ダルマ・スートラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:33 UTC 版)
ダルマ・シャーストラとの関係
ダルマ・スートラは、広義のダルマ・シャーストラには含まれるが、狭義のダルマ・シャーストラには含まれない[注釈 5]。『マヌ法典』をはじめとする後者が紀元前2世紀ころから西暦5世紀ないし6世紀にかけてサンスクリットの韻文体で記された法典であるのに対し[8]、ダルマ・スートラはそれに先だつ年代において、サンスクリットの散文体で記録された教典である[1]。ダルマ・スートラの一部には韻文も含んでいるが、その多くは後世の付加と考えられている[5]。また、その独特な「スートラ体」は法典文学(ダルマ・シャーストラ)にも多大な影響をおよぼした[5]。
脚注
参考文献
- 辛島昇編 編 『南アジア史』山川出版社〈新版世界各国史7〉、2004年3月。ISBN 4-634-41370-1。
- 山崎元一 著「第1章 インダス文明からガンジス文明へ」、辛島編 編 『南アジア史』山川出版社〈新版世界各国史7〉、2004年。ISBN 4-634-41370-1。
- 山崎元一・辛島昇 著「第2章 マウリヤ帝国とその後のインド亜大陸」、辛島編 編 『南アジア史』山川出版社〈新版世界各国史7〉、2004年。ISBN 4-634-41370-1。
- 奈良康明「ヒンドゥー教徒の生活」 『インドの顔』河出書房新社〈生活の世界歴史5〉、1991年8月。ISBN 4-309-47215-X。
- 藤井毅 『インド社会とカースト』山川出版社〈世界史リブレット〉、2007年12月。ISBN 4-634-34860-8。
- 辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修 編 『南アジアを知る事典』平凡社、1992年10月。ISBN 4-582-12634-0。
- ミルチア・エリアーデ 著、島田裕巳 訳 『世界宗教史3』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2000年5月。ISBN 4-480-08563-7。
関連項目
注釈
- ^ バラモン教に由来する3つの学派には、ヴェーダーンタ、サーンキヤ、ヨーガがある[3]。
- ^ 「カルパ・スートラ」は、シュラウタ・スートラ(天啓経)、グリヒヤ・スートラ(家庭経)、シュルバ・スートラ(祭壇経)、ダルマ・スートラ(律法経)の4部門に分かれる[2]。
- ^ ダルマの原義は「支えを保つ」である[6]。これを、人間を人間たらしめるものと解釈すれば「真実」、宗教者にとっては「教え」「教法」となり、社会的脈絡のなかでは「倫理」「道徳」となる[6]。倫理・道徳がさらに共同体のなかで強制力をともなう行為パターンとして固定するならば「義務」「法律」という意味になる[6]。
- ^ 四住期の法も他のヴァルナの規則と同様、『マヌ法典』において最終的な確立をみる[7]。
- ^ 天啓聖典(シュルティ)であるヴェーダに対し、ダルマ・シャーストラは聖伝聖典(スムリティ)に包摂される[6]。ダルマの内容と権威はすべてヴェーダにもとづくが、ヴェーダそのものは天の声、神の啓示と考えられているのに対し、ダルマ・シャーストラはあくまでも賢者聖人によるものと考えられている[6]。
出典
- ^ a b c 藤井(2007)pp.2-3
- ^ a b c d e 『ダルマ・スートラ』 - コトバンク
- ^ M.エリアーデ(2000)p.69
- ^ a b c d 『南アジアを知る事典』(1992)
- ^ a b c 『ダルマ・シャーストラ』 - コトバンク
- ^ a b c d e 奈良(1991)pp.147-150
- ^ a b 山崎(2004)pp.55-57
- ^ 山崎・辛島(2004)pp.96-97
- 1 ダルマ・スートラとは
- 2 ダルマ・スートラの概要
- 3 成立の過程
- 4 ダルマ・シャーストラとの関係
ダルマ・スートラと同じ種類の言葉
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