1932 - 1945)
- 日立製作所(27両):D51 121 - 133・173 - 186(製造番号990 - 1002・1040 - 1053)
- 日本車輌製造(39両):D51 134 - 172(製造番号594・595・660 - 696)
- 大宮工場(8両):D51 187 - 194(製造番号1 - 8)
- 浜松工場(8両):D51 199 - 206(製造番号24 - 31)
- 鷹取工場(7両):D51 211 - 217(製造番号1 - 7)
- 小倉工場(7両):D51 220 - 226(製造番号16 - 22)
- 長野工場(3両):D51 229 - 231(製造番号1 - 3)
- 土崎工場(2両):D51 232・233(製造番号1・2)
- 郡山工場(3両):D51 234 - 236(製造番号1 - 3)
- 苗穂工場(3両):D51 237 - 239(製造番号1 - 3)
- 1939年度(196両)
- 大宮工場(10両):D51 195 - 198・243 - 244・469 - 472(製造番号9 - 18)
- 浜松工場(15両):D51 207 - 210・245 - 250・473 - 477(製造番号32 - 46)
- 鷹取工場(11両):D51 218・219・251 - 254・478 - 481・490(製造番号8 - 18)
- 小倉工場(10両):D51 227・228・255 - 258・482 - 485(製造番号23 - 32)
- 苗穂工場(4両):D51 240 - 242・489(製造番号4 - 7)
- 長野工場(3両):D51 259・260・486(製造番号4 - 6)
- 土崎工場(3両):D51 261・262・487(製造番号3 - 5)
- 郡山工場(3両):D51 263・264・488(製造番号4 - 6)
- 川崎車輛(45両):D51 265 - 309(製造番号2143 - 2152・2168 - 2177・2191 - 2197・2200 - 2209・2212・2211・2210・2213 - 2217)
- 日立製作所(50両):D51 310 - 359(製造番号1189 - 1237・1240)
- 日本車輌製造(27両):D51 379 - 405(製造番号754 - 780)
- 汽車製造(15両):D51 442 - 456(製造番号1861 - 1875)
- 1940年度(184両)
- 日立製作所(43両):D51 360 - 378・589 - 612(製造番号1238・1242・1239・1241・1243・1244・1246・1245・1247 - 1257・1420 - 1431・1434・1433・1432・1435 - 1443)
- 日本車輌製造(45両):D51 406 - 441・613 - 621(製造番号781 - 816・891 - 899)
- 汽車製造(20両):D51 457 - 468・581 - 588(製造番号1786 - 1887・2024 - 2031)
- 大宮工場(10両):D51 506 - 515(製造番号19 - 28)
- 浜松工場(13両):D51 518 - 530(製造番号47 - 59)
- 鷹取工場(10両):D51 491 - 500(製造番号19 - 28)
- 小倉工場(9両):D51 535 - 543(製造番号33 - 41)
- 長野工場(3両):D51 548 - 550(製造番号7 - 9)
- 土崎工場(3両):D51 551 - 553(製造番号6 - 8)
- 郡山工場(4両):D51 555 - 558(製造番号7 - 10)
- 苗穂工場(4両):D51 559 - 562(製造番号8 - 11)
- 川崎車輛(17両):D51 564 - 580(製造番号2417 - 2433)
- 三菱重工業(3両):D51 632 - 634(製造番号323 - 325)
- 1941年度(79両)
- 鷹取工場(6両):D51 501 - 505・690(製造番号29 - 34)
- 大宮工場(2両):D51 516・517(製造番号29・30)
- 浜松工場(5両):D51 531 - 534・685(製造番号60 - 64)
- 小倉工場(4両):D51 544 - 547(製造番号42 - 45)
- 土崎工場(1両):D51 554(製造番号9)
- 苗穂工場(1両):D51 563(製造番号12)
