WD牽引車を基にした装輪装軌併用式戦車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:05 UTC 版)
「WD シュレッパー」の記事における「WD牽引車を基にした装輪装軌併用式戦車」の解説
7.7 cm WD シュレッパーの基体である「WD 50」牽引車は、1920年から1931年までの期間に渡り製造され、好評を博した。ソ連でも「Kommunar(クモナール)」の名称で生産された。 1920年代は、戦車の機動性向上の試みの一つとして、装輪装軌併用式戦車(コンバーチブルドライブ車)の開発が、欧米各国で流行した時代でもあった。ヴェルサイユ条約により、戦車の開発を禁じられたドイツでは、多くの戦車技術者が職に就けなくなり、他国へと渡った。ヨーゼフ・フォルマーもその一人であった。 戦車の機動性向上に関心のあった彼は、戦後、チェコスロバキアへと渡り、1924年にハノマーク社製「WD 50」牽引車を基に、「KH-50 装輪装軌併用式戦車」を開発した。チェコスロバキアは、「WD 50」のライセンス生産を、1923年から開始していた。 「WD 50」のエンジンを後方に、操縦席を前方に、移設し、装輪走行に移行するには、木製のスロープ上に本車を乗り上げて、地面から浮かせた後、シャーシの両側面に、片面2つずつ、計4つの車輪を手で取り付ける方式であった。 1番目のプロトタイプは駆動系の実験用で、2番目のプロトタイプから武装を施され、本格的な戦車となった。武装は、シュコダ 37 mm 戦車砲を1門、もしくは、シュワルツローゼ vz.24 重機関銃を2挺、を搭載することができた。装輪時の速度は35 km/hで、装軌時の速度は15 km/hであった。これらは決して高速ではなく、これはベースとなった牽引車のエンジン出力の不足からくるものであった。解決策はエンジン出力を向上させることであった。 1927年、エンジン出力を60馬力に向上させた、改良型の「KH-60 装輪装軌併用式戦車」が開発された。シャーシも車体上部も砲塔も再設計された。これにより、装輪時の速度は45 km/hに、装軌時の速度は18 km/hに、向上した。 1929年、最後の改良型である「KH-70 装輪装軌併用式戦車」が開発された。エンジン出力は70馬力で、装輪時の最高速度は60 km/hまで向上した。 結局、装輪装軌併用式戦車(コンバーチブルドライブ車)の試みは、戦車の重量増大とともに、実用的ではなくなり、廃れていった。 チェコスロバキアにおける装輪装軌併用式戦車の開発計画は、後に、「中型複合サスペンション攻撃車」(Kombinovaný střední útočný)計画へと発展して、1935年まで続き、「シュコダ S-III 戦車」と「タトラ T-III 戦車」が開発された。
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