同性間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 14:31 UTC 版)
古代ギリシャ社会のパイデラスティアと呼ばれる少年愛の関係性において、素股は、精神的な指導相手を辱める行為と考えられていたアナルセックスに代わって一般的に行われていた。古代ギリシャ語ではディアメリゼイン(希:διαμηρίζειν, diamērizein(「二量体化する」))と呼ばれていた。 歴史学者のケネス・ドーバー(英語版)は、彼の著書『ギリシャの同性愛』("Greek Homosexuality")(1978年)の中でこのことをについて紙面を大きく割いており、また、古代ギリシャにおける男性間のセックスに関する現在の理論がここで導き出されている。 ジョーン・ラフガーデン(英語版)は、ドーバーの著作から引き、彼女の著書『進化の虹』("Evolution's Rainbow")(2004年)の中の一節で、古代ギリシャにおける「ゲイ男性にとっての通常位」として、対面立位の素股に言及している。 近代の英語圏においては、男性が同性同士で行う素股は「プリンストン・ファーストイヤー」(Princeton First-Year)、「オックスフォード・スタイル」(Oxford Style)、「オックスフォード・ラブ」(Oxford Rub)、または「アイビー・リーグ ・ラブ」(Ivy League Rub)と呼ばれる、口語的には「フロット」(frot)とも言われる兜合わせであった。これらの語彙は、「家を遠く離れた男子校で、長く寒い冬を過ごす盛りのついた若い青年たちの行動」、特に19世紀のそれを表している。 「機会的同性愛」も参照 同性間の素股は、バイセクシャルやゲイとして知られる、あるいはそうだったと考えられる歴史上の人物のうち、一部の彼らの性生活には欠かせないものだったと考えられている。伝記作家リチャード・エルマンによると、オスカー・ワイルドは彼の愛人であったロバート・ボールドウィン・ロスから素股を紹介されてからは、オーラルセックス以上に好んで行っていたようである。アレクサンドロス大王について、キュニコス派の哲学者が述べたとされる話によれば、生前彼は寵愛するヘファイスティオンと頻繁に素股を行っていたらしい。 歴史的に西欧において、素股はソドミー法や宗教的な制限を受けてきたが、そのほとんどがキリスト教の価値観に基づいて制定されたものだった。『ヘレナとガニメデの議論』(羅: Altercatio Ganimedis et Helene)と題された中世の文書には、ガニメデが、「臭く、スカスカで緩んだ女の洞窟」よりも「少年のツルツルした股ぐら」の方が優れていると述べている様子が描かれている。 カルカッタ郊外で実施された男性と性交渉をする男性の性的健康ニーズに関する1997年の調査の報告書によると、人口統計学的要因に基づいて回数にはばらつきがあるものの、全回答者の73%が素股を行っていた。セックスワーカーのうちわずか54%が、低所得者層は50%、ムスリムは40%しか同性間の素股を経験していない一方、ヒンドゥー教徒は82%、中所得者層のくくりでは88%が同性間の素股を経験していた。
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