- 日本車輌製造(25両):D51 622 - 631・670 - 684(製造番号932 - 941・995 - 1000・1020 - 1028)
- 三菱重工業(17両):D51 635 - 641・660 - 669(製造番号326 - 332・336 - 345)
- 日立製作所(18両):D51 642 - 659(製造番号1460 - 1477)
- 1942年度(112両)
- 浜松工機部(12両):D51 686 - 689・819 - 826(製造番号65 - 76)
- 鷹取工機部(9両):D51 691 - 694・831 - 835(製造番号35 - 43)
- 日立製作所(33両):D51 695 - 727(製造番号1669 - 1668・1679 - 1691)
- 日本車輌製造(12両):D51 728 - 739(製造番号1130 - 1141)
- 川崎車輛(20両):D51 748 - 767(製造番号2692 - 2701・2718・2719・2725 - 2728・2763 - 2766)
- 汽車製造(13両):D51 773 - 785(製造番号2256 - 2261・2282 - 2286・2303・2265)
- 三菱重工業(13両):D51 791 - 803(製造番号360 - 372)
- 1943年度(163両)
- 日本車輌製造(33両):D51 740 - 747・846・847・916・917・1063 - 1083(製造番号1182 - 1187・1215 - 1220・1229 - 1249)
- 川崎車輛(40両):D51 768 - 772・843 - 845・918 - 949(製造番号2866 - 2873・2892 - 2901・2908 - 2917・2953 - 2964)
- 汽車製造(15両):D51 786 - 790・866 - 875(製造番号2326 - 2330・2355 - 2364)
- 三菱重工業(35両):D51 804 - 818・896 - 915(製造番号373 - 387・399 - 418)
- 浜松工機部(12両):D51 827 - 830・848 - 852・861 - 863(製造番号77 - 88)
- 鷹取工機部(15両):D51 836 - 842・853 - 860(製造番号44 - 58)
- 日立製作所(13両):D51 876 - 888(製造番号1814 - 1826)
- 1944年度(146両)
- 日立製作所(19両):D51 889 - 895・1051 - 1062(製造番号1827 - 1837・1886 - 1888・1890・1889・1891 - 1893)
- 三菱重工業(50両):D51 1001 - 1050(製造番号419 - 468)
- 日本車輌製造(46両):D51 1084 - 1129(製造番号1272 - 1289・1291 - 1318)
- 川崎車輛(31両):D51 1130 - 1160(製造番号3008 - 3011・3013 - 3024・3026 - 3028・3030 - 3042)
恵須取鉄道
D511・2 → D51 864・865:恵須取鉄道(樺太)より買収。
1944年に未成のまま買収された樺太の孤立鉄道より編入したもので、概ね標準形に準ずるが、寒冷地対策として製造時より密閉キャブであり、炭水車の前端部にも風除けを立ててキャンバス製の幌を運転台との間に設けていたのが特徴である。1943年、汽車製造製(製造番号2235・2331)。この2両は樺太には送られず、北海道内で使用された。
胆振縦貫鉄道
D5101 - D5105 → D51 950 - D51 954:1944年胆振縦貫鉄道より買収
内地私鉄がD51形同等機を新造した唯一の事例である。D5101 - D5103の3両は同鉄道開業前の1940年5月に設計認可を得て、開業直後の1941年1月に竣工した。厳密な竣工日は順に1941年1月9日、11日、13日。以後輸送力強化のため、それぞれ1942年7月17日・1943年5月7日付けでD5104・D5105が増備された。製造はD5101 - D5104が汽車製造(製造番号2021 - 2023・2234)、D5105が日立製作所(製造番号1785)で、いずれも同時期の省鉄向けに準じた仕様で竣工しており、形態も標準形と同様である。
日本窒素
D51 1161 日本窒素より購入。
