ガラティア_(軽巡洋艦・2代)とは? わかりやすく解説

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ガラティア (軽巡洋艦・2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 15:47 UTC 版)

艦歴
発注
起工 1933年6月2日
進水 1934年8月9日
就役 1935年8月14日
退役
その後 1941年12月14日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 基準 5,220トン
満載 6,665トン
全長 506 ft (154.2 m)
全幅 51 ft (15.5 m)
吃水 14 ft (4.3 m)
機関 4軸推進 64,000 shp
最大速 32ノット (59 km/h)
乗員 500名
兵装 竣工時
6インチ連装砲3基
4インチ対空砲4門
4連装機銃2基
21インチ3連装魚雷発射管2基

ガラティア (HMS Galatea, 71) はイギリス海軍軽巡洋艦アリシューザ級

艦歴

スコッツ社で建造。1933年6月2日起工。1934年8月9日進水。1935年8月14日竣工。

1940年2月、3月、スペインビーゴから脱出したドイツ商船の捜索に従事。4月から5月初めはノルウェーで活動。

1941年7月、地中海艦隊に加わる。

12月13日、敵船団が北アフリカへ向かうであろうと推察されたため、その護衛部隊攻撃を命じられ「ガラティア」は軽巡洋艦「ユーライアラス」、「ナイアド」、駆逐艦9隻とともにアレクサンドリアから出撃した[1]。だが、貨物船2隻が潜水艦によって沈められ、別の貨物船2隻が衝突により損傷し、さらに戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」も潜水艦によって損傷させられたため、イタリアの作戦M41は中止となった。14日、敵部隊が北上しているのが偵察により判明したため、「ガラティア」などはアレクサンドリアへの帰投を命じられた[1]。その途中、アレクサンドリア沖で「ガラティア」はドイツ潜水艦「U557」によって撃沈された[2][3]

関連項目

脚注

  1. ^ a b The Royal Navy and the Mediterranean, Volume II:November 1940-December 1941, p.218
  2. ^ The Royal Navy and the Mediterranean, Volume II:November 1940-December 1941, p.219
  3. ^ Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two, p.72

参考文献

  • The Royal Navy and the Mediterranean, Volume II:November 1940-December 1941, Frank Cass Publishers, 2002, ISBN 0-7146-5205-9
  • Eric Grove, Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two, Naval Institute Press, 1993, ISBN 1-55750-758-9

外部リンク

座標: 北緯31度17分 東経29度13分 / 北緯31.283度 東経29.217度 / 31.283; 29.217




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