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スティーヴ・ウィンウッド

(Steve Winwood から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/19 05:57 UTC 版)

スティーヴ・ウィンウッド
Steve Winwood
2009年8月13日、クロプレディ・フェスティヴァルで演奏中のウィンウッド
基本情報
出生名 Stephen Laurence Winwood
生誕 (1948-05-12) 1948年5月12日(77歳)
出身地 イングランド バーミンガム
ジャンル ロック
ブルースロック
ブルー・アイド・ソウル
サイケデリック・ロック
ジャズ
職業 シンガーソングライター
担当楽器 キーボードギター
活動期間 1960年代 -
レーベル アイランド
ヴァージン
コロムビア
共同作業者 スペンサー・デイヴィス・グループ
トラフィック
ブラインド・フェイス
ツトム・ヤマシタ
エリック・クラプトン
デイヴ・メイスン
公式サイト www.stevewinwood.com
該当項目を参照
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スティーヴン・ローレンス・ウィンウッド(通称スティーヴ・ウィンウッド、Stephen Laurence "Steve" Winwood、1948年5月12日 - )は、イングランドバーミンガム出身のブルー・アイド・ソウルロック・ミュージシャン。

1960年代半ばにスペンサー・デイヴィス・グループのメンバーとして音楽活動を開始し、1970年代半ばまではトラフィックブラインド・フェイスなどロック史に残るバンドの中心メンバー、その後はソロ・アーティストとして、60年近く活動している。

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第33位[1]

概要

ウィンウッドの音楽は、リズム・アンド・ブルースソウル・ミュージックなど黒人音楽に強い影響を受けている点に特徴がある。主に歌手兼鍵盤楽器奏者だが、ギターやベースドラムスも演奏できるマルチプレイヤーである。

1960年代中盤にスペンサー・デイヴィス・グループの一員として「愛しておくれ(Gimme Some Lovin')」などで人気を博し、グループを脱退後はトラフィックのメンバーとしても成功を収めた。

1970年代後半以降はソロで活動。主なヒット曲に「ハイヤー・ラヴ」「ロール・ウィズ・イット」などがある。

経歴

生い立ち

バーミンガム郊外のグレート・バーで生まれる。音楽の才能は幼少時代から卓越したものがあり、10代前半で既に兄マフ・ウィンウッドが結成したジャズ・バンドの看板的存在として活動していたという。

また、マディ・ウォーターズジョン・リー・フッカーT-ボーン・ウォーカーハウリン・ウルフB.B.キングサニー・ボーイ・ウィリアムスンII、エディ・ボイド、オーティス・スパンチャック・ベリーボ・ディドリーら有名ミュージシャンの英国ツアーの際には、バックでハモンドオルガンやギターを演奏した[2]

バンド活動

15歳の頃、マフと共にスペンサー・ディヴィス・グループに参加。

1964年に、ジョン・リー・フッカーのカバーであるシングル「ディンプルズ」でデビュー。シングル「キープ・オン・ランニング」が英国チャートで1位となり、この曲の成功によって彼は一躍スターとなる。続いて「サムバディ・ヘルプ・ミー」「愛しておくれ・ギミ・サム・ラヴィン」[注釈 1]アイム・ア・マン」を録音した後、彼とマフは1967年にグループを脱退。

同年、クリス・ウッド 、ジム・キャパルディ、デイヴ・メイスンとトラフィックを結成する。

トラフィックで『ミスター・ファンタジー』『トラフィック』など3枚のアルバムをリリース。1968年にはメイスン、ウッドとジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのアルバム『エレクトリック・レディランド』のレコーディングに参加して、「ヴードゥー・チャイル」でオルガンを弾いた。

1969年、トラフィックを解散してエリック・クラプトンらとブラインド・フェイスを結成。

ブラインド・フェイスはアルバム『スーパー・ジャイアンツ』のリリースとアメリカ・ツアー後にあえなく解散する。ウィンウッドはソロ・アルバム『マッド・シャドウズ』のレコーディングを進めたが、ゲストに迎えたウッド、キャパルディと共にトラフィックの活動再開を決意。『マッド・シャドウズ』を『ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ』に改題して、トラフィックのアルバムとして1970年に発表した。

トラフィック時代のウィンウッド

トラフィックは1974年のアルバム『ホエン・ジ・イーグル・フライズ』を最後に終焉を迎えたが、その間、ウィンウッドは腹膜炎を患って危険な状態に陥ったこともあった。また1972年には、ロンドン交響楽団イギリス室内合唱団によるロック・オペラ『トミー』のアルバム制作とコンサートに独唱者として客演した[注釈 2][3]

ソロ活動

その後、日本人パーカッショニストのツトム・ヤマシタによるGOを始めとするいくつかのプロジェクトへの参加を経て、1977年にはセルフ・タイトル・アルバムでソロ・デビューするが、パンクブームの真っ只中にあって、今ひとつ大きな成功には至らなかった。その後、曲作りのパートナーに作詞家のウィル・ジェニングスを迎え、1980年にシングル「ユー・シー・ア・チャンス」をリリースして、翌1981年ビルボードで最高7位まで上昇するヒットとなる。この曲の成功に煽られる形で同曲が収録されたアルバム『アーク・オブ・ア・ダイヴァー』も全米3位[4]、全世界で700万枚もの売り上げを記録し、成功を収めると共に、1982年には次作『トーキング・バック・トゥ・ザ・ナイト』を発表。「青空のヴァレリー」をビルボードHOT100の9位に送り込むヒットにする[注釈 3]