海南島の日窒興業石碌鉄道で使用するため日本車輌製造本店で製造されたものの、海軍の敗退で制海権が失われ、発送できなくなったものを国鉄が購入した。戦時形であり、D51形全体で見ても唯一の1945年製(製造番号1373)で、鉄道研究者の実見により、工作方法がより簡素化されていたのが確認されている。
中国
中国海南島の鉄石輸送のための日窒興業石碌鉄道は、1067mm軌間であり、1942年および1943年(1944年との説もあり)に5両のD51形(D51 621・632 - 635)が供出されたが、終戦時には2輌のみ存在していた。[31]戦後の動向は不明であり、中国国鉄の形式も持っていない。
台湾総督府鉄道・台湾鉄路管理局
当時、日本の統治下にあった台湾の総督府鉄道向けに1939年から1944年にかけ32両 (D51 1 - 32) が製造されたもので、形態的には1 - 27が標準形に、28 - 32が戦時形に属する。このグループは、日本国有鉄道籍を有したことはない。製造の状況は次のとおりである。
- 1939年度(3両)
- 川崎車輛:D51 4 - 6(製造番号2218 - 2220)
- 1940年度(3両)
- 汽車製造:D51 1 - 3(製造番号1888 - 1890)
- 1941年(12両)
- 川崎車輛:D51 7 - 18(製造番号2416・2463 - 2470・2591 - 2593)
- 1942年(6両)
- 汽車製造:D51 19 - 24(製造番号2231 - 2233・2262 - 2264)
- 1943年(3両)
- 日立製作所:D51 25 - 27(製造番号1737 - 1739)
- 1944年(5両、戦時形)
- 日立製作所:D51 28 - 32(製造番号1674 - 1678)
このうち、戦時形のD51 28 - 32は制海権喪失で発送できず、一時的な措置として国有鉄道が借り入れ、D51 1162 - 1166として使用された。この時期、本土では既に戦時形(1000番台)が製造されていたが、この5両は戦前の標準形と似る形態(ドームはかまぼこ形でなく、標準形と同じ形状)で製造された。これは、外地向けゆえ、大日本帝国の威信を保つためといわれている。しかし、見た目こそ標準形だったが、ドーム以外の実態、炭水車などは内地向けに製造されたものと同じ戦時形で、性能、機能面で劣るため、使用晩期はボイラ圧力が12kg/cm2に制限されていた。この5両は、戦後の1946年4月になって台湾に発送された。台湾のD51形は、戦後台湾鉄路管理局に引き継がれ、DT650形 (DT651 - 682) と改称された。
戦後の1951年、国際連合の援助による中華民国の注文で、5両の標準形(カウキャッチャー付き、炭水車はやや大型化[注 8])が台湾に輸出され、DT683 - 687とされた。製造は汽車製造が3両(DT683 - 685・製造番号2608 - 2610)、新三菱重工が2両(DT686・687・製造番号718・719)だった。この5両が、D51形として最後の新製機となった。
ソビエト連邦(樺太)向け輸出車
1949年、ソビエト連邦へ輸出物資の一環として、国鉄形客車各種などとともに30両が樺太に送られた。なお、よく賠償物資として輸出との誤解がみられるが、正規の条約である日ソ共同宣言の締結は1956年であり、条約締結以前に賠償物資の請求は原則的にありえない。そして日ソ共同宣言時には条約第6項においてソビエトは日本に対し賠償請求権を放棄している。また当時の複数の文献「機関車」第3号(1949年11月発行)や「交通技術」51号(1950年10月号)にも正規の輸出との記述が存在する。一方「賠償輸出」という記述が見られ始めたのは、往時の記録があいまいになりだし、孫引きが増加した1970年代以降のことである。
これらは、同年1月から4月にかけて5社で製造されている。樺太向けに輸出されたものは、国内向けのものと区別するために、形式番号と車両番号の間にハイフンが入っている(例えば、国内向けは「D51 27」であるのに対して、樺太向けは「D51-27」)。また防寒のために運転席は密閉構造になっているなど、一部構造が国内向けとは異なっている。
なお、形式やナンバープレートにロシア語で使用されるキリル文字の「Д」ではなく、ラテン文字の「D」が使われている。蒸気機関車研究家の臼井茂信は、サハリン占領後も鉄道システムは日本式だったためではないかと推測している。
樺太向けD51形の製造の状況は、次のとおりである。
- 日本車輌製造(7両):D51-1 - 7(製造番号1512 - 1518)
- 川崎車輛(7両):D51-8 - 14(製造番号3170 - 3176)
