狭義のダルマ・シャーストラ
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「ダルマ・シャーストラ」の記事における「狭義のダルマ・シャーストラ」の解説
狭義のダルマ・シャーストラは、紀元前2世紀ころから西暦5世紀ないし6世紀にかけてサンスクリットの韻文体で記された法典で、「法典文学」と訳されることもある。主なダルマ・シャーストラには『マヌ法典』や『ヤージュニャヴァルキヤ法典』『ナーラダ法典(英語版)』『ヴィシュヌ法典(英語版)』などがあり、特にダルマ・スートラと区別される。『ヤージュニヴァルキヤ法典』や『ナーラダ法典』といった後期ヒンドゥー法典は、『マヌ法典』ほどの総合性には欠けるが、諸規定はいっそう現実の生活に即したものに整えられている。『マヌ法典』やそれに先立つ諸々の律法経には、司法にかかわる規定が存在し、その定めるところによれば、司法の最高権威たる王はダルマ(聖法)にしたがって犯罪を罰しなければならないものとする。しかし、ダルマを保持して諸人を教導するのはバラモンの役割とみなされているところから、実際には学識経験豊かなバラモン階層の者が王の代理として裁判に臨むことが多かったのである。ダルマ・シャーストラは国王の定めた国法ではないにもかかわらず、司法は主としてバラモン階級によって掌握するところであったため、実際の法廷では大きな効力を有した。ダルマ・シャーストラはスムリティ(聖伝)に含まれ、特定の儀礼や学派(ダルシャナ)には結びつかない。18世紀後半から19世紀初頭にかけて40種を超す法典が英語、フランス語、ドイツ語など西欧諸語に翻訳された。
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