1986年には、『バック・イン・ザ・ハイ・ライフ』を発表。ポール・サイモンジェイムズ・テイラージョージ・ハリスンなどのアルバムを手がけたラス・タイトルマンをプロデューサーに迎え制作されたこのアルバムは、全米3位まで上昇し[4]グラミー賞を3部門受賞した。また、シングル・カットされた「ハイヤー・ラヴ」は、自身初の全米No.1ヒットになると共に、1988年ヴァージン・レコーズに移籍して発表された『ロール・ウィズ・イット』では、シングル・カットされた同名曲が再び全米1位を獲得、アルバムも初の全米1位を記録した[4]。また、1989年1991年には来日公演も行われた。

1990年のスタジオ・アルバム『リフュジーズ・オブ・ザ・ハート』リリースに伴うツアーの終了後、ソロ活動を休止。キャパルディと共にトラフィックを再結成して、1994年には20年ぶりのアルバム『ファー・フロム・ホーム』を発表[注釈 4][5]

1997年のソロ・アルバム『ジャンクション・セヴン』では、ナラダ・マイケル・ウォルデンを共同プロデューサーに迎え、レニー・クラヴィッツデズリー等がゲスト参加した[5]

2003年には、自ら立ち上げたレーベル、ウィンクラフトから『アバウト・タイム』を発表。7月にはフジロック・フェスティバルへの参加で、3度目の来日公演が実現した。また、翌2004年の3月には、トラフィックとしてロックの殿堂入りを果たし、これを機に復活も予定されていたといわれているが、2005年1月にキャパルディが胃癌により亡くなったことから、この話は立ち消えになっている。

2007年7月、クロスロード・ギター・フェスティバルでエリック・クラプトンと共演し、ブラインド・フェイス時代の3曲などを演奏。さらに2008年2月には、マディソン・スクエア・ガーデンでクラプトンと3日間の共演コンサートを実現させて、この公演の模様は後に、クラプトンと連名のライブ・アルバム『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』としてリリースされる。4月に、5年ぶりのアルバム『ナイン・ライヴズ』を、コロンビア・レコードよりリリースした。

2011年11月から12月に掛けて、エリック・クラプトンとともに来日し、全国8会場、計13回のコンサートを行った。マディソン・スクエア・ガーデンでの公演と重複する曲以外にも、ウィンウッドのソロのヒット曲が演奏され、「ユー・シー・ア・チャンス」では、オリジナルのシンセのソロのパートをエリック・クラプトンがギターで演奏した。「マイ・ウェイ・ホーム」は、2人が揃ってアコースティック・ギターで演奏するコーナーで演奏された。

ディスコグラフィ

ソロ

アルバム

シングル

  • "While You See a Chance" (1981年)
  • "Arc of a Diver" (1981年)
  • "Still in the Game" (1982年)
  • "Valerie" (1982年)
  • "Higher Love" (1986年)
  • "Freedom Overspill" (1986年)
  • "The Finer Things" (1987年)
  • "Back in the High Life Again" (1987年)
  • "Valerie" (remix) (1987年)
  • "Roll With It" (1988年)
  • "Don't You Know What the Night Can Do?" (1988年)
  • "Holding On" (1988年)
  • "Hearts on Fire" (1989年)
  • "One and Only Man" (1990年)

スペンサー・デイヴィス・グループ

エリック・クラプトン・アンド・ザ・パワーハウス

トラフィック

ブラインド・フェイス

ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース

  • 『ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース』 - Ginger Baker's Air Force (1970年)

サード・ワールド

  • Aiye-Keta (1973年)

Go

  • 『ゴー』 - Go (1976年)
  • 『ゴー・ライヴ』 - Go Live from Paris (1976年)

エリック・クラプトン&スティーヴ・ウィンウッド

来日公演

3月27日,28日 大阪城ホール、30日 名古屋レインボーホール、4月1日,4日,5日 国立代々木競技場第一体育館、7日 横浜アリーナ
3月22日 横浜アリーナ
7月27日 苗場スキー場
11月17日 北海きたえーる、19日 横浜アリーナ、21日,22日 大阪城ホール、24日 マリンメッセ福岡、26日 広島グリーンアリーナ、28日 いしかわ総合スポーツセンター、30日 日本ガイシホール、12月2日,3日,6日,7日,10日 日本武道館

脚注

注釈

  1. ^ ブルース・ブラザーズがカバーしている。
  2. ^ ウィンウッドは、『トミー』のオリジナル・アルバム(1969年)を発表したザ・フーのメンバー、リンゴ・スターロッド・スチュワートらと共に、アルバム制作と1972年12月9日にロンドンのレインボウ・シアターで開かれたコンサートに客演した。
  3. ^ なお、同曲がヒットしたのは、1987年にアイランド・レコーズから、ヴァージン・レコーズへの移籍に伴って発表されたベスト盤『クロニクルズ』に収録のリミックス版で、「青空のヴァレリー'87」なる邦題がつけられている。
  4. ^ 1983年に死去したクリス・ウッドに捧げられた。

出典

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Steve Winwood”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ Steve Winwood: From Mr. Fantasy to Mr. Entertainment”. Rolling Stone (1988年12月1日). 2019年5月2日閲覧。
  3. ^ Neill, Andy; Kent, Matt (2007). Anyway Anyhow Anywhere: The Complete Chronicle of The Who 1958-1978. Virgin Books. pp. 310, 313-314. ISBN 978-0-7535-1217-3 
  4. ^ a b c Steve Winwood - Chart History - Billboard 200”. Billboard. 2022年9月23日閲覧。
  5. ^ a b Press Release: Junction Seven”. Steve Winwood Official Site (1997年4月24日). 2019年7月23日閲覧。

関連項目

外部リンク


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