- 日立製作所(6両):D51-15 - 20(製造番号2032 - 2037)
- 汽車製造(5両):D51-21 - 25(製造番号2576 - 2580)
- 三菱重工業(5両):D51-26 - 30(製造番号665 - 669)
国連軍・韓国鉄道
1950年の朝鮮戦争勃発とともに鉄道は主要な攻撃対象となり、多数の機関車が破壊された。この被害補充のためにアメリカ第8軍は国連軍名義で日本に蒸気機関車を発注するが、他社が南満洲鉄道や朝鮮総督府鉄道の設計図を流用して「ミカイ形」を製造するなか、中日本重工業(現・三菱重工業)のみがD51形を標準軌・密閉キャブ化して納入した。製造の状況は次のとおりである。
- 1950年(2両)
- 中日本重工業:D51 101・102(製造番号705・706)
2両とも休戦後に大韓民国交通部鉄道局(当時。後の鉄道庁)に引き渡され、미카7形(ミカ7形)1・2として1960年代まで使用された。
注釈
- ^ 一時的に籍を置いた1162 - 1166号機(→台湾鉄路管理局DT678 - 682)を含めると1,120両になるが、この5両については通常はカウントの対象外とされる。
- ^ ただし、彼が設計を担当した初期車は問題点が多々あり、以後の増備時に他の設計者によって大きく設計が変更され、島自身も機関車掛長として改良や仕様変更を重ねていった。これらから判断する限り、本人の項目で述べられているように客観的に見ると評価の分かれる機関車である。
- ^ 本形式以降の新形式蒸機のうち、B20とD60はスポーク動輪を使用しているが、このうち後者はD50の改造形式である。
- ^ また山岳路線の多い中部地方の機関区所属車を中心に、撒砂管を3本とも前進用に並べ替えたものが多々ある(本来は最後尾の1本は逆行用で第3動輪の直後に付いていたが、これを第4動輪の前に向け直した)。
- ^ ただし日立製の12両は普通型ドームで製作されている。
- ^ 量産型(標準型)・準戦時型共々200両超のボイラー交換車が存在し、この結果準戦時型・戦時型由来であっても1098号機のように好調機として重用された車両がある。
- ^ 自動給炭機を取り付けた2両が該当する。
- ^ 石炭12 t 、水20 m 3であるがD51が従来用いていた8-20B形の炭庫を増量したものではなく、C57が用いていた12-17D形炭水車の前後長・水槽容積を増加させた新設計のもので、炭水車単体の運転整備重量も52.10 t に大型化されている。[32]
- ^ これらは常磐線電化後は分散配置となっている。
- ^ 吹田操車場で使用された車両では、入換時の見通しを改善する目的から除煙板を撤去した。当時使用されていた51号機は保存の際に除煙板を復元。
- ^ 本形式・C59の問題点を踏まえ、1943年より製造されたD52では、煙室を前に伸ばし煙突中心でD51より550 - 600 mm前進させた上で更に火室に920 - 1,000 mm の燃焼室を付加し、その分煙管長さを切り詰めており、ボイラの前後重心が前に移るように徹底されている。
- ^ 本来本形式を置き換えるために開発されたはずのDD51形ディーゼル機関車が本形式が単機でまかなえていた貨物列車を置き換える際に重連での牽引を要するという例が、無煙化後、全国で多く見られた。これは、マスコンのノッチ刻みの制御では重量級列車の牽き出しで多用されていた圧縮牽き出しの実施が困難であり、貨車の軸受が平軸受で牽き出し抵抗の大きかった時代には、たとえ動輪周牽引力が同等でもDD51形のほうが牽き出しに限れば不利だったためである。
- ^ この際、所要時間は牽引機が変更されるたびに短縮されており、牽き出しを除けばD51形よりもC62形、C62形よりもDD51形のほうが安定して強力だった。
出典
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- ^ 『鉄道ピクトリアル』2008年6月号 (No.804) 「特集・SLブーム」 p.40
- ^ 『鉄道ジャーナル』1973年11月号「こちらジャーナル編集室」 p.112
- ^ 鉄道教育研究会 編『絵とき鉄道科学』交友社、1946年、82頁国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 内田百閒「区間阿房列車」 『第一阿房列車』福武文庫 1991年 47頁 この文章が1951年2月から4月に書かれていることは、同書271頁参照。
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