Zuse
Zuse
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 07:03 UTC 版)
詳細は「コンラート・ツーゼ」を参照 1936年、コンラート・ツーゼはドイツで単独でZシリーズという一連の計算機の製作を開始した。記憶装置と(当初は限定的な)プログラム能力を備えた計算機である。完全機械式で二進法を採用した Z1 は1938年に完成したが、部品の精度が悪く継続的に動作することはなかった。 1941年、Z3 が完成。電話機用のリレーを使い安定的に動作した。Z3 は世界初のプログラム制御式の汎用デジタルコンピュータである。多くの点で現代のコンピュータと似ており、様々な点で革新的だった。例えば、浮動小数点数を採用している。実装が複雑になる十進法(バベッジの解析機関は十進法だった)ではなく単純な二進法を採用したため、ツーゼの計算機は当時の技術レベルでの製作が容易になり信頼性も高かった。 Z3 ではさん孔フィルムの形でプログラムを供給した。条件分岐命令がなかったが、1990年代になってZ3がチューリングマシンと等価だったことが証明された(記憶容量が有限だという差異は除く)。ツーゼは1936年に申請した2つの特許で、機械への命令(プログラム)をデータと同じ記憶装置に格納する可能性も示唆している。いわゆるノイマン型アーキテクチャを予期していたことになるが、実際にそれが実装されたのは1948年にイギリスで開発されたSSEMが最初である。また、世界初の高級プログラミング言語プランカルキュールを1945年に設計した(発表は1948年)とされているが、この言語が実装されたのはツーゼの死後5年経った2000年になってからで、ベルリン自由大学のラウル・ロハスのチームが開発した。 第二次世界大戦中にツーゼの計算機は連合国の爆撃で破壊された。彼の業績がイギリスやアメリカの技術者に知られるようになるのはずっと後のことだが、IBMだけは1946年にツーゼの研究再開に資金援助して特許使用権を得ており、かなり早くからツーゼの業績を知っていたと見られる。
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