P-47N
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:00 UTC 版)
「P-47 (航空機)」の記事における「P-47N」の解説
P-47Nは太平洋戦線での使用を想定したもので、サンダーボルトの最後の生産型となった。ボーイング製の戦略爆撃機、B-29 スーパーフォートレスによる日本本土爆撃に同行・護衛する戦闘機が必要だったが、長い航続距離が必要だった。サンダーボルトは進化に合わせて胴体内タンクとドロップタンクの燃料容量を増大させ、航続距離も伸びてきていたが、さらに燃料を詰め込むには主翼内にタンクを増やすしかなかった。それまでとは完全に異なるタイプの主翼が作られ、片翼に190リットル (50 USG) の燃料タンクが収められた。 YP-47Mの2号機がこの新型主翼に換装され、1944年9月に初飛行した。改設計は成功で、航続距離は3,200 kmに伸びた。さらに、主翼のスパン(翼幅)を500 mm延長したにもかかわらず、翼端を楕円形から四角形に変えたことでロールレート(横転率)が向上した。 出力を増大させたR-2800-77(C)エンジンを搭載して、P-47Nの大量生産が開始された。最初のタイプはP-47N-1で、N-5・N-15・N-20・N-25と続いた。この間、ドーサルフィン面積の増大やアンテナの増設などの小規模な改修がなされた。P-47Nは合計1,816機生産された。最後のサンダーボルトとなるP-47N-25は、1945年10月に生産ラインを離れた。さらに数千機の発注があったのだが、8月の終戦時点で基本的に生産は終了した。生産終了時点での機体単価は83,000 米ドルだった。 太平洋戦線向けに設計されたP-47Nだったが、初期に生産された機体は英国へ送られた。しかし十分な働きを示す前に欧州戦線は終結した。1945年の春、沖縄の伊江島と硫黄島に到着したP-47Nは予定どおり護衛任務を開始したが、戦闘爆撃任務に使用されることの方が多かった。
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