ウマル2世 (ウマイヤ朝)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/19 14:38 UTC 版)
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ウマル2世 عمر بن عبد العزيز |
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ウマイヤ朝カリフ | |
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在位中のディナール金貨
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在位 | 717年 - 720年 |
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出生 | 682年11月2日 |
死去 | 720年1月31日(37歳没) |
王家 | ウマイヤ家 |
王朝 | ウマイヤ朝 |
父親 | アブド・アルアズィーズ |
宗教 | イスラム教スンナ派 |
ウマル・イブン=アブドゥルアズィーズ(アラビア語: عمر بن عبد العزيز、Umar ibn Abd al-Aziz、682年11月2日 - 720年1月31日)はウマイヤ朝の第8代カリフ(在位:717年 - 720年)。2代目正統カリフのウマル・イブン=ハッターブの曾孫。曾祖父と区別するためにウマル2世と呼ばれることが多い。
生涯
ウマル2世の時代になるとイスラム帝国はアラブのみならず、小アジア・ペルシア・北アフリカ・イベリア半島にまで広がる一大勢力圏を築き上げていた。
ウマイヤ朝は「コーランか、剣か、貢納か」という言葉に表されるように、他宗教に対しては厳しい差別を条件にその信仰を許容した。イスラム教に改宗しない者であっても人頭税(ジズヤ)を納める事によって財産権と生命権を一定程度保障した。しかし、実際にはアラビア人でない者は、たとえイスラム教に改宗した者であってもジズヤを納め続けなければならなかった。征服した豊かな地域から納入される多額のジズヤは、イスラム軍が版図を広げ、維持するための重要な資金源であったからである。しかし、この頃になると征服地の人々でもイスラム教に改宗する者が多くなり、『コーラン』に書かれた神の前での平等と現実の差異に不満を持つ者が増えてきた。
ウマイヤ朝の首都ダマスクス周辺に住むペルシア人改宗者は、イスラム初期に組み込まれたにも関わらず被征服民(マワーリー)として差別され続けることに特に大きな不満を感じており、人格者として知られたウマル2世はお膝元での空気を無視することが出来なかった。ウマル2世はジズヤを廃止しようとしたと言われるが、在位期間が短かったこともあってほとんど成功しなかった。しかし、イスラムの教えの元での平等を掲げたウマル2世の理想は次代のアッバース朝がウマイヤ朝打倒の際に掲げた大義と同じ物であり、ウマイヤ朝の君主のうちウマル2世の墓だけはアッバース朝の時代になっても暴かれることがなかったという。
脚注
参考文献
- アミール・アリ『回教史 A Short History of the Saracens』(1942年、善隣社)
関連項目
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「Umar II」の例文・使い方・用例・文例
- フェーズIとフェーズIIで許容副作用を伴い効果的であることが示される治療あるいは薬品の大規模な臨床試験
- 1228年から1229年までの十字軍は、病気になった神聖ローマ帝国皇帝フレディリックIIで導いて、法王によって破門されました
- 330,000人の連合軍隊が敵火の下で絶望的な退却において、北フランスの浜辺から避難しなければならなかった世界大戦IIの陸海空共同の避難(1940年)
- 腎臓にアンジオテンシンIIができるのを阻止し、動脈を弛緩してくれる抗高血圧薬
- アンジオテンシンIIへのさきがけであるアンジオテンシンの生理学的に不活発な形態
- 高血圧を治療するのに用いられるアンギオテンシンII抑制剤
- ASCII文字セットは最も一般的に用いられている文字セットである
- 王を補足したと考えられるI歴代志とII歴代志の旧約聖書の旧名
- ウルガタ聖書(IIエスドラス書を除いて)に含まれるが、ユダヤやプロテスタント版の聖書では省略される旧約聖書の14冊
- I歴代志、II歴代志、エズラ、およびネヘマイアからの編集から成る外典
- フレディリック神聖ローマ帝国皇帝IIを破門して、聖地に対して新しい十字軍を計画していた1245年の西方教会の協議会
- キャサリンIIの愛人であり、1762年に彼女が権力を握る支援を行ったロシアの役員で政治家
- 遺伝的に第VIII因子が欠乏するために生じる血友病
- アンギオテンシンIをアンギオテンシンIIに変えるタンパク質分解酵素
- 血液凝固において、トロンビンは第XIII因子をフィブリンが分解しにくい凝血塊の形成を引き起こす(フィブリナーゼ)活性型に触媒する
- パーシングIIというミサイル
- SALTII条約という2国間軍縮条約
- SALTII条約という2国間軍縮条約の内容
- 宇宙開発事業団と航空宇宙技術研究所は,2004年にH-IIAロケットでHOPE-Xを打ち上げる計画をしていた。
- 72歳の映画監督と彼の息子は,9月25日,新作映画「バトル・ロワイアルII」の製作を発表するため,記者会見を行った。
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