M41作戦とは? わかりやすく解説

第1次シルテ湾海戦

(M41作戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/20 07:57 UTC 版)

第1次シルテ湾海戦(だいいちじシルテわんかいせん)は、第二次世界大戦における地中海攻防戦英語版において、イギリス海軍イタリア海軍との間で戦われた海戦である。1941年(昭和16年)12月17日マルタの西、シルテ湾の北の地中海戦域で生起した[1]。海戦は引き分けに終わったが、両軍とも船団護衛という任務は達成した[2]




注釈

  1. ^ 第1潜水戦隊、第4潜水戦隊、第10潜水戦隊など[13]
  2. ^ ドイツアフリカ軍団の古参兵は、地中海を「ドイツ兵の水練場」と呼んでいたという[16]
  3. ^ 1941年初頭にドイツ空軍第10航空軍団シチリアに展開して猛威を振い、枢軸陣営の海上補給路を掩護した[19]。その後、ヒトラー総統は降下猟兵クレタ島攻略に投入し[20]、マルタ島は空襲のみで無力化することに決定し、ドイツ海軍を落胆させた[16]
  4. ^ このためクイーン・エリザベス級戦艦2隻(クイーン・エリザベスヴァリアント)が12月18日夜にイタリア海軍の人間魚雷および特殊部隊に奇襲され[38]吸着機雷により大破着底する[39]
  5. ^ 伊戦艦リットリオの15インチ主砲は英艦隊を射程距離に捕えていた[41]。伊戦艦アンドリア・ドリアとジュリオ・チェザーレの主砲は32センチ砲なので、射程距離は30,000メートルが限度だった[41]
  6. ^ 12月8日には太平洋戦争が勃発、10日マレー沖海戦で主力艦2隻(プリンス・オブ・ウェールズレパルス)が沈没した[5]

脚注

  1. ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, pp. 284a-286シルテ湾海戦
  2. ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 287.
  3. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 454.
  4. ^ ロンメル戦車軍団 1984, pp. 55–58「クルセイダー」作戦の幕あけ
  5. ^ a b c d ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 460.
  6. ^ ロンメル戦車軍団 1984, pp. 73–75ロンメル、撤退を命ず
  7. ^ a b c 呪われた海 1973, p. 227.
  8. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 278–279過熱する北アフリカ
  9. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 117–120北アフリカの戦いとマルタ島の重要性
  10. ^ 呪われた海 1973, p. 225.
  11. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 238–239.
  12. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 121a-122K部隊の栄光
  13. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 128.
  14. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 327–329(12)イタリア商船隊の戦い
  15. ^ 潜水艦戦争 1973, pp. 137a-138イギリス潜水艦の行動
  16. ^ a b ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 453.
  17. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, p. 459.
  18. ^ a b c 潜水艦戦争 1973, p. 130.
  19. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, pp. 317–318.
  20. ^ ビーヴァ―、第二次世界大戦(上) 2015, pp. 334–335.
  21. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 119.
  22. ^ 呪われた海 1973, p. 226地図8、マルタ周辺の地中海航路図と攻撃圏
  23. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 315–320(10)地中海でのドイツ潜水艦
  24. ^ a b イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 237–238.
  25. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 129.
  26. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 125–128思わぬ敵 ― ドイツUボート
  27. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 281–283イタリア本国艦隊司令長官出撃
  28. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 247–250.
  29. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 121b-122.
  30. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 283–284四、ボン岬沖の夜戦/1941年12月13日
  31. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 250–251.
  32. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 127.
  33. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 137b.
  34. ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 283b.
  35. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 279a-281バイアン少将、西へ
  36. ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 279b.
  37. ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 280.
  38. ^ 潜水艦戦争 1973, pp. 134–135.
  39. ^ a b c イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 252–253.
  40. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 283a-284夕暮れの会敵
  41. ^ a b 撃沈戦記(II) 1988, p. 284b.
  42. ^ a b c 撃沈戦記(II) 1988, p. 285.
  43. ^ a b c 撃沈戦記(II) 1988, p. 286b.
  44. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 286a-288幕切れはあっけなく
  45. ^ a b 呪われた海 1973, p. 234.
  46. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 122–124思わぬ敵 ― 機雷
  47. ^ a b イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 253–254.
  48. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 299–304(8)豚と二輪戦車
  49. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 128–130思わぬ敵 ― 人間魚雷
  50. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 130–131イギリス海軍悪夢の二カ月間
  51. ^ 呪われた海 1973, p. 235.
  52. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 142–144マルタ島に危機迫る


「第1次シルテ湾海戦」の続きの解説一覧

M41作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 02:27 UTC 版)

第1次シルテ湾海戦」の記事における「M41作戦」の解説

イタリア海軍計画では、合計8隻の貨物船3つの船団分割し北アフリカシルテ湾に向かう計画であった初回のM41作戦は最初から災厄見舞われた。12月13日集結場所へと向かっていた貨物船2隻がイギリス潜水艦アップライト (HMS Upright, N89) により沈められ、2隻が衝突して引き返したまた、この日にはトリポリまで燃料などを輸送であったイタリア軽巡洋艦2隻(アルベリコ・ダ・バルビアーノ、アルベルト・ディ・ジュッサーノ)もイギリス軍駆逐艦夜戦敗れ、2隻とも撃沈された(ボン岬沖海戦)。 残る輸送船4隻は駆逐艦5隻に護衛され13日夜にターラントから出発した。その支援のためアンジェロ・イアキーノ提督率い戦艦リットリオ (Littorio) 、ヴィットリオ・ヴェネト (Vittorio Veneto) 、駆逐艦4隻、水雷艇2隻が出撃したが、14日朝にヴィットリオ・ヴェネトが英潜水艦アージ英語版)の雷撃損傷するイタリア艦隊健在艦を含めて引き返したイギリス軍迎撃のため軽巡洋艦3隻(ナイアドガラティアユーライアラス)と駆逐艦9隻をアレクサンドリアから出撃させた(ME9作戦)。ところがイタリア軍引き返したため、イギリス艦隊撤収する。帰投中の14日深夜ドイツ潜水艦U-557雷撃により軽巡ガラティア (HMS Galatea, 71) を失った。そのU-55716日クレタ島西部にてイタリア軍水雷艇オリオーネ (Orione) との同士討ち撃沈された。

※この「M41作戦」の解説は、「第1次シルテ湾海戦」の解説の一部です。
「M41作戦」を含む「第1次シルテ湾海戦」の記事については、「第1次シルテ湾海戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「M41作戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「M41作戦」の関連用語

M41作戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



M41作戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第1次シルテ湾海戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第1次シルテ湾海戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS