加藤寛 (経済学者) 加藤寛 (経済学者)の概要

加藤寛 (経済学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 01:46 UTC 版)

加藤寛
生誕 (1926-04-03) 1926年4月3日
死没 (2013-01-30) 2013年1月30日(86歳没)
国籍 日本
研究機関 慶應義塾大学
嘉悦大学
研究分野 経済政策
公共選択論
母校 慶應義塾大学学士修士博士
論敵 鳥居泰彦
影響を
与えた人物
竹中平蔵
黒川和美
川野辺裕幸
丸尾直美
横山彰
細野助博
小澤太郎
玉村雅敏
中村まづる
横江公美
高橋洋一[1]
実績 日本の経済政策の理論と実践における中心的な役割を担った
受賞 正論大賞1986年
勲一等瑞宝章2001年
テンプレートを表示

位階従三位勲等勲一等瑞宝章

人物

岩手県東磐井郡千厩町(現・一関市)生まれ[3]豊川市長などを歴任した加藤守道の二男[2]。名前については「かとうかん」もしくは「カトカン」と言われることが多く、本人もそのように名乗ることがあった。

慶應義塾大学教授を務める傍ら、鈴木善幸中曾根康弘両政権時代には第2次臨時行政調査会に加わり、土光敏夫会長の下で日本国有鉄道日本専売公社日本電信電話公社民営化提言を取り纏めたり、1990年平成2年)からは日本政府の税制調査会会長を務めるなど日本の行政財政経済体制経済政策など経済改革について幅広い発言を行う[4]

学問的な業績よりも政治的実践的な行動力に実績があり、学者として、日本の経済政策の理論と実践における中心的な役割を担った[要出典]。日本経済政策学会初代会長[3]、公共選択学会初代会長[3]、日本計画行政学会会長[3]などをつとめ、日本の経済政策学を先導してきたこととあわせて、第2次臨時行政調査会第四部会長としての国鉄分割民営化や、政府税制調査会会長[3]として直間比率是正・間接税中心の税体系の導入(ミスター税調の異名を取った)等の日本の行財政改革を牽引した。

また、パーキンソンの法則をもって護送船団方式など"官僚主導国家"日本の失われた10年の有り様に極めて批判的だったが、ポール・クルーグマンらがのちのリーマン・ショック後に、護送船団方式などの日本の行政の有り様を再評価していたのに対して、この時の加藤自身は、小泉政権の下で推し進められた米国流の新自由主義的な竹中平蔵による郵政民営化構造改革のブレーンとしても貢献した。一方でハゲタカファンドの存在が当時問題となりながらも(一例に日本債券信用銀行#投資グループに売却参照)、郵政民営化を一貫して主張していた[1]

大学改革においても先導的なモデルを作った。慶應の湘南藤沢キャンパス(SFC) 設立に当たって中心的な役割を担い、総合政策学部学部長を務める[3]。既に神奈川大学などが同種の改革を行っていたが、新設の慶應SFCの革新性をもって自らの私学教育を自負する一方、かつての都立日比谷高校学校群制度その他諸々の諸施策で雁字搦めにされ、時の公教育による制約がある点を捨象しつつ、進学実績が急落した点を捉えて批判の俎上にのせた。(慶應が全国でトップレベルの私学助成金の支給を国から受けているとはいえ)自らの裁量で学校運営や学校改革を推進してきた点を自讃し自負心とする一方、それと対比する形で、日比谷高校は、ただ全国から学業優秀な生徒を集めていただけで実際には「教育」自体が無かったこと、教育が行われていなかったのだとバッサリ斬り捨てていた[5]

その後、千葉商科大学の学長を務め、様々な改革を実践した[要出典]。同大学の博士課程(政策研究科)は、英語名称をKato Hiroshi School of Advanced Policy Studies(略称: Kato-Kan School)としており[6]高度な政策専門家教育を行っていた[要出典]。2008年からは4年間、嘉悦大学学長を務めた[3]

東日本大震災後、復興構想会議のメンバーにと打診があったが、会議の目的が「増税のため」と知った加藤は、復興のための増税など絶対に賛成できないと断っている[1]。また、東日本大震災以降、死の直前まで原発ゼロを主張していた[7]

慶大教授時代の教え子や弟子として、政界に小泉純一郎橋本龍太郎元首相、学界に竹中平蔵黒川和美・川野辺裕幸・丸尾直美横山彰細野助博小澤太郎玉村雅敏中村まづる横江公美・大岩雄二郎などが経済界に住田良能(元産経新聞社長)・吉原毅(元城南信用金庫理事長)や俳優の中村雅俊がいる[要出典]

2013年1月30日、心不全により死去[4]。86歳没。

略歴

学歴

職歴

学外における役職

栄典


  1. ^ a b c 立国は私なり。公に非ざるなり――加藤寛先生を偲んでPHPビジネスオンライン 衆知 2013年3月11日
  2. ^ a b 人事興信所 1995, か36頁.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 加藤寛先生略歴』公共選択学会、2013年。doi:10.11228/pcstudies.2013.60_3https://doi.org/10.11228/pcstudies.2013.60_32022年1月23日閲覧 
  4. ^ a b 千葉商大名誉学長の加藤寛氏が死去、86歳 政府税調会長として活躍 産経新聞 2013年2月1日閲覧
  5. ^ 加藤寛『教育改革論』丸善〈丸善ライブラリー 200〉、1996年6月
  6. ^ 博士課程 政策研究科 千葉商科大学ウェブサイト
  7. ^ 高橋洋一の俗論を撃つ! 細川氏の原発ゼロ政策への具体策 東京都が買い取れば実現は近づく ダイヤモンド・オンライン 2014年1月23日
  8. ^ 「歴代会長」 日本計画行政学会


「加藤寛 (経済学者)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「加藤寛 (経済学者)」の関連用語

加藤寛 (経済学者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



加藤寛 (経済学者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの加藤寛 (経済学者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS