ギュータースロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 19:35 UTC 版)
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | ノルトライン=ヴェストファーレン州 |
行政管区: | デトモルト行政管区 |
郡: | ギュータースロー郡 |
緯度経度: | 北緯51度54分22秒 東経08度22分43秒 / 北緯51.90611度 東経8.37861度座標: 北緯51度54分22秒 東経08度22分43秒 / 北緯51.90611度 東経8.37861度 |
標高: | 海抜 75 m |
面積: | 112.02 km2 |
人口: | |
人口密度: | 903 人/km2 |
郵便番号: | 33330–33335, 33311 |
市外局番: | 05241, 05209 |
ナンバープレート: | GT |
自治体コード: |
05 7 54 008 |
行政庁舎の住所: | Berliner Straße 70 33330 Gütersloh |
ウェブサイト: | www.guetersloh.de |
首長: | ノルベルト・モルケス (Norbert Morkes) |
郡内の位置 | |
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地図 | |
ギュータースロー (ドイツ語: Gütersloh, ドイツ語発音: [ˈgyːtɐsloː] ( 音声ファイル)[2]) は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州デトモルト行政管区(オストヴェストファーレン=リッペ)のギュータースロー郡に属す中規模都市で、同郡の郡庁所在地である。人口は約 96,000人で、大きな郡所属市に位置づけられる。約 20 km 離れたビーレフェルトおよびヘルフォルト地区とともにドイツの人口集中地域の一つである。
地理
位置
ギュータースローはトイトブルクの森の南西、ヴェストファーレン盆地北東端のエムスザントエーベネ(エムス川流域の砂地の平地)に位置している。"Handbuch der naturräumlichen Gliederung Deutschlands"(「ドイツの自然地区構成ハンドブック」)によれば、ギュータースロー砂地の自然地区上の基本構成は、エムスザントエーベネ内のミュンスター東部砂地に含まれる。
市域には特記すべき隆起は見られない。最低地点はギュータースロー空港近くのエムス川沿いの低地で海抜 64 m、最高地点はフリードリヒスドルフ市区の東にある海抜 105 m の地点である。
レーダ=ヴィーデンブリュックとの市境にはレーダの森が、主に針葉樹からなる大きな森林地区を形成している。さらに多くの部分が公園風の様相である。
ダルケ川が市内を東から西に向かって流れている。市立公園や内市街を横切り、市境から遠くない地点でエムス川に合流する。この合流以前、パーヴェンシュテット市区の「ノイエ・ミューレ」付近でヴァーペルバッハ川がダルケ川に流れ込む。中核市区の北に位置するイッセルホルスト地区をルッター川が流れ、ハルゼヴィンケル付近でやはりエムス川に合流する。
地質学
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市内は、酸性で栄養分に乏しいポドゾルの土壌が主である。この土壌は第四紀に、氷期の融け出した水と水流の沈殿物で形成された堆積物によって形成された。所々を川砂の堆積物が覆い、ポドゾル=レゴソル土壌をなしている。こうした土壌は、たとえばレーダの森などで見ることができる。市域は総じて、痩せた砂地(細粒から中粒)の土壌である[3]。
ギュータースローの市域は、地熱ゾンデによる地熱源やヒートポンプによる地熱採取については、「中程度」から「良好」、北東部では「極めて良好」な状態にある(右図参照)[4]。
市域の広がりと土地利用
ギュータースロー市の面積は 111.99 km2 である。南北の最大幅は約 13.5 km、東西のそれは約 15 km である。
土地利用は、牧草地および草地 (32 %)、耕作地 (32 %)、住宅地 (28 %) がそれぞれ約1/3ずつを占める。残りの 8 % はおおむね森林である。1975年から2005年までに約 8 km2 が開拓され、主に農業用地として利用されている。
土地用途別面積[5] | 農業用地 | 森林 | 宅地、空き地 産業用地 |
交通用地 | 水域 | スポーツ用地 および緑地 |
その他 |
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面積 (km2) | 57.47 | 8.73 | 29.38 | 11.28 | 1.11 | 3.36 | 0.69 |
