動乱時代 独立への苦闘

動乱時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/02 06:50 UTC 版)

独立への苦闘

ミハイル・ロマノフの戴冠式(イパチェフ修道院)

ロシアの民衆は、ニジニ・ノヴゴロドの商人クジマ・ミーニンと、ドミトリー・ポジャルスキー公に率いられて立ち上がった。旧暦10月22日[5]新暦11月1日)のモスクワの戦いの後、侵略者側はクレムリンに撤退し、旧暦10月24日から27日[6]新暦11月3 - 6日)には、近くにいたポーランド軍も撤退を余儀なくされ、クレムリンに残った軍勢はポジャルスキーに降伏した。ロシアでは現在でも、11月4日国民団結の日英語版ロシア語版として祝日としている。

1613年2月11日新暦2月11日)、ロマノフ家出身のロストフ府主教フィラレート(後のモスクワ総主教)の息子、ミハイル・ロマノフが、ゼムスキー・ソボル(全国会議)によって皇帝に選ばれた。彼は結婚を通してリューリク朝に連なっており、伝説によれば、勇敢な農夫イワン・スサーニン英語版によって敵から救われた人物であった。権力を掌握した新しいツァーリは、偽ドミトリー2世の3歳の息子を縛り首にし、獄中のマリナ・ムニシュフヴナを窒息死させた。

スウェーデンとのイングリア戦争は、1617年ストルボヴァの和約まで続いた。ロシア・ポーランド戦争は、1619年デウリノの和約まで断続的に続いた。こうした条約によって平和はもたらされたが、ロシアと接する両国に対し、ロシアは領土面の譲歩を強いられた。もっとも、その後の歴史の中で、ロシアはこの頃に失った領土のほとんどを回復した。最も重要だったのは、危機的な状況を通して、ロシア社会の諸階級がロマノフ朝のツァーリを中心に一致団結し、強力なロシア帝国の基礎を築いたということであった。


  1. ^ Borisenkov E, Pasetski V. The thousand-year annals of the extreme meteorological phenomena. ISBN 5-244-00212-0, p. 190.
  2. ^ John Stevens Cabot Abbott, The Empire of Russia; "The murderers ransacked the palace, penetrating every room, killing every Polish man and treating the Polish ladies with the utmost brutality."「殺人者たちは宮殿内をくまなく探しまわり、全ての部屋に押し入り、ポーランド人の男を皆殺しにし、ポーランド人の女たちに暴虐の極みを尽くした。」
  3. ^ John Stevens Cabot Abbott, The Empire of Russia; "The Poles were exasperated beyond measure at the massacre of so many of their nobles and at the insult offered to Mariana, the tzarina. But Poland was at that time distracted by civil strife, and the king found it expedient to postpone the hour of vengeance."「ポーランド人たちは、自国の貴族たち多数が虐殺され、マリアナが辱められたことに対して尋常ならず激怒した。しかし、当時のポーランドは内訌を抱えており、国王は、復讐の機会を先送りにするのが賢明であると判断した。」
  4. ^ The Tatar Khanate of Crimea, allempires.net
  5. ^ a b c Sergey Solovyov, History of Russia from the Earliest Times, Vol. 8.
  6. ^ Nikolay Kostomarov, Russian History in Biographies of its main figures, Chap. 30.
  7. ^ Dunning, Chester S. L. (2001). Russia's first civil war: the Time of Troubles and the founding of the Romanov dynasty. Penn State Press. ISBN 0271020741 






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