第1次シルテ湾海戦
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第1次シルテ湾海戦(だいいちじシルテわんかいせん)は、第二次世界大戦における地中海攻防戦において、イギリス海軍とイタリア海軍との間で戦われた海戦である。1941年(昭和16年)12月17日にマルタの西、シルテ湾の北の地中海戦域で生起した[1]。海戦は引き分けに終わったが、両軍とも船団護衛という任務は達成した[2]。
注釈
- ^ 第1潜水戦隊、第4潜水戦隊、第10潜水戦隊など[13]。
- ^ ドイツアフリカ軍団の古参兵は、地中海を「ドイツ兵の水練場」と呼んでいたという[16]。
- ^ 1941年初頭にドイツ空軍の第10航空軍団がシチリアに展開して猛威を振い、枢軸陣営の海上補給路を掩護した[19]。その後、ヒトラー総統は降下猟兵をクレタ島の攻略に投入し[20]、マルタ島は空襲のみで無力化することに決定し、ドイツ海軍を落胆させた[16]。
- ^ このためクイーン・エリザベス級戦艦2隻(クイーン・エリザベス、ヴァリアント)が12月18日夜にイタリア海軍の人間魚雷および特殊部隊に奇襲され[38]、吸着機雷により大破着底する[39]。
- ^ 伊戦艦リットリオの15インチ主砲は英艦隊を射程距離に捕えていた[41]。伊戦艦アンドリア・ドリアとジュリオ・チェザーレの主砲は32センチ砲なので、射程距離は30,000メートルが限度だった[41]。
- ^ 12月8日には太平洋戦争が勃発、10日のマレー沖海戦で主力艦2隻(プリンス・オブ・ウェールズ、レパルス)が沈没した[5]。
脚注
- ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, pp. 284a-286シルテ湾海戦
- ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 287.
- ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 454.
- ^ ロンメル戦車軍団 1984, pp. 55–58「クルセイダー」作戦の幕あけ
- ^ a b c d ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 460.
- ^ ロンメル戦車軍団 1984, pp. 73–75ロンメル、撤退を命ず
- ^ a b c 呪われた海 1973, p. 227.
- ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 278–279過熱する北アフリカ
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 117–120北アフリカの戦いとマルタ島の重要性
- ^ 呪われた海 1973, p. 225.
- ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 238–239.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 121a-122K部隊の栄光
- ^ 潜水艦戦争 1973, p. 128.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 327–329(12)イタリア商船隊の戦い
- ^ 潜水艦戦争 1973, pp. 137a-138イギリス潜水艦の行動
- ^ a b ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 453.
- ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 459.
- ^ a b c 潜水艦戦争 1973, p. 130.
- ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, pp. 317–318.
- ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, pp. 334–335.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 119.
- ^ 呪われた海 1973, p. 226地図8、マルタ周辺の地中海航路図と攻撃圏
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 315–320(10)地中海でのドイツ潜水艦
- ^ a b イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 237–238.
- ^ 潜水艦戦争 1973, p. 129.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 125–128思わぬ敵 ― ドイツUボート
- ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 281–283イタリア本国艦隊司令長官出撃
- ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 247–250.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 121b-122.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 283–284四、ボン岬沖の夜戦/1941年12月13日
- ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 250–251.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 127.
- ^ 潜水艦戦争 1973, p. 137b.
- ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 283b.
- ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 279a-281バイアン少将、西へ
- ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 279b.
- ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 280.
- ^ 潜水艦戦争 1973, pp. 134–135.
- ^ a b c イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 252–253.
- ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 283a-284夕暮れの会敵
- ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 284b.
- ^ a b c 撃沈戦記(II) 1988, p. 285.
- ^ a b c 撃沈戦記(II) 1988, p. 286b.
- ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 286a-288幕切れはあっけなく
- ^ a b 呪われた海 1973, p. 234.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 122–124思わぬ敵 ― 機雷
- ^ a b イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 253–254.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 299–304(8)豚と二輪戦車
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 128–130思わぬ敵 ― 人間魚雷
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 130–131イギリス海軍悪夢の二カ月間
- ^ 呪われた海 1973, p. 235.
- ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 142–144マルタ島に危機迫る
M41作戦
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イタリア海軍の計画では、合計8隻の貨物船を3つの船団に分割し、北アフリカのシルテ湾に向かう計画であった。初回のM41作戦は最初から災厄に見舞われた。12月13日、集結場所へと向かっていた貨物船2隻がイギリス潜水艦アップライト (HMS Upright, N89) により沈められ、2隻が衝突して引き返した。また、この日にはトリポリまで燃料などを輸送中であったイタリア軽巡洋艦2隻(アルベリコ・ダ・バルビアーノ、アルベルト・ディ・ジュッサーノ)もイギリス軍駆逐艦に夜戦で敗れ、2隻とも撃沈された(ボン岬沖海戦)。 残る輸送船4隻は駆逐艦5隻に護衛されて13日夜にターラントから出発した。その支援のためアンジェロ・イアキーノ提督が率いる戦艦リットリオ (Littorio) 、ヴィットリオ・ヴェネト (Vittorio Veneto) 、駆逐艦4隻、水雷艇2隻が出撃したが、14日朝にヴィットリオ・ヴェネトが英潜水艦アージ(英語版)の雷撃で損傷する。イタリア艦隊は健在艦を含めて引き返した。 イギリス軍は迎撃のため軽巡洋艦3隻(ナイアド、ガラティア、ユーライアラス)と駆逐艦9隻をアレクサンドリアから出撃させた(ME9作戦)。ところがイタリア軍が引き返したため、イギリス艦隊も撤収する。帰投中の14日深夜、ドイツ潜水艦U-557の雷撃により軽巡ガラティア (HMS Galatea, 71) を失った。そのU-557も16日にクレタ島西部にてイタリア軍水雷艇オリオーネ (Orione) との同士討ちで撃沈された。
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