占有率 | 51.3 % | 7.8 % | 26.2 % | 10.1 % | 1.0 % | 3.0 % | 0.6 % |
市の構成
行政上の「ギュータースロー」市区の他に、1969年までは独立した町村だったアーヴェンヴェッデ、エッベスロー、フリードリヒスドルフ、ホレン、イッセルホルスト、ニーホルスト、シュペクサルトの7町村がノルトライン=ヴェストファーレン州の市町村再編に伴って合併し、ギュータースロー市を形成している。
さらに、1910年に合併しギュータースロー市区に含まれている5つの旧農村、ブランケンハーゲン、カッテンストロート、ノルトホルン、パーヴェンシュテット、ズンデルンも、たとえば射撃協会、郷土協会、市民団などギュータースロー住民の意識の中に現存している。空港の敷地の一部は特別で、住民意識はこれを隣のパーヴェンシュテットに属していると考えている。しかし、市はこれらを「地元の呼称上の市区」とみなしている。
隣接する市町村
ギュータースローは 7市町村と境を接している。北はシュタインハーゲン、北東はビーレフェルト、東はフェルル、南東はリートベルク、南西はレーダ=ヴィーデンブリュック、西はヘルツェブロック=クラールホルツ、北西はハルゼヴィンケルである。郡独立市のビーレフェルトを除き、いずれの市町村もギュータースロー郡に属している。
気候
ギュータースローは穏和な中央ヨーロッパ気候に属している。この街は亜大西洋性の海洋性気候地域に位置している。冬は大西洋の影響でおおむね穏和であり、夏はかなり暑い。1961年から1990年までのギュータースローにおける年間平均気温の長期平均値は 9.2 ℃であった。これはドイツ全体の平均値 (8.4 ℃) に比べ暖かい。最も温暖な月は 7月で、その平均気温は 17.2 ℃であった。一方、最も寒冷な月は 1月で、平均気温は 1.3 ℃であった[6]。
亜大西洋性海洋気候であることから年間を通して湿潤で、比較的平均した降水がある。空港の測候所における年間降水量の長期平均値は 762 mm であった[6]。より市内に近い浄水場では 734 mm であった。これはドイツ全土の平均値 (700 mm) よりも多い降水量であった。ただし、年間 1,200 mm の降水を記録する場所もあるトイトブルクの森の南西斜面に比べれば、かなり降水量は少ない。
ギュータースローの気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
日平均気温 °C (°F) | 1.3 (34.3) |
2.0 (35.6) |
4.7 (40.5) |
8.4 (47.1) |
12.9 (55.2) |
15.9 (60.6) |
17.2 (63) |
16.9 (62.4) |
13.7 (56.7) |
9.9 (49.8) |
5.3 (41.5) |
2.5 (36.5) |
9.2 (48.6) |
降水量 mm (inch) | 64.7 (2.547) |
47.8 (1.882) |
59.7 (2.35) |
54.9 (2.161) |
64.2 (2.528) |
78.6 (3.094) |
71.7 (2.823) |
67.3 (2.65) |
62.5 (2.461) |
51.7 (2.035) |
64.4 (2.535) |
74.2 (2.921) |
761.7 (29.988) |
出典:ドイツ気象庁 (DWD) [6] |
歴史
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F5%2F53%2FPavenstaedter-riesenbecher.jpg%2F160px-Pavenstaedter-riesenbecher.jpg)
ギュータースローにヒトが定住していた最も古い証拠の一つが、紀元前17世紀とされる「パーヴェンシュテッター・リーベンベッヒャー」(パーヴェンシュテットの大杯)である。この黄色く、目の粗い、脆い粘土で作られた杯は、高さ 40 cm で、約 12 リットルの容量がある。この大杯は1951年にパーヴェンシュテットのダルケ川とヴァーペル川の合流地点付近で発掘され、現在はヘルネの LWL考古学博物館に収蔵されている。
ギュータースロー集落は1184年にオスナブリュック司教の文書に初めて記録されている。現在本市に含まれる集落・市区の一部はこれよりもかなり早く文献に記録されている: 1050年にイッセルホルスト、1088年にシュペクサルト、パーヴェンシュテット、ノルトホルン、1151年にエッベスローである。
現在のギュータースローの市域は16世紀には5つの領邦に分割されていた: ギュータースロー村が属したレーダ領の他、オスナブリュック司教領、リートベルク伯領、ラーフェンスベルク伯領、ミュンスター司教領である。
テックルンブルク=シュヴェーリン伯コンラート配下のレーダ家とオスナブリュック司教は、1524年からレーダ領の境界と領主権を巡ってしばしば紛争を繰り返した。ヴィーデンブリュック家が治めるオスナブリュック司教領アムト・レッケンベルクは、司教領本体とつながっていない飛び地であったため軍事的に脆弱であり、伯の領土要求にほとんど抵抗することができなかった。このため、レーダ家はギュータースローの教会に対して大きな影響力を持つに至った。1557年の伯の死後、1565年のビーレフェルト協議および1565年6月9日のヴィーデンブリュック協定により争いは調停され、境界が新たに確定した。農村ブランケンハーゲン、パーヴェンシュテット、ノルトホルン(当時はまだ独立していなかったズンデルンを含む)はレーダ家領となり、アーヴェンヴェッデ、カッテンストロート、シュペクサルトはオスナブリュック司教領に留まった。
七年戦争では、1757年にフランスのデステ公爵がギュータースロー近郊に宿営した。1758年7月1日、プロイセンのナルツィンスキ麾下の軽騎兵 5個中隊とフランスの軽騎兵 2個連隊がギュータースロー近郊で戦闘を行った。
1803年、帝国代表者会議主要決議に基づきオスナブリュック司教領、すなわちアーヴェンヴェッデ、カッテンストロート、シュペクサルトがハノーファー選帝侯領となった。ナポレオンがプロイセンに勝利した後、現在の市域の一部が1807年以降ヴェストファーレン王国フルダ県パーダーボルン地区ヴィーデンブリュック小郡に属した。レーダ領は1808年にベルク大公国に属した。1815年、旧アムト・レッケンベルクもレーダ領も、したがってギュータースロー自体も最終的にプロイセン領となった。
1825年11月14日、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は政令によりギュータースローに都市権を授けた。政治組織(都市行政会議、市参事会、選出された市民代表(市長))は1842年の都市法受け容れによって成立した。それまでこの街と一体化した町村を形成していたブランケンハーゲン、ノルトホルン、パーヴェンシュテット、ズンデルンは、新たな町村ギュータースロー=ラントとして分離された。1844年1月12日、ギュータースローはプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世から市の紋章を与えられた。
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2Fc%2Fc7%2FBahnhof_G%25C3%25BCtersloh_C%25C3%25B6ln-Mindener-Eisenbahn_von_1847.jpg%2F220px-Bahnhof_G%25C3%25BCtersloh_C%25C3%25B6ln-Mindener-Eisenbahn_von_1847.jpg)
ギュータースローは1847年にケルン=ミンデン鉄道会社の幹線沿いに位置することとなり、駅が開業した。19世紀半ばに工業化が始まると、鉄道沿いにある交通の便がよい立地のために重要な企業が拠点を構え、街は大いに発展した。貨物・旅客交通量の増加は道路網の拡充を促進した。1877年から1879年にかけてまずマリエンフェルト(ハルゼヴィンケル)への街道が作られた。1879年から1882年にブロックハーゲン(シュタインハーゲン)、1881年から1883年までフェルルおよびノイエンキルヒェン(リートベルク)への街道が造られ、1902年から1903年にフリードリヒスドルフと接続した。1899年にギュータースロー市が資本参加したトイトブルガー・ヴァルト鉄道会社 (TWE) が開通し、1900年から1903年に支線イッベンビューレン - レンゲリヒ (ヴェストファーレン) - ギュータースロー - ヘーフェルホーフ線が建設された。1907年にミーレは本社をヘルツェブロックからギュータースローに移した。
1851年、福音主義修道会ギムナジウムが開校した。1861年福音主義のマルティン=ルター教会がクリスティアン・ハイデンの設計に基づき完成した。1862年にガス製造会社、1864年に市庁舎、1868年にブルワリー、1895年に帝立郵便局が開業した。1890年10月15日、パーダーボルンの補佐司教アウグスティヌス・ゴッケルがカトリックの聖パンクラティウス教会を聖別した。1871年にはヨハネス・クーロがギュータースロー・ギムナジウム・ポザウネンコール(直訳するとトロンボーンコーラス。金管アンサンブルを意味する)を設立した。
1938年11月の迫害運動(「水晶の夜」)がギュータースローのユダヤ系住民に対する迫害の頂点であった。3軒の住居とシナゴーグが焼失し、2軒の家屋が破壊された。1941年からユダヤ系住民は強制収容所に送致され、27名が死亡した。1932年、この街には67人のユダヤ教信者がいたが、1943年には1人もいなくなっていた。1945年以降ギュータースローにユダヤ人コミュニティーは存在しない。
ギュータースロー州立精神病院(後のヴェストファーレン州立病院、後のLWL-クリニークム)では、1940年から1943年までにナチスの「安楽死」プログラム T4作戦およびブラント作戦により 1,017人の患者がハーダマルなどの処刑場に送られた。このうち生き延びたのは 220人だけであった。
1939年から1945年までの間に、この街で商売し、所帯を構えた 3,800人の外国人に強制労働が課され、このうち 156人が死亡した。ドイツ国防軍は1935年から1945年までの間にこの街に2つの施設を建設した。ギュータースロー空港(現在のプリンセス・ロイヤル兵舎)と通信兵舎(現在のマンサーグ兵舎)である。NSDAPはギュータースローに14箇所の施設を建設した。第二次世界大戦においてギュータースローは1940年から連合国軍の空爆目標となっていた。何百人もの人が亡くなり、建物の約 25 % が破壊された。1945年4月1日、アメリカ合衆国軍がこの街を占領した。1945年8月に市と空港はイギリス軍のライン軍団に引き渡され、兵舎が設けられた。
1973年1月1日の「新たに設けられたビーレフェルト地域の市町村及び郡の新設に関する法律(ビーレフェルト法)」の発効によりギュータースロー市は郡庁所在の地位を得た[7]。
ギュータースロー市立博物館は、インフラストラクチャの発展の観点から約 800年の歴史を一望にできる。この博物館は1986年に工業史・医療史部門がオープンし、1997年に都市史関連部門が拡充された[8]。
市町村合併
1868年、ギュータースロー=ラントの無人の小さな部分がギュータースロー市に合併した。1910年4月1日、ギュータースロー=ラント全域が本市に合併した。同時にカッテンストロート=シュペクサルトのカッテンストロート地区がギュータースロー市に合併したため、この町はシュペクサルトと改名された。1939年4月1日と1943年12月1日にはマリエンフェルト(ヴァーレンドルフ郡)の無人の小部分 (76 ha) とヘルツェブロックの同じく無人の小部分 (87 ha) がギュータースロー市に合併した[9]。
ノルトライン=ヴェストファーレン州の地域再編に伴い、1969年12月4日に制定された「ヴィーデンブリュック郡およびビーレフェルト郡の一部の新設に関する法律」§2 により、1970年1月1日にアーヴェンヴェッデ、フリードリヒスドルフ、シュペクサルトの3町村がアムト・アーヴェンヴェッデから、エッベスロー、ホレン、イッセルホルスト(の大部分)、ニーホルストの4町村がアムト・ブラックヴェーデ(ビーレフェルト郡)から、さらにヘルツェブロック、ノルトレーダ=エムス、ウムメルン、ヴァーレンゼル、フェルルのそれぞれ小部分がギュータースロー市に編入された[10][11]。アムト・アーヴェンヴェッデは廃止され、ギュータースロー市がその権利継承者となった。1973年1月1日にはビーレフェルト法で約 370人の住民が住むゼンネ I 地区の一部が編入され、わずかながら市が拡大した[7][12]。
地名の由来
都市名のギュータースロー (Gütersloh) は、loh と Gu(n)ter からなっており、グンターという名前の人物が所有する開墾地を意味している。
訳注
- ^ カトリック、プロテスタントが共用するキリスト教の教会
- ^ Fächerrosette。半円形のロゼット文様。ドイツ北部の木組み建築の装飾に多用される。
- ^ ドイツ北部で見られる家屋の建築様式で、大きな入り口扉を備えた広い土間を持つ建物。Diele = 玄関フロアで、北部では特に土間を意味する。
- ^ Schinkenmarkt、Schinkenは「おんぼろの乗り物」を意味する
- ^ 木製の車輪に枯れ草などを詰め、火を付けて斜面を転がす行事
- ^ 地税Aは農林業用地にかかる税、地税Bはその他の民間用地にかかる税である。ドイツの地税および営業税の税率は全国共通の基本税率に地方自治体が定める賦課率を掛けた値となる。土地税の基本税率は用途によって異なり、土地税Aは 0.6 %、土地税Bは0.26 - 0.35%である。営業税の基本税率は 3.5 % である。たとえば、本市の営業税は 3.5 × 4.11 = 14.385 % となる。(出典 JETRO: ドイツ - 税制(2016年6月17日 閲覧)および株式会社エヌ・アール・ダブリュー ジャパン: NRW州投資ガイド - 税制 - 不動産税(2016年6月17日 閲覧))
- ^ バスや総重量 3.5 t 以上の車両が総通行量に占める割合
- ^ ベルリナー広場の南側は百貨店カールシュタットに面しているが、この店はかつてヘルティーという百貨店グループの店舗であった。ヘルティー・グループがカールシュタット・グループに買収され、この店もカールシュタットの店舗となった。
- ^ ドイツ語の Wunderbaum にはトウゴマの意味があるが、超自然伝説を扱うここでは直訳の「不思議な木」とした。
